求検討若此
連天、大学に行って驚かれるのは、どうかと思わなくもない。
しかも、それをしたのは故人だった。見かけた瞬刻、山鬼に会ったかのような顏をするのは、合意がいかない。
口を開けたままの李譚に、韶華は指を突き付けた。
「どういう意思なんですかね、その表情!」
「あ……ごめん、来るとは思わなくて。武挙があるって聞いたから、しばらくそっちで忙しいのかなって」
「武挙の風聞は、知ってるんだ」
「篇子なら、みんな持ってるよ。杜韶華がどうするか、話題になってて。ぼくは、どうしようなかって賭……いやえっと」
李譚は口許を押さえた。押さえたところで、当面に立つ韶華の藐視は避けられなかった。
「みんな、閑空なのっ? 貢挙に向けて、読書でもしてるかと思ったら!」
「最終考試の準備をしてる師兄たちもいるよ。でも、今、あのひとが来てるんだ。それで、つい……」
「あのひと?」
ここに来るはずではなくて、会えばつい、賭けに誘われてしまう、あのひと。
がくがくと忙しく、李譚が首を縦に振る。さらに、手の動きの伝えんとするものは、よく知るひとりだけを示していた。
(朝三暮四、もとい朝四暮三。沈家の敗家子ですか……)
どうしてあれが、と視線で問えば、李譚も惑う顏をした。
「家に閃現したんだ、李助教に謝りたいって。家父も、あういうひとだから受け入れて……それで話題の流れから、大学に謝りに行くとかになって……一同に来たんだ」
「謝りたい、ねえ……だけどそのひと、前額に文身してなかった?」
「なんで知ってるの。あったよ……几次か書き直したみたいで、読みにくかったけど、玉門って。あれってさ」
西街の妓楼、玉門楼の妓女たちが、遊びで客にする文身である。その意思は、またすぐ来ないと負債が増えるわよ。
界隈で育つ子どもらは、よく模倣をして、遊戯に負けた子にそれをした。李譚も近隣に住んでいただけあって、覚えていたようだ。
(謝ろうとする者が、それかい!)
受け入れた李助教は穏がすぎる。ついでに、連れて来てしまう李譚も。
「悪いひとじゃないんだよ。年少のぼくにも、頭を下げたんだ。張にもね。令兄に謝りたいって」
「額頭に玉門つけて」
「う、うん……まあ、梅老も留情するって言ってるし」
「寛大だね、吃驚だね! いいけどさ、当人たちが同意するなら……とりあえず、進士諸位が来てるようで良かった。日前、し損ねた求みをしようと思って」
韶華は李譚とともに、彼らのいる課室に向かった。
そこでは打牌で一局が行われていた。
「不成じゃん! 検討はどこにいった!」
「おお、牢騒少女、来たのか。おまえもどうだ」
「李師兄ッ、懲りてない……って、梅老、貴兄までええええッ」
見れば梅小岩、それに丸い進士も加わっている。激発する韶華に、困った貌を向けながらも、手は止めなかった。
「不要担心、これは賭ではなくて、牌の出る几率を計算しているだけだ」
「そこから泥沼に入るんですよ……」
「それにしても、武挙はどうしたのだ。投案しないのか」
丸い頬を動かしつつ、進士が言う。食べながら話すとは、名門何家の郎子とも思えない不行儀さである。
「武挙、武挙って、どうしてわたしが武挙を選ぶと思うんですか」
室内にいる男子の顏が、一斉にアレというものになった。
「言われてみれば、どうしてだ……?」
「うむ、武人に向いてるとも思えんよな。でも、書いてなかったか」
「篇子をもらったからでは」
「等等。篇子にわたしのこと、書いてあったって言うのっ?」
そんなはずはない。見たら覚える韶華に、冒失漏眼はあり得ない。
「随便……一想ッ!」
李師兄が、頭を抱えたまま叫んだ。前世でも思い出したかのようだ。
「篇子を配ってた男が、それらしいことを言っていた!」
「そうだ、そうだった」
梅小岩が応じると、旁で何進士も頷いた。
「これで、空閨に姉妹を送り込めるのだとかなんとか……だったな。群芳から究極なる尚絅仙女と認められた令姉はともかく、煩苛な狙より不通なあれを閨にとは、下劣なと思ったものだ」
「わたし、誰を怒るべきなの、蔑むべきなの?」
「言ったのは、何師兄じゃないよ……ぼくも、欠佳な感じって思ったんだ。名は出さなかったけど、杜韶華について仄めかしてるのは、分かったから。だけど、全く方角不明なこと言ってるなって。きみに会ってたら、そんなこと言えないの明らかなのに」
「うん……李譚、なんか要らぬ加強ありがと?」
分からないのは、韶華がなにをするか、誘導しようとする者がいることだ。
偽の篇子を作ったのは、禁軍と見ている。しかし、韶華が手に入れた府上附近では、なにも言われなかった。官方の使丁のような顏で、配っていただけだ。
大学の学生が手に取りやすい北洛の大路で配る際だけ、言を添えていたようだ。
(わたしに聞かせるため? それだったら、南洛でいいはず)
専程、北洛でというのは、聞かせる対手がこちらにいることになる。
(それに、禁軍が自身の手で配ってるの? ひとを使ってではなく?)
彼らが姿を見せのは、古怪な気がした。
「配ってるの、どんなひとだった……?」
「えっと……男子」
「男子だな。どこにでもいそうな」
「男子ということしか、覚えてないッ」
「なんだろう、この無用士子事態は! 漏気だねっ!」
「あああごめんよーごめんなんだよーあれは阿耶の寮佐の下人なんだよー」
牌を胸に抱え、沈家の浪子が身を捩らせた。
当人は、重大な言だと思っていないかもしれないが、不要之最と思っていた人物が、まさかの中用である。
「到底是相室子息……なに、大兄も篇子もらったの?」
「見てただけだよおおー譚譚とこに行こうと迷ってた時……あれってほら、知らないかなあ、老弟のとこの、小翼のひとだよう」
猛然と言われた何進士は、成人に向けるには適切でない綽名に、思い当たるものはなかったようだ。誰だそれは、と惑うだけだった。
ぐずぐずと泣きぬれる朝四暮三男が、左丞相の郎子であるという分際を思い出したのは、梅小岩だった。
「もしや大兄の言うのは、あの寮佐のほうか。何秀雅の遠戚……!」
「そうそう、確か、何鳳翼だったかなあ。その小翼が連れてる下人が、配ってたんだよおおお」
あれが、と頷く丸い進士――何秀雅と、分かって良かったねと笑む李譚の間で、韶華の表情は冴えなかった。
(這次の策は、禁軍が単独でやってるんじゃないってことか。封信では、左丞相と禁軍は、同通してなかったのに……)
考えられるのは。
補佐人、何鳳翼が軽易にやっている。なぜならば彼は禁軍の偵人である。
あるいは。
補佐人、何鳳翼は女人である。封信を書いたのは実は何鳳翼だった。驚嘆真実。
(新鮮……だいたい文字が違うし。封信の対手が小翼ってことも……不在)
沈修容の名が、書いてあった。
「ねえ、大兄。なんかちょっと心情不佳なんでー、小翼の下人、教訓しちゃっていいかなあ。いいよねえ」
「いいと思うう」
好、と韶華は、心目で拳を握った。
「でね、これから進士諸位は、吏部銓のために敬礼に行くよね。行くなら、官族が最理想だと思わない? たとえば、左丞相とか」
「阿耶? 今、どの燕楼にいるかなあ」
「いや、行くのは主楼! 左丞相ともなれば忙しいから、いないのが通常だろうけど、大兄が待っててくれないかなあ」
韶華の目的を察した梅老らは、息を止めて、先を待った。不穏な情報は、逆耳にしておく。左丞相につながる見機を得られるなら、これ以上ない門路である。
「待つのは構わないけど、それで、どうすれば?」
「招き入れてくれる? 左丞相がいないとなれば、すぐ回家するんでー。補佐人の小翼と下人も、そこで偶然会えるといいなあ」
「おれが呼んでも、来ないかも……別邸……そうだ、教訓するなら、別邸では不妙かなあ。自己家には、阿耶の珍惜してる貨が多くて、壊したら怒られるし」
「そうだねえ。教訓するのは、あとにしよう」
韶華としては、何鳳翼と下人の真面目を、沈家で探る必要はない。
だから、端からそうしようと思っていたのを、あまり押しすぎると欠佳だから引いてみせる、という情形を成心で演じた。それは、進士らに利を売っておくためのものだ。
ちらと振り返れば、進士たちも小さく拳を突き上げていた。
「じゃあ、訪れるのに、よさそうな日を決めたら、わたしに知らせてくれるかな」
「分かった。でも、どうやって?」
「譚譚、じゃなくて李譚に使丁をやってね」
「そうするよ。阿耶は居なくてもいいんだね」
いいよ、と頷いてみせる。韶華としては、沈修容に在家されると、動き難くなってしまうのだ。
進士たちにとっては、居てくれたほうが佳い話になるが、当の左丞相は、敗家子に阿耶と呼ばれるところを見られたくないだろう。
韶華は卓子に残されていた牌をかきあつめ、朝四暮三男に渡した。
どれだけ鈍くとも、それが末了の作派と気づかぬはずはなく、男も学生も散じて行った。
残るは、課室にいるべき学生と進士だけ。韶華の真の題目は、これからだった。
「梅老たち、無事に吏部銓に臨めそうで良かったね」
「うむ。まさか、左丞相と会う機を得られようとはな! しかも、あの何家の者に求まずに! 牢騒上等才媛の面目躍如だ!」
何進士が丸い腹を揺らし、胸を張る。本宗の何家の郎子は、何鳳翼に叩頭するのが厭だったらしい。
「それ、褒めてないですよね? そこまで珍奇な別名を、ひとにつけたいもんなんですかね? そんなだから、あの官人と舌争になるんですよ?」
「まあまあ……玉女以外を褒めない何秀雅が、才媛と言ったんだから、喜んでも良いと思うぞ」
と、居間を試みる梅小岩も、独笑を隠せていなかった。
「小……杜韶華っ、どういうこと」
「どういうこと、って?」
李譚は韶華の別名が増えることに慣れているので、狼狽の理由は別にあった。
「あああああのひとっ、左丞相の子息なの?」
「えー……李譚、知らないで別邸に行ってたの……」
信じがたいけれど、読書会といいながら、酒宴と局になっていた別邸に、誰の家と知らずに招かれていたことになる。
もっとも、誰もあの館第の不敬を気にしなかったのだから、そういうものかもしれない。
「ぼく、このままあのひとと会っていいのかなっ」
「いいんじゃないかな」
課室にいた者の声は、奇麗に重なった。
「どうせなら李譚、老弟も我らと来たまえよ。牢騒上等才媛も一同に来る気でいるのだし、同輩として、敬礼に加わってもいいだろう」
「はあ、梅老それは……ええっ? 小、杜韶華も行く打算なのっ?」
「そうだよー。敬礼に、乗便に連れて行って下さいって、求もうと思って大学に来たんだ」
「求むぅ? おまえがいなければ、成り立たんように設定しておいて、よく言うものだなっ」
「何家の主にも、お会いできたらと思いまーす」
「できましたら、年少団の長として、我も同伴を准許いただけますでしょうか」
ここぞとばかりに、李師兄が拱手する。呆けていた張も、慌てて倣った。これで年少団は、韶華と李譚と張になった。
大仰に考え込む模倣をしてから、何秀雅は頷いた。
「よかろう。梅小岩も、異論はないよな。年少の敬意を集めているように見えて、名声莫大上昇ッ」
「没有没有……」
呆れていても、梅小岩は不行とは言わなかった。




