秘密且奥妙
棠梨の宮都、甘棠では、望舒党がまた現れると預告したことで、沸き立つように騒がしくなった。
暑さに滞るように、大婚の喜びを待たされていた市人にとって、新たな話題は歓迎すべきものでしかない。
官吏にとっては文武を問わず、頭の痛いこととなるが、不料にも不顧――静観を決めた。
望舒党が行ったのは、預告であって布告ではない。今までと違い、あれをした、これをしたという内容が、全く書かれていなかった。
ならばこれは、皇帝に及ぼすところではない。迫り来る砂嵐を見ないよう、砂地に首を突っ込んだ鳥の如く、官人たちは、なにもなかったと思い込むことにしたのだ。
「まあ、好在といえば、そうなんだけど……」
活力のない呟きが、韶華の口から洩れた。
棠梨の世子ともあろう者が、隠れて匪徒を名乗る。それにつき合わされている者としては、官方に動きのないことは歓迎である。
しかしながら、望舒党をまだ、続けなければならないということまで、歓迎したくはなかったのだが。
「大学でねえ……そんなのが、分かるんだろうか」
韶華は課せられた工作を思い、嘆息した。
もっとも、皇帝の侍衛を為す将が、皇太子の愚かな行いに加わることのほうが、嘆く心境が強いに違いない。
昨天の白果舎で決められたのは、そういった品類のことであった。
***
冬栄、すなわち皇太子は、自身が望舒党であると認めたあと、開き直ったかのように語り始めた。
そのほとんどは、すでに望舒党として誘われる際に、韶華は聞かされていた。
曰く、富の多寡は認められようとも、万世の差として、許してはならない。ゆえに、納賄で潤った官吏や貴族の館第から銭や貢物を盗み、貧しいひとびとに配りたいなど。
初めて聞いた時は、世を変えるなら、官吏になれば良いのではないかと思ったものだが、彼にとって貢挙に受かるほうが、遠大な計画なのだと考え直した。言っているのが皇太子と知れば、そんな後援はいらなかったのだが。
そして、下回の望舒党の預告について話が及び、韶華にとって、思わぬ事実が浮かび上がった。
望舒党がなにをするのかを書かなかった理由は、貴族たちの動静を探るためだから、というのだ。
「我らが今までしてきたことで、貴族たちは、坏事を暴かれた。誰が狙われているか分からないとなれば、詰まらない動きを止め、しなけらばならないものだけを、動かすだろう」
「つまり……なんか不成な動きを、炙り出そうというわけ? 望舒党が出るっていうだけで、動くもの?」
韶華の当然の疑問を受け、冬栄がちらと静影に視線を送った。
「静影は、なにか知ってるわけ?」
「少し解説しておくが……おまえも感じているかもしれないが、大婚の動きが滞っている。殿下は、国子学に出向いて、それを確かめたそうだ。貴族たちが、礼典の章法を明らかにする教授や博士たちを、結舌させていると」
「そうすると、どうなるの? 大婚が、ないかもしれない……?」
「いや、大婚は為される。必ず。だがそのためには、おまえの令姉は、少なくとも
妃以上の位を賜わらなければならない……」
続ける言をためらう静影を見ながら、韶華も理解し始めた。
朱蕣の名の公表さえも阻まれていること、そして静影が言うように、必ず大婚が行われるのであれば。
「もしかしてさあ……弄月大人の隣りに坐すひとが、納女考試で選ばれた女人と、違ってたりしてても……」
「困る貴族は、いないだろうな」
韶華は大息を吐いた。
後妃と決まった女人の替身を立てる。大胆な行いだが、妃という身躯さえあれば良いという事実は、否定しようがない。
美貌の風聞だけを長姉から頂き、どこかの貴族の児女が皇帝の隣りに座っても、ごく少数を除き、誰も困らないのである。
「杜韶華よ、酷いことを言うようだが……おまえの令姉を、美人や才人などの寵妾として後宮に置くならば、まだ正常だろう。替身となった女が、後宮にただひとり在ることに身价を見出せば、どうなるか……そうなったとしても、宮城になんら変わりはなく、市人もまた知るところではないのだ」
冬栄の言は、韶華の心目に深く刺さった。
「そうだね……そういうことなんだよね。お姉ちゃんが、後宮から帰ってこなくても当然のことで、だから姑娘がいないと騒ぐ母親も、遠くから集められた女兵も、いなくなったって騒ぎになんか、ならなくて。世には、なにも起こっていないように見えるんだ」
とはいえ、開首からそうするつもりで謀られていたとは、思いたくない。
韶華の考えを読み取ったかのように、静影は応じた。
「準備されていたことでは、ないと思う。大貴族たちの内にも、己の児女を庶人の乾児にしようとした者がいたくらいだ、後果を受け入れるつもりはあったんだ。でなければ、考試だって行われない」
「小王が確かめたところ、杜朱蕣には、賢妃の位が内定していたらしい。公表を止めた者までは、分からなかったが、おそらく、誰かが替身の策を持ち出したことにより、流れが変わったのだ」
「考えるだけじゃなくて……謀を、動かす流れになった……?」
「そうだ。だから」
たん、と膝を叩き、冬栄が立ち上がった。炎天の熱をも越える活気が、猛然戻ってきていた。
「望舒党によって、この愚かな策謀を止めるのだ!」
「え、でも市人の知るところではないとか、言いませんでしたか。それって、万世のためじゃないよね? 大約で言えば、皇族のため? それで匪賊が動くなんて、古怪に思われるんじゃ……」
「だが、おまえは令姉のために動くだろう? 小王もまた、棠梨の主を欺こうとする者を許さない。それで充分だ。望舒党は万世を守るためにある。それがたとえ、望舒の一門であっても、万世なのだ!」
「望舒党も万世って、詭弁ですかそれ」
「ああ……韶華、詭弁にしか聞こえないだろうが、殿下は、つまり、おまえのためだと言っているつもりなんだ」
「つもりとはなんだ、つもりとは! 宮城を騒がす坏人を処理できれば、小王が直に張望する必要はなくなる! 望舒としての行いが、全て成ったということなのだぞ!」
「つまり、終わりにできるんだね!」
白老人に台階の準備を頼んだり、妓楼の小姐の振りをして、夜察を酔わせて路程を吐かせたり、安眠薬を配方したりしなくて済む。それが露見することを恐れなくて済むようになるのだ。
静影の紫石が疑いの目光に変わっているが、韶華は微笑み返すに止めた。
「それでだな、杜韶華。終わらせるために、一刻も早く、幕後を見つけなければならない。だから、それぞれ探るべきところを分けようと思う」
「分けるって……なにを」
長い男の指が、尋ねた韶華と、黙っている静影に向いた。
「小王は相公を始めとする、顕官を探る。だから静影は武官を、杜韶華、おまえは大学に行くのだ」
「……大学?」
問い返してから、しなければ良かったと気づいた。
冬栄の考えは、だいたいが困ったものだ。単に上学しろと言っているはずがないのである。聞けば、追悔間違いなし。言ってしまった以上、覚察を決めねばならないが。
「ええと……うん、わたしはやむを得ないとしてですね……静影も、なの?」
「当然ではないか。静影、配合を断るのか、この棠梨の厄に際して?」
紫石の双眸は、陰鬼も逃げ出すほどに昏かった。
その心境は、よく分かる。韶華も棠梨の将が匪徒となった瞬間に、立ち会う日が来るとは、思っていなかった。
***
言えない迷いを抱えたまま、国子学の門が見えたところで、韶華は片刻、脚を止めた。
大学に来る者は、平素からだいたい同じような刻に来るもので、門をくぐる学生たちも、見た顔色ばかりだ。
しかし、そのうちにひとつ、不審な動きをする姿が混じっていた。
「李潭、またお使い?」
「小……良かった、会えた。あの……どういうことか、ぼくにも分からないんだけど、教授に、いくつかの科の課を、国子学で受けるようにと言われて。そういうのって、あるんだ?」
「聞いたことないなあ……」
殊方からの留学生が、必要のない科を取らないのを見たことはあるが、学生としては、知らない制度である。
直率にそう告げると、ではなぜぼくはと李潭の貌が困ったように歪んだ。
「だけど李潭は、国子学かどこかに通ってみたかったんだよね? 通えるなら、それでいいんじゃないの?」
「謀や、悪戯だったらどうするんだよ」
謀と言われて、韶華もようやく思い出した。
確かに、謀である。坏心はないけれど。
「それ、やったのわたしだ」
「ええ?」
「大学っていっても、誰かから推薦してもらえば通えるんだから、わたしがもらった王先生の執照を、肖似に模倣してもう一封作ったの。李潭の名だけは、料想だけどね。李で良かったよ。同事の李先生への片書があったから」
李潭の口が大きく開いた。聞きたくなかったという表情である。
「不要担心。偽だなんて分からないよ。わたしの本事は、知ってるよね? それとも李潭は、課についていける信心がない?」
「大愚なことを言うな……! できるとも。当然だ」
「じゃあ、行こうよ」
韶華に促され、李潭は惑うまま、門をくぐった。たとえ偽りの許しであっても、国子学に通ってみたい心目は抑えられなかったのだ。そして韶華の才能は、嫌というほど知っている。
「おまえの偽の片書には、多次となく騙されたしな……」
「偽だって、分かるようにしたんだけどなあ。でもさあ、李潭が通えて嬉しいと思うのなら、少しだけ……わたしに配合してくれないかな」
「それが目的か……?」
是であり、不是でもある。韶華は、あとでとささやいて席についた。
韶華よりも明白な目的があって、官吏となる将来を願うなら、朋友は大学に行くべきだろう。そのために策を弄してでも、願いを叶えようと思ったのは、事実である。
ただ、そこに打算があったのも確かだ。
冬栄の言う、大学で『探れ』という地方は、実は大学の内にはない。通う者の側にあった。
国子学に通うのは、大貴族や大家の郎子である。彼らに近づけば、その家の事情も洩れ聞こえるというもの。家に招かれたなら、さらに。
もともと韶華が冬栄の幇兇として求められたのは、館第に忍び込む準備をするための才能である。
特に、見たものを墨で図片として再現できる小技は、室内の図紙を作るのに使えた。だがどうしても、館第の周りを彷徨いて、堀から覗き込もうとする不審な少女が現れてしまう。
そういった時に考えるのは、内側から見ることができれば――つまり韶華は、招いてもらうために、学生と相好なろうとしているのだ。
易しそうに思えるが、難点があった。韶華が、少女だという部分である。
学内で、どれだけ牢騒少女と恐れられようと、姑子が男の学生の家に行くのは、没常識の誹りを免れない。対手にしても、少しでも見識があれば、韶華を招いたりしないだろう。
しかし、そこに李潭が居れば別である。乗便の招待を、執り成してもらうことができる。
韶華は、ちらりと李潭の旁臉を見た。
昔日と変わらず、全てを吸い込もうとするような、柔らかな目で教授の語りに耳を傾けている。
真卒ではあるが、あまり深交に向いた質ではない。学堂でも、ひとの輪から離れて読書していた。門路ができるとはいえ、本人から学生たちに係わってくれるかどうかは、分からなかった。
(ああ……それにしても、また静影を巻き込んじゃったな……)
今ごろ、昏い目をしながら皇太子の助けとなっているであろう、かの将は、抛っておけないという心境だけで、匪徒に加えられている。もし露見すれば、次こそは種族かもしれないのに、である。
(いやまあ、そこまでは? それに冬栄先生がいるなら、なんとかなる、よね)
そうでなくては困る。宮中の陰謀を暴くためなのだから。
心目のどこかで、真実を明らかにして、追悔することもあるかもしれないよ、とささやくのが、聞こえた。
そうかもしれない。
でも。
追悔するのは、今ではない。
追悔を掃いて捨ててきた自身が言うのだから、間違いない。
(匪賊が出るのも、これで終わりなんだから……)
韶華は軽く大息を吐いて、切なそうに見つめてくる教授に、聞いてますよの微笑みを向けた。
その目の向こうに、晦気な紫石が瞬いているような気がした。




