第七十八話《メリル・ヴォーティエ》
幌馬車の任がとうとう終わった。春の終わり近くなって、ようやく一行はメレンスにたどり着いた。そこで、セイディはヴィンセントに跨り、メリルは名残惜しそうな微笑みをしてリライナと別れの挨拶をした。
「魚が食べたくなったら、手紙でも出すわね」
メリルとリライナは互いの手を握り合った。
「そんなこと言ってたら、すぐに食べたくなるかもしれないよ?」
「じゃあ、その時は二人分用意しておいて、育ち盛りの子を連れて行くから」メリルはその子の話をすること、想像することが楽しかった。
「早く、あの子に呼びかけてあげて。待っているはず」
「……リリ。あたしたち、これで本当に最後までお別れだなんてことにならないわよね」メリルは頼りない口調でリライナの目を見た。見つめ返してきた彼女の瞳は、自分の目に花を見出した時に、彼女がしていたあどけない目だった。
「もう……今になってその呼び方はずるいんじゃないかな……。大丈夫。またそう呼ばれたいし、あと千回はメリルの目を見たい」
「たった千回? たったのそれだけ?」
「百万回はコルネリアちゃんにあげることにする」
それはメリルにとって嬉しくもずるい響きだった。メリルはふいとリライナのすぐに仕返しをする性質を思い出した。それに何度もほだされ、心地よく打たれてきたのに、いつも初めと同じ衝撃で感じる。かけがえのない感覚だった。
「近いうちに」とリライナが言った。
「そう。近いうちに」とメリルが言った。
ようやく手が離れた。それからメリルは、セイディと並んで、イスール・ベルに向かっていくハーケンとミレーニアとリライナを眺めながら手を振っていた。彼女たちの姿が木々の隙間にすっぽりと入って見えなくなると、残された二人は、改めて互いを見つめあった。
「泊っていかなくていいの?」とメリルは分かりきったことをたずねた。
「はい。これから家に帰って、一度田舎娘に戻るつもりです」セイディははしゃいだ声で言って、まもなく声をやや低めて言った。「牧場にいた時は、これだけの人と出会って、友だちになりたい人が出来て、実際になっちゃって……なんでしょう、えっと、楽しかったです」
「あたしも、なんだか楽しかった。お世話になったわ、あの子にも、セイディにも」
「私もお世話になりました。いつか一緒に、お酒が飲めるようになったら飲みたいです」
「それじゃあ、ギターを背負ってきて、結構気に入ってるんだから」
「リライナさんが言いそうですね」
二人はその後も、打ち切り時が分からずだらだらと喋っていた。だがある程度に抽斗をひらいて話題を取りだしていくと、手に取らずに大事にしておきたいものが残った。それを口にするのは、またいつかにしよう。
手を振って、メリルはセイディがヴィンセントを走らせ去っていくのを見守った。蹄の音が遠ざかると、急な疲労感に襲われた。それは彼女から気丈さを取りはらった。だが身を横たえるわけにはいかなかった。
待ち合わせを思い出した。約束がよぎった。言葉は知っている。
メリルは自分のアトリエに帰った。そして冬の日にこんなふうに窓から中をのぞいていた少女のことを思い出した。アトリエの中にその少女がいる。彼女は椅子に座って日差しが気持ちよかったのか眠りこけているらしかった。
「のんびりした子ね」
扉をゆっくりひらいて、少しの軋みの度にメリルは彼女の寝顔をうかがった。そうして目を覚ましそうな気配がないのを認めると安心して、背中で扉をしめた。
「コルネリア。コルネリア」
歩み寄ってメリルは呼び続けた。コルネリアは何度か愛くるしい唸り声を出した。
やがて目を覚ましたコルネリアは、両手を擦り始め、少し熱っぽい息を吐いた。メリルは彼女の前にしゃがみ込んで、その手を掴んだ。
「ただいま、コルネリア」
「あ! メリルさん……おかえりなさい」
コルネリアの顔を見て、メリルは自分がどれだけ彼女を待たせていたのか知ったのである。




