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第七十二話《トモニイコウ》



 あれからもういちど眠りについても、一切夢は見られなかった。目を閉じてみる夢が、ひょっとすると、あれで最後になるのかもしれないとさえ思いながら、清々しいまでの物悲しさに打たれている。


 朝、昨晩の約束通り、わたしはミレーニアに髪をばっさりと切ってもらった。巻き毛でないことを除けば、メリルと同じ髪型である。切ったばかりの毛先が首筋に触れ、ちくちくと痛かったけれど、次第にこれにも慣れていくのだろう。


「これで、一緒に旅をしても見分けがつくよね?」とわたしはミレーニアの顔色をうかがいながら言った。


 すると彼女は、片手にハサミを持ったまま、もう一方の手で口をおさえる。


「……無理だわ。今さら外に出ていくだなんて……」目を細めながら彼女は言い続けた。「私がここを出て行ったら、魔法が消える。そうしたら、パトリシアとの思い出が消えてしまうから」


「そっか。……じゃあ、いつか、お母さんのお墓参りに来てね」


 わたしはミレーニアから目を離さないでいた。彼女は、戸棚にハサミを置きに行った。壁にかけられた日付が目に入った。それは夢で見たままの五百年前の月と日が書いてある紙だったが、ある日に、夢で見かけなかった筆跡を見出した。そこには小さく『約束』と書かれている。


「やっぱり、パトリシアそっくり。あの子もそうやって、たまにずるいことを言うの」と仕方なさそうに言いながら、わたしのそばに戻ってくると、晴れやかな笑顔ができていた。


 改まって彼女の目を見ると、いくつか斑点が散っていて、深青色の波打った模様があるのを見出す。奇しくもそれは、温かい明るみのある暗い色に思われた。


「でも、本当にそれでいいの? 夢であの子に会ったのでしょう? 魔法が解けたら、もう二度と……」彼女は再び、わたしのそばへ戻ってきた。


「約束した、お母さんと。もうこれからは、これからがやっと、わたしの人生だから」言いながらわたしは、彼女がわたしを抱きしめるのに任せている。


 ややかすれた涙声を忍ばせているのを耳元で聞いたものだから、それが部屋中に響いているような気になった。しかしそれでも、部屋には他に誰もいない。辺りを見回すと、馴染みかけた部屋が急にわたしを突き放した。『生きた写真の中』そんな文字が頭に張り付いて、ちょっと目を離してしまうと、この部屋が平野よりも広くなって、そんな部屋の中に、二人きりで取り残されるような気がされた。彼女は、お母さんが旅をして、わたしを産み、師匠がわたしと出会うまで、どれほどの時間を、こんな場所で過ごしてきたのだろう。


 わたしは決意した。どのような形であれ、彼女をここから連れ出し、まだ見ていない町を、そしてお母さんの墓に、並んで花を供えるのだ。……やっぱり、それは山百合がいいな。


「怖くない。もう世界は、ミレーニアが知っているのより綺麗になってるよ。それに、お母さんが旅をした世界だもん。お母さんのお姉ちゃんなら、きっと大丈夫」


 背中を優しく叩く。彼女は溜飲が下がりでもしたように、一つ息を吐いた。体を離し、肩を持ったまま、わたしの目をじっと見入っている。


「一緒に行っても、いいのよね」


 昨晩からの振る舞いに代わって、こうして見つめあっている彼女は、やけに見た目に相応しく幼げであった。そうしてその姿が、やはりわたしのイマージュに添い、あのいちど別れを告げた旅に出ない潮風の少女の姿を、ありのままよみがえらせる。


 そうだ。あのときもこんなふうに彼女に手を伸ばした。別れが二度やってきたように、二度目の出会いをしよう。あのときは、手を掴んだだけで、彼女を連れて行こうとはしなかった。今度は、かすかな気配では終わらせない。


「うん。楽しいこと、きっとたくさん待ってるよ」


 山百合のにおいがした。どこからにおってきただろう? 足元? 彼女から? それとも、そんな気がしただけなのだろうか。……


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