第六十三話《人の繋がり》
何日か雨が続いた。メリルは舞い込んできた依頼のために日がな一日絵を描いていることが多かった。セイディは窓辺に物言わず腰を落ちつけて黙っているのが常だった。わたしも何か絵を描こうとしたけれど、何かサンルズで感じたあの陰鬱とは形の違うものを拭いきれず、しないままだった。
「この町には賑わいがありません」とセイディが窓枠に肘をつきながら言った。「思いやりもきっと。……騒がしく、ただ大きいだけです」
彼女は言いながら、わたしのほうを見なかった。それをちょっと離れた椅子に座って聞いていたわたしは、ふと彼女の背中越しに窓外に目を向け、そうして黙っている。
何度かわたしは冬に近づく季節の中に身を置いて、春を待ちながら木を見たものである。そうした中で、この季節に思い浮かべる木々の姿が、どこまでも物悲しく、生々しいように思ったことがある。わたしはいつだったか、本の中で人の血管を見たのである。それはちょうど、この季節の木に似ていた。
「冬になると、木は裸になるのに、どうしてわたしたちは厚着をするのかな」ちょっと考えたようなつもりで、しかし実際は何も考えずにひとりごちる。
これについて考えようとでもしたかのように、セイディは自分の腕に顔をうずめて、肩を大きく揺らした。
「セイディ?」
わたしは気づかわしく思いながら、彼女のそばへ行き、そこで彼女の肩に手を置いた。
二、三度呼びかけると、彼女は腕に埋めたまま顔をこちらに向けた。
「なんだか辛いものがあるんです。それほど私は、達観しているわけではありませんが、この旅で、もういくつか笑わずに過ごす日もありました」彼女は無理に微笑もうと努めながら、口ごもるように言い続けた。「人が忘れていることです。こんなの……人の繋がりなんてものは……」
だんだん眠くなってきたのか、彼女は少しうわごとのように言った。
出来るだけ彼女を安心させようと、わたしは彼女の背中を抱き寄せる。
「セイディは強いよ。前より、なんだか素直に感じる」これを言いながら、実際は元からこのように素直でいて、わたしのちょっとした意識の変化が、そのように彼女の印象をすっかり推移させてしまったのだろうかと考え出した。
「今は、そう認めたいです。でも、それを認めてしまうと、それが特技になってしまうように、危うく思うのです」疲れきったといったふうの息が最後に聞こえた。
この秋の日に、いや、この旅の中でわたしたちがこうしてぼんやりとした壁をはっきりと打ち壊して歩み寄ったように、違うだれかとも、こうして寄り添えないものだろうか? そんなことを考えれば考えるほど、窓のすぐ下の道を歩いている人影がだんだんくっきりと見え、次第にそれがまるでその人影の周りだけは空気も法則も違うように感じはじめたので、心細く、はじめより強くセイディに寄りかかった。
「もっと出来るだけ、みんなでこうしていられるよね」
何気なく言ったこの言葉が、なにか特別の含みのある響きを、わずかに部屋にもたらした。
ふいとわたしは、先日出会っただけのパンくずの少女のことを考えた。なぜあそこまで、人と繋がるのに必要なものを、わたしは覚悟の外套を着る以外にないと感じるほど、あの少女を遠くに思ったのだろう。……
次の日にわたしは、朝早くにヴラジーミルの姿が見えなかったので――この頃、彼は勝手に出かけることが多かった――あの病院へ一人で行った。するとそこで、数人の大人が棺桶を入り口から担ぎ出しているところに居合わせた。棺桶は、わたしの知っているそれとは違って、やや小さいものだった。曇り空だった。まだ霧の残っている朝、糸のような雨が降っているかに思ったが、ひたすらに曇っているだけである。雨さえ降れば、清々しかっただろうか。……
わたしはあの棺桶に少女が入っているかのように錯覚して、それからわたしは手を振って笑顔でする別れ以外の別れをすでに味わっているのを思い出した。そうして我にかえると、受け入れたものなのに、お母さんがもういない世界にわたしがいるのだと改まって思わずにいなかった。
途方に暮れたわたしはしぶしぶアトリエに帰って、キャンバスの前でメリルが立ったまま筆を取っているのを見出した。彼女の立ち方は、いつ見ても勇ましく、堂々としている。メリルは完全に絵にばかり集中していた。それを頼りがいがあると感じたわたしは、突き動かされでもしたように、そっとコートを着たまま彼女の隣に行って、以前わたしをとらえたあの名前に対する欲求をそっくり引きだし、彼女の名前を呼んだ。
「……メリル」そう口にする前に、わたしはいささか神経的な呼吸をした。
「もう、いま細かいところなのよ?」彼女は怒ったふうに言ってから、「リライナ? なにかあったの?」とわたしの顔を見ながら気づかわしそうに言い足した。
わたしは、泣くわけではなかったが、彼女の胸を借りた。そしてもう一度、今度は彼女にも聞こえるほどの、神経的な呼吸をした。
「なんだか色が褪せていきそうな気分」
急に、コートの下で体が熱くなるのを感じる。
「筆に黒がついているの。リライナの服を黒くしたくないわ」とメリルはいたって優しい口調で言ったきりだった。
わたしはようやく、彼女から離れた。……




