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マナミンさんが寮の部屋に現れた。あのう、女性の連れ込みがバレたら退寮なんですけど・・・

 『今何してるの?』


 次の週末、マナミンさんからのメッセージが入った。

 

 『部屋で小説を執筆してるよ』


 おっさんが返す。

 これまでも休日には執筆に時間を割いてきたのだが、今週は特にそうだった。

 マナミンさんと会った日からSNSにつきっきりで、平日はほとんど執筆出来なかったのだ。

 それどころかひっきりなしにメッセージが入り、すぐに返さないと怒るので、仕事の休憩中も必ず確認しないといけなかった。

 

 久しぶりに異性とプライベートで話したのは楽しかったし、SNSでコミュニケーションするのも久しぶりで執筆出来なかった事に後悔はないが、正直マナミンさんはやり過ぎだと思う。

 SNS依存症と言うのかは分からないが、ちょっと度を越している様に感じた。

 携帯のメールも面倒なおっさんには、スマホのメッセージも大いに面倒なのだ。

 ひっきりなしに鳴る受信音に、既にうんざりしていた。

 マナミンさんは平日だろうが休日だろうが仕事が入っている。

 正直、土日くらいは自分の時間を確保させて欲しかった。 


 『マナミンさんは何してるの?』

 

 しかし、折角このおっさんを、ヒモにしてあげると言ってくれている人の好意を無にする必要もあるまい。

 とりあえず、聞く。


 『何してると思う?』

 『撮影?』

 『ブブー』

 『お仕事中なの?』

 『お休みだよ』

 『あれ? そうだっけ?』


 今日がお休みとは聞いてなかったので、ちょっと驚いた。

 

 『家にいるんじゃない?』

 『ブブー』

 『レストラン?』

 『ブブー』

 

 イラっとしてしまったおっさんを許して欲しい。

 正直、女性のこういう所は面倒臭い。

 余計な事はしたくない、合理主義者のおっさんには付き合いきれないのだ。

 時間の無駄ではあるまいか?


 『お願い、ヒント!』

 『じゃあ、私が今いる所の画像を送るね』

 『え?』

 

 東京に詳しくないおっさんにそんな事をされても困る。

 焦るおっさんに送られてきた画像は、おっさんの良く知る建物を正面から撮影したモノだった。

 アビリオ小林という、おっさんが今住んでいる寮だ。

 

 ……え?

 どういう事だ?


 『えっと、これってうちの寮、じゃない?』

 『ピンポーン!』


 いや、ピンポーンてどういう事だとおっさんは混乱した。

 それはつまり、マナミンさんがこの寮を訪ねてきたのだろうか?

 おっさんが働いている工場や、住んでいる寮の事なんかは全て話している。

 だからマナミンさんが知っていて不思議ではないのだが、つまりあの中田まな美さんがこの寮に?

 

 あり得ないだろう?

 

 混乱するおっさんを、扉をノックする音が現実に戻した。

 事務所の人が用事があってやって来たのだろうか? 


 「ちょっと待って下さい!」


 おっさんは声をかけ、慌てて扉を開ける。

 そこにはフードを深くかぶった人が立っていた。

 事務所の人ではないらしい。

 

 「えっと、何の用でしょう?」


 おっさんは尋ねた。

 するとその人はフードをめくり、その下からは笑顔のマナミンさんが顔を出した。

 おっさんはフリーズする。

 

 「来ちゃった……」

 

 そう言ったマナミンさんは、恥ずかしそうに、けれども嬉しそうに笑っている。

 おっさんは余りの事に思考が定まらず、ただ呆けた様にマナミンさんの顔を見つめることしか出来なかった。

 と、近くで部屋の扉が開く音がした。

 

 まずい!


 「は、入って!」


 おっさんはマナミンさんの手を慌てて掴み、急いで自分の部屋へと引き入れた。

 彼女を見られたらヤバイのだ。

 寮事務所に報告され、間違いなく退寮処分となってしまうだろう。

 寮に女性を連れ込んだのがばれたら、一発で退寮なのだ。


 聞いた話では、女性を連れ込んで退寮になった者は、会社の契約更新が自動的に無くなるらしい。

 更新間近のおっさんだが、それが無くなるのだ。

 まだまだ貯金せねばならないおっさんは、そういう事態になっては困る。


 幸い、彼女がここまで来ているのに事務所の人間が来ていないのは、彼女が誰にも見つかっていないからだろう。

 寮の入口には監視カメラがあるが、彼女はフードをかぶっていた様で、上手く掻い潜れた様だ。

 映像を常に見張っている訳ではない事もあろうか。

 何にせよ、誰からも見られないのが最優先だ。


 彼女との会話の音を誤魔化す為、急いでテレビの音量を上げる。

 騒音として苦情を言われない様、余り大きすぎる音にはしない。

 そうしてやっとマナミンさんに向き合った。


 「ど、どうしてここに?」


 緊張の余り上手くしゃべれなかった。

 そんなおっさんに彼女は妖艶な笑みを浮かべ、言った。


 「会いたくなっちゃったから。」


 零れる様な笑顔でそう口にする彼女は、恐ろしい程に美しかった。

 それはまるで男を化かして喰らう、女郎蜘蛛の妖怪を連想させた。

 

 う、嬉しいけれども嬉しくない……。

 

 おっさんの正直な思いであった。




 「へぇ、こんな所に住んでいるんだねぇ」


 マナミンさんがおっさんの部屋を見まわして言った。

 アビリオ小林は、ヨタ自動車の寮の中でもトップクラスに新しい建物である。

 8畳くらいのスペースに、洗面台までついている豪華仕様だ。

 トイレ、お風呂は共同だが、岡高の寮に比べたら天と地程に違いがある。

 入社時期の僅かな違いで、アビリオに入れるか岡高の寮かが決まるのだ。

 おっさんは幸運であった。


 自称綺麗好きなおっさんの部屋は、わりかしこざっぱりとしていると思う。

 ベッド、机、テレビ、小型の冷蔵庫、戸棚くらいしか置かれていない。

 小説を書く為の机は、資料も同時に広げられる様に大き目で、まるで部屋のあるじの様に場所を取っている。

 それ以外は脇に寄せられ、何が生活の中心か一目で分かる様な構成であった。


 「ねえマナミンさん? 外の喫茶店にでも行かない? 実はお客様に出すお茶が無いんだよねぇ。それどころかカップすら無いんだよねぇ。いつもはペットボトルを直飲みだからさ! だから、外に行こうよ!」

 

 椅子は一つしかないのでベッドに腰かけ、興味津々な様子で部屋を見ている彼女に、おっさんはやや必死になり言った。

 心に浮かぶのは事務所にバレやしないかという恐怖心である。

 小心者のおっさんには、事務所にバレて会社に知れ渡り、職場の同僚からからかわれる事態など、顔から火が出る程に恥ずかしい。

 そんな事になるくらいなら、今すぐ彼女を部屋から追い出す事に躊躇はない。


 「あの時はあんなに積極的だったのに……。ねえ? 女の子がベッドに腰かけてるんだよ?」


 マナミンさんはその可愛い顔をすぼめ、おっさんに問い掛けた。

 30は女の子じゃねぇよというツッコミを必死に飲み込む。

 言ったら大変な事になるのは、恋愛経験の無いおっさんにも分かる。

 今にも言いそうになる口を懸命に閉じ、おっさんは誘われる様にマナミンさんの横に座った。

 

 彼女はおっさんの目を見ている。

 可愛らしい顔がおっさんを見つめていた。

 潤む瞳に艶めく唇がなまめかしい。

 

 マナミンさんはふいに目を閉じ、唇を突き出した。

 そんな仕草におっさんの頭は舞い上がり、フラフラと吸い寄せられる様にキスする。

 彼女の手がおっさんの背中に回る。

 そしてそのまま、おっさんは彼女を押し倒さなかった。


 おっさんを甘く見るでない!

 伊達に小心者を40年もやっていないのだ!

 流れに身を任せれば良い所で、途中で正気に返って理性を守ってきたのがおっさんである!

 据え膳食わぬは男の恥?

 だったらおっさんは食わないのだ!

 食わなかったから今も絶賛独身中である!


 違和感を感じたのか、マナミンさんは回した手をほどき、唇を放した。

 呆気に取られたような顔で見つめている。

 おっさんは意気揚々とマナミンさんに言う。


 「さ、マナミンさん? 外に行こうよ!」

 「ど、どうして?」


 彼女は納得いかないという表情で問いかけた。


 「どうしたもこうしたも、これがおっさんですから!」

 「……」


 キリっとしたドヤ顔を晒すおっさんを、マナミンさんは無言で見つめる。

 

 ヤバイ。

 何か失敗した感じがする。

 けれども、今更覆いかぶさる訳にもいかないし、どうしよう?

 

 お互いに無言のまま、時間だけが過ぎていく。

 

 「はぁー。もう、いいわ」


 根負けした様にマナミンさんがベッドから立ち上がり、言った。


 「そうそう! 外でゆっくりお話しようよ! そうだ! お腹減ってない? 近くに美味しいラーメン屋があるよ? 焼き肉でもいいかな? マナミンさんと一緒に食べると更に美味しいんだろうなぁ! いつもは一人だからさ!」


 部屋を出てくれたら非常にありがたいので、おっさんは頑張った。

 そんなおっさんを、まるでゴミを見つめるかの様な冷たい目で見つめている。

 やがて、溜息と共に言葉を吐き出した。 


 「おつさんって、おつさんなんだねぇ」

 「何と言っても、これで40年生きてきたからね!」


 何の事やら分からないが、部屋を出て行ってくれるならそれで良い。

 

 「今日はこのまま帰るわ」

 「名古屋でしょ? 名古屋までは送るよ!」

 「違うわ。セントレアから飛行機で帰るの」

 「そうなの? バスは寮の前に停まるけど、時間は……」


 おっさんはマナミンさんにもらったスマホでバスの時間を検索した。


 「あ! ちょうど30分後にあるよ!」

 「ありがと。それで帰るわ」

 

 それから少しの間、おっさんが書いている小説の話などで盛り上がり、時間が迫ってきたので部屋を出た。

 マナミンさんには再びフードをかぶってもらい、エレベーターで下へと降りる。

 玄関を出るのは事務所の前を通らないと出られない。

 事務所には寮の管理人が数人いて、何やら事務作業をしている。

 見つからない事を願い、マナミンさんをおっさんの影に立たせ、緊張しながら歩いた。

 と、


 「あっ!」


 マナミンさんの脚がもつれ、叫びながら転んだ。

 その拍子にフードがめくれ、彼女の長い髪が溢れ出る。

 緊張していたおっさんは何も出来ず、彼女が転ぶのを黙って見ているしか出来なかった。

 そして、事務所の中が騒いでいる気配を感じ、人生の終わりを悟った。

  



 そしておっさんは寮を追い出され、同僚の冷やかしに耐えきれずに会社を退職した。

 住む所を無くし、仕方なくマナミンさんの東京のマンションへと転がり込んだ。

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