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騎士と精霊の取り引き

 暴力的な魔力の奔流に押し流され、次に騎士が目を開いた時には見知らぬ場所に横たわっていた。矢は刺さったままで、かなりの量の血が失われていることも分かる。これでは、もう長くは持たないということも彼には分かった。


『随分、手ひどくやられたものだな。だが、運がいい。界渡りの吹き返しの嵐に巻き込まれ、ここにたどり着くとはな』


 頭の中にガンガンと響く声に騎士は顔を顰めた。そして周りを見渡して彼の大切な姪を探す。すぐ近くに掛布に包まれたまま横たわっているのが目に入る。大丈夫、怪我はしていないし少し意識を失っているだけだろう。


「…誰だ? いや、誰でもいい。アンネロッテを守ってやってほしい」


 ベルハルトの視界はもうだいぶ暗い。この場所が暗いからだけではなく、血を失い過ぎたのだ。その視界では声の主の姿は捕えることはできなかったが、黒い髪に白い衣を纏っているのだけは分かった。残りの力を振り絞って、彼はその衣へと縋り付いて助けを乞う。


 声の主は不思議そうだったが、少し興味を持った様子だった。


『ほう。自身の命乞いをせずにか。その小さき娘にはそれだけの価値があると?』

「ある」


 きっぱりと言い切った彼に、恐ろしいほどの魔力の持ち主は興味深そうに頷いた。


『お前は、私と同じ世界からやってきた。私も、この世界には少し飽いてきた所だ、ヒマつぶしに丁度好かろう』

「アンネロッテを守ってくれるか」


 彼の言葉に騎士は安堵し、手を放す。力無く下がった腕がだらりと揺れ、彼もまた床の上へと倒れこむ。床は冷たく、白かった。その視線の先には眠るアンネロッテの姿。


『ああ。人間の娘など、見るのも久しぶりだから楽しかろう。取り引きと行こうではないか、騎士よ』

「なんでもいい。俺の命が尽きる前にやってくれ」


 彼の言葉に声の主は立ち上がる。恐ろしいほどに整った精悍な美貌。髪は黒く、同じく黒い瞳は鋭い。白い布のような服を着ている男性だ。騎士は知らないが、この世界では“精霊ディオヌス”と呼ばれている存在だ。


『お前の名と、思い出を貰おう』

「ああ、構わない。あと、お前は世話が下手そうだけど大丈夫なのか」

『…ふっ、軽口をたたく余裕がまだあるのか。そうだな、確かに我は人間のことはよく知らぬ』


 きちんと世話ができるとは到底思えない。ディオヌスはしばし思案気にしていたが頷いた。

『クマの姿の獣人がこの森に暮らしている。そやつの知識と姿を借りるとしようか』

「接する時は物腰柔らかくしてやってくれよ。アンネロッテは姫なんだから、さ」

『ああ。ただ、その娘からも代償を貰う。今までの記憶だ』


 ディオヌスの提案にベルハルトは笑った。


「そりゃあいい。悲しい記憶は消してやってくれ」

『良いのか? お前のことも忘れてしまうぞ』


 意地悪そうな声だったが、ベルハルトは頷いた。


「お前は、意外といいやつなんだな。俺が死んだことを知ったらアンネロッテは悲しむ。優しい子だからな…分かってるんだろ」


 ディオヌスは何も答えを返さなかったが、ベルハルトは何も言わなかった。最後の力を振り絞って冷たい大理石を這ってアンネロッテの元まで行く。柔らかい金髪に触れ、白い額にそっと親愛のキスを贈る。


「おやすみ、アンネロッテ。俺の可愛いお姫様…どうか、幸せに」

『安心して眠れ。我が名ディオヌスにおいて契約は成った』


 騎士の命は静かに尽き、契約は交わされた。何も知らない姫は眠り続ける。


 そしてそんなやりとりを見ている、現在のアンナは涙を流して立ちすくんでいた。

 知っていることと、知らないこと。両方が目の前で行われている。クマおじさんが死んでしまっていたこと、精霊と契約をしていたこと。色々なことがショックだった。


 そして何よりも衝撃だったことは…。


「精霊ディオヌスは、ベルンハルトと同じ顔をしているわ」


 ただし、彼女の知っているベルンハルトとは違って冷たく、表情に乏しかった。全てに疲れているような、そんな顔をしていた。アンナの大好きなベルンハルトは違う。穏やかに微笑み、時に怒ったり照れたり…感情豊かだ。


「ベルンハルトに、会わないと」


 アンナの記憶が戻ったということは、契約が破棄されたということだと思われた。そして、ベルンハルトはそれをアンナに選ばせてくれていたではないか。


---どうなさいます、姫様。このまま私が起こして差し上げることもできます。そうすれば、今まで通りあの森にて、私と姫様の生活に戻れますが---


 ベルンハルトの言葉に、事実を知りたいと望んだのはアンナだ。彼自身も、アンナの記憶のことは本当に知らないように思えた。彼がディオヌスなのか、クマの獣人なのかはどうでも良い。

 いつものように姫様姫様とうるさいくらいに世話を焼く、本当は少しやきもち焼きで、嫉妬深い。アンナが共に城で生きていきたいと思ったのは彼なのだ。


 早く目を覚まさねば。ベルンハルトが逃げ出す前に、早く…。


 ゆっくり瞳を閉じる。イメージするのだ。深い水の底から上へ上へと泳ぐように。


 ぐんぐんと意識が浮上し…アンナはゆっくりと目を開いた。




大方の予想通りの精霊でした。

ややこしくなって申し訳ないですが、ベルンハルトはアンナと暮らす森の番人。ベルハルトは王弟であり叔父の騎士で別人です。


次話、アンナの大切なベルンハルト

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