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歯車と星の環  作者: 進藤晶人
第四部 機鋼国 ヴァルガンド
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第14章 因縁(2)

「シンさん………!」


喉の奥から絞り出した声はひどく掠れていた。床にへたり込んだままのアオは、砕けた床材の中へ倒れ伏したシンを見つめている。投げ出された身体は身動ぎひとつ返さず、崩れた床材の中へ力なく横たわっていた。


──呼吸がうまくできない。胸の奥が押し潰されるように痛み、震える指先へ力を込めても涙が止まらなかった。アオは床へ手をついたまま俯き、込み上げる嗚咽を必死に押し殺す。その拍子に、服の内側に隠れていたペンダントが胸元から滑り落ち、揺れる銀鎖の先で小さな赤い石が室内の光を淡く反射した。


零れ落ちたペンダントを見つめるうち、沈んでいた記憶が次々と蘇る。ペンダントを渡してくれたモモ。厳しい言葉の奥で、自分を信じ続けてくれた所長。遺跡を探して研究所を飛び出した日のこと。シンと出会い、地下遺跡を探索したこと。その最奥でフィリアと出会ったこと──。


不意に、遺跡の奥で見た光景が鮮明に蘇る。緑色の液体へ沈められた小さな精霊は苦しそうに身体を縮め、消え入りそうなほど弱々しく瞬いていた。あの時吸い上げられていたのは、体内マナを超えた、生命そのもののエネルギーだ。


アオの呼吸が大きく乱れ、彷徨う視線がペンダントへと落ちる。


『このペンダントは、周囲のマナを少しだけ引き寄せます!』


モモの声が耳の奥へ響き、アオの瞳が大きく見開かれた。


──もし、周囲にマナがなければ……?


頭の中で考えが激しく渦を巻く。戻れなくなるかもしれない。取り返しのつかないことになるかもしれない。それでも、機械へ繋がれたまま苦しむフィリアを、傷だらけのまま動かないシンを、ただ見ていることだけはできなかった。


アオは震える奥歯を強く噛み締め、胸元のペンダントを乱暴に引きちぎった。涙の残る瞳で掲げた拳を凝視し、息を止めると、そのまま床へ叩きつけた。


砕け散った石片が赤い輝きを放ちながら周囲の空気を急速に熱し、足元から巻き上がった風が施設内を駆け抜けた。アオの身体が一度だけ大きく跳ね、胸元を押さえる指先へ力がこもる。胸の奥で異常な熱が脈打ち、血流そのものが逆流するような感覚とともに、身体の内側から凄まじい力が溢れ出す。


胸の奥で逆巻く熱に息を詰まらせながらも、アオは震える膝に力を込めて立ち上がった。唇を引き結び、指先が弓の側面へ刻まれた術環をなぞると、その指先を追うように琥珀色の光が仄かに滲む。揺らぐ空気の中で弓を構え、黒鉄の巨躯へ真っ直ぐ狙いを定める。


「炎の……術環……」


息を吐き出すように呟くと、アオは震える指で弦を引き絞った。熱を帯びた空気の中へ赤い光粒が一粒ずつ滲み始め、揺らめく炎を纏いながら弦の中央へ集まっていく。細長く伸びた炎は次第に矢の輪郭を取り始め、その表面を無数の火花が駆け抜ける。


シンを踏み潰そうと振り上げていた巨躯の脚が止まり、赤い隻眼が弾かれたようにアオへ向けられる。


「なっ……なんだこいつ……!? ここは魔法が使えねぇはずだぞ……っ!」


黒鉄の機体が低い駆動音を漏らしながら一歩ずつ後退してゆく。ゾルトは目を見開き、その視線はアオへ貼り付いたまま動かなかった。


シンの霞む意識には、ゾルトの上擦った声と床を伝う鈍い振動だけが遠く響いていた。


渦巻く熱風が炎の粒子を引き連れながらアオの周囲を巡り、矢の先端へ円形の軌跡を描いていく。浮かび上がった炎の術環は赤い輝きを帯びながら静かに回転を始め、その円環に呼応するように炎の矢はさらに熱を増していった。


アオの呼吸は激しく乱れ、踏み締めた足元も小刻みに震えている。熱気に炙られた吐息は白く揺らぎ、弦を引き絞る指先からは微かに血が滲んでいた。それでも蒼い瞳だけは揺らぐことなく、真正面のゾルトを見据えている。


ゾルトは思わず息を呑んだ。操縦席の中で肩が強張り、頬を伝った汗が顎先から軍服の襟元へ落ちる。


「てめぇ……まさか生命エネルギーをマナに変換してんのか……!?」


ゾルトの言葉に、倒れていたシンの瞼がわずかに持ち上がる。砕けた床材へ手を突き立て、軋む身体を無理やり持ち上げながらアオの方へ視線を向けると、シンは掠れた声を絞り出した。


「アオ……っ!?」


円環の隣に重なるように二つ目の術環が灯る。 薄く透けた光輪の内側では幾何学模様にも似た光の線が複雑に絡み合い、赤く燃える火花の隙間へ青白い閃光が混ざり始めていた。


高密度へ圧縮されたマナが空間そのものを軋ませ、吹き荒れる風が服と髪を激しく巻き上げる中、アオは暴れ狂う力へ耐えるように歯を食いしばった。


「三層……展開……!」


振り絞った声とともに、ひとまわり大きな術環が展開し、三つの術環は互いの縁を重ねながら歯車のようにゆっくりと噛み合っていく。 熱気に満ちた空間の中で、回転する円環が火花を散らし、膨れ上がった炎が渦を巻きながら矢の先端へ集束していく。


アオの蒼い瞳に、滲むように赤が広がり始める。虹彩の奥で揺れていた炎光は徐々に色を濃くし、燃え広がる火の粉を閉じ込めたような赤が、じわじわと蒼色の瞳を侵食していった。


ゾルトは舌打ちを漏らしながら左腕の装甲盾を構える。しかし燃え盛る炎の向こうで揺るがない紅い瞳を前に、黒鉄の機体はじりじりと後退し、その足が床を重く踏み締めた。


紅く染まりゆくアオの瞳を目にしたシンは、床に手をついて上体を起こしながら叫んだ。


「アオ……っ! 無茶だ……! 死ぬつもりか……っ!?」


潰れかけた喉から絞り出す叫びは何度も途切れ、それでもシンは声を張り上げる。しかしアオの視線は真っ直ぐゾルトに向けられたままだった。限界まで引き絞られた弦の中央では、白熱した炎の矢が激しい熱を放ち、周囲の空気は噴き上がる炎熱で大きく歪んでいく。


アオはゾルトを見据えたまま、その炎を解き放った。放たれた炎流が閃光のごとく研究施設を駆け抜け、灼熱の爆炎が吹き荒れる。ゾルトは咄嗟に機体ごと横へ跳躍したものの、掠めた炎が左腕の装甲盾を深く抉り、削り取られた装甲が赤熱しながら溶け落ちていく。さらに吹き荒れる風圧によって、黒鉄の機体は大きく横転した。


爆風の中、シンは腕で顔を庇いながら叫ぶ。


「アオォォォッ!!!」


轟音とともに突き進んだ炎の矢は、施設室奥の強化ガラスを粉々に砕き、その余波だけでフィリアのカプセルと、ギアブレードを固定していた装置群を次々と破壊していく。なおも勢いを失わない紅炎の奔流はヴァルガンド要塞の壁を何層も突き破り、遥か彼方へ消えていった。


爆ぜた熱風が施設内部を吹き抜け、シンは腕で顔を庇ったまま目を閉じた。焼けた金属臭と粉塵が肺へ流れ込み、全身へ走る鈍い痛みが呼吸を浅く削っていく。収まり始めた振動の中、重くなった瞼を押し開いた視界の先で、アオの身体が煙の向こうへ崩れ落ちていくのが見えた。


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