第7話:【house】
その屋敷は、王都の喧騒から離れた静謐な高級住宅街にあり、重厚な石造りの壁は、その内側で行われているおぞましい儀式を完璧に隠蔽していた。高名な哲学者、ファントム・シュピーゲル博士の邸宅である。
「人間とは、苦痛という彫刻刀によってのみ、真の形を削り出される存在なのだよ」
書斎の床に、一人の少女が蹲っていた。シュピーゲルの娘である。彼女の体には、ドレスで隠せない場所に無数の新しい火傷と、鞭による古い傷跡が地図のように刻まれていた。シュピーゲルは、熱した鉄の火箸を暖炉から取り出し、怯える娘の顔の前でゆっくりと回した。
「お前はまだ、素材が悪い。自我という不純物が多すぎる。だから、私が矯正してやる必要があるのだ。これが、愛だよ……」
「ごめんなさい、お父様……もうしません、許して……」
少女の声は恐怖で掠れ、涙と鼻水で顔が歪んでいた。だが、父親の目には、彼女は愛すべき娘ではなく、自分の歪んだ哲学を証明するための実験動物にしか映っていない。彼は火箸を彼女の太腿に押し当てた。肉が焼ける音と、絶叫が防音壁に吸い込まれていく。
「泣くな。これは愛だ。教育だ。外の世界の理不尽さに比べれば、私の管理された暴力など慈悲に過ぎん」
彼は娘の精神を体系的に破壊していた。彼女が自力で思考し、反抗する気力を完全に奪い、自分がいなければ生きていけない依存状態へと追い込むこと。それが、この狂った哲学者の「教育論」であった。娘の瞳からは光が消え、ただ苦痛に耐えるだけの虚無の穴が開いていた。
一方、かつて栄光を誇ったヴェリタス探偵事務所は、それよりもさらに深く、光の届かない地獄の底にあった。
そこはもはや、人間の住処ではなかった。レジュダンボという寄生者が支配する、加虐と陵辱の実験場であった。
地下室の冷たいコンクリートの上で、ナラティブ・ヴェリタスは鎖に繋がれていた。かつて世界をその意志でねじ伏せた最強の探偵は、今や見る影もない。
彼女はレジュダンボの性処理具として、来る日も来る日も貪り喰らわれた。卵子を破壊され、未来を奪われた肉体は、今や現在の尊厳すらも剥ぎ取られ、ただ男の欲望を受け入れるだけの穴へと還元されていた。
「いい声で鳴くようになったじゃないか、ナラ。以前の生意気な目も好きだったが、今の、自分がゴミだと理解した目も最高だよ」
レジュダンボは、事後にナラの顔に唾を吐きかけ、その腹部をブーツの先で蹴り上げた。ナラは身をよじる力すら残っておらず、喉の奥で血の混じった呻き声を漏らすだけだ。痛みと屈辱が日常となり、彼女の精神は摩耗しきっていた。自死することすら許されず、ただ生かされ、犯され、壊されていく。
二階では、さらに残酷な精神の解体ショーが行われていた。
エラーラ・ヴェリタスの脳は、レジュダンボによってさらに食い荒らされていた。もはや彼女の頭蓋の中にあるのは、かつての黄金の知性ではない。虫食いだらけのスポンジのような残骸だ。
「ああ、レジュダンボ様……神様……。今日は、私のどこを召し上がっていただけるのですか?」
エラーラは、涎を垂らしながら、自分を虐待し、脳を食らう男に縋り付いた。彼女は全裸で首輪をつけられ、犬のように床を這いずり回っていた。レジュダンボは彼女の背中に熱した蝋を垂らしながら、その無様な姿を嘲笑う。
「今日は左の前頭葉を少しいただこうか。お前のその、無駄な思考力がさらに消えて、より従順な家畜になれるようにね」
「はい、ありがとうございます、レジュダンボ様! 私はあなたのものです、あなたの排泄物になることが私の至上の喜びです!」
エラーラは、激痛と薬物によって完全に洗脳されていた。彼女の壊れた論理回路は、「レジュダンボ=絶対的な善」というたった一つの誤った公理によって書き換えられている。彼女は自ら進んで鞭を受け、男の暴力を愛の証だと錯覚し、その靴を舐める。知性の頂点にいた女が、自らの意志で尊厳をドブに捨て、加害者を崇拝する肉人形へと成り下がった姿は、死よりも残酷な光景であった。
その日は、霧が深く、肌寒い朝だった。レジュダンボは、「家畜の散歩」と称して、首輪につないだエラーラと、鎖で引いたナラを連れて通りを歩いていた。二人はボロ布を纏い、裸足で、その体には無数の傷跡と精液の跡がこびりついていた。通り過ぎる人々は眉をひそめるが、誰も関わろうとはしない。この国では、強者が弱者をどのように扱おうと、それは「所有権」の範疇なのだ。
レジュダンボは、かつての英雄たちを奴隷として引き連れる優越感に浸りながら、横断歩道に足を踏み入れた。
その時である。
霧の中から、一台の高級魔道車が猛スピードで突っ込んできた。運転していたのは、朝の「教育」を終え、高揚した気分で大学へ向かっていたファントム・シュピーゲル博士であった。彼は新しい哲学論文の構想に夢中で、前など見ていなかった。
ドン、という鈍い音が響いた。
ブレーキ音すらなかった。レジュダンボ──シュピーゲル博士の命令でエラーラとナラティブを拷問していた男──の体は、鉄の塊と衝突し、紙屑のように宙を舞った。そして、頭から舗道に激突し、トマトが潰れるように砕け散った。寄生者のあっけない、あまりにも無様な最期であった。
エラーラとナラは、繋がれていた鎖が千切れ、路上に放り出された。
シュピーゲルは舌打ちをして車を降りた。彼が目にしたのは、潰れた肉塊と、その傍らで呆然としている二人の薄汚い女奴隷だった。
すぐに警察が到着した。だが、彼らは現場を見るなり、即座に結論を下した。
「ああ、シュピーゲル先生。災難でしたな。この男が急に飛び出してきたのでしょう? 明らかな当たり屋だ。先生に過失はありません。正当防衛、いや、不可抗力の事故として処理しておきます」
警察官は、高名な哲学者に揉み手をしながら、レジュダンボの死体をゴミのように路肩へ蹴り出した。この国では、富と名声を持つ者の真実だけが、法となるのだ。
シュピーゲルは、残された二人の女を見下ろした。泥と体液にまみれ、焦点の合わない目で震えているエラーラとナラ。彼は、その姿に、自分の娘と同じ「壊れた玩具」の匂いを嗅ぎ取った。
「……不愉快な朝だ。だが、私は哲学者だ。慈悲を見せねばなるまい」
彼は懐から、違法な劇薬が入った注射器を取り出した。「魂活性化剤」。
脳の神経伝達物質を強制的に過剰分泌させ、一時的に精神を覚醒させるが、その代償として魂を焼き切る、禁断の興奮剤である。
「君たちは自由だ。だが、その壊れたままでは私の美学に反する。せめて、人間らしい仮面を被せてやろう」
彼は抵抗する気力もない二人の首筋に、躊躇なく針を突き刺し、薬液を全量注入した。
ビクン、と二人の体が跳ねた。
次の瞬間、濁っていたエラーラの瞳に、人工的な光が宿った。虚無だったナラの表情に、張り付けたような生気が戻った。
「……あ、ら? 私、何を……?」
「……ここ、は……?」
二人は立ち上がった。その仕草は、まるで何事もなかったかのように自然に見えた。傷だらけの体で、彼女たちは互いを見つめ合い、奇妙なほど穏やかに微笑んだ。
「帰り、ましょう、ナラ君。家へ……」
「ええ、そう、ですわね、お母様。紅茶でも、淹れましょう、か」
それは、完璧な演技だった。薬によって強制的に駆動された、かつての日常の再現。
だが、その瞳の奥は、以前よりも深く、決定的な闇に塗り潰されていた。
彼女たちは「治った」のではない。壊れたまま、動く死体として固定されたのだ。
シュピーゲルは、その空虚な復活劇を満足げに見つめ、車に乗り込んで去っていった。
その日の夕暮れ。シュピーゲルの屋敷の屋上に、一人の少女が立っていた。
彼女は、父親が事故を起こしたというニュースを見ていた。
そして知ったのだ。父が、見ず知らずの薄汚い女たちに「慈悲」をかけ、薬を与えて助けたことを。
「……嘘つき」
少女は、自分の腕の新しい火傷を見つめた。
お父様は、愛だと言った。教育だと言った。
なのに、なぜ私には痛みしか与えず、他人には優しさを分け与えるの?
私は、あの女たち以下なの?
少女の心の中で、何かが完全に砕け散った。
絶望が、彼女の小さな体を支配した。
「もう、いらない」
彼女──アスナ・シュピーゲル、後の世界でのアスナ・クライフォルト──は柵を乗り越え、夕闇に沈む街を見下ろした。そして、躊躇なく虚空へと身を投げた。
数十分後、急報を受けたシュピーゲル博士が屋敷に戻り、顔色を変えて屋下へ駆けつけた。
だが。
そこには、何もなかった。
潰れた死体も、血の跡も、彼女が身に着けていた靴片方すらも。
ただ、アスファルトの上に、奇妙なほど冷たい風が渦を巻いているだけだった。
シュピーゲルは、初めて哲学では説明のつかない恐怖を感じ、立ち尽くした。
物語は「アリシア・ヴェリタス」へと続く。
主題歌:house
https://youtu.be/DbwmxPrqeqI?si=IN57hxujnDeEC04O




