第2話:文脈の破壊者(1)
王都憲兵団本部。
執務室のデスクで、カレル・オータム警部は眉間に深い皺を刻みながら書類に目を通していた。
彼の机には、今日も「殺害予告」と書かれた手紙が山積みにされている。
「警部、またすか。今度はマフィアから『夜道に気をつけろ』と」
部下が呆れたように言った。
カレルは、トレードマークの帽子を目深に被り直し、鼻を鳴らした。
「ふん。法を犯した者が逆恨みとは、片腹痛いわ」
カレル・オータム。
その妥協なき捜査姿勢と、貴族だろうが富豪だろうが容赦なく手錠をかける剛腕から、裏社会では「王都の死神」と恐れられていた。
だが、その正義感ゆえに、彼は組織内でも孤立していた。
上層部は彼を「融通の利かない古物」と疎んじ、部下たちは彼の巻き添えを食うのを恐れて距離を置く。
そんなカレルの、数少ない心安らぐ時間が、獣病院を遠くから見守ることだった。
そして、そこに頻繁に出入りしていた一人の少年――ゴウ・オクトーバーの存在を気にかけていた。
カレルは、ひたむきなゴウに自分を重ねていたのかもしれない。
一方、ゴウは学校からの帰り道、傘も差さずに歩いていた。
最近、王都では凄惨な事件が起きすぎている。
中学1年生の彼にとって、世界はもう、灰色の汚泥でしかなかった。
自宅のポストを開けると、一通の封筒が入っていた。
差出人は不明。
中には、泥と血で汚れた、見覚えのある茶色の帽子が入っていた。
そして、震える文字で書かれた手紙。
『助けてくれ、ゴウ君。奴らに捕まった。君だけが頼りだ。西地区の第3倉庫へ来てくれ……』
「こ、これ……カレル警部の帽子!?」
ゴウの顔から血の気が引いた。
「行かなきゃ……! 僕が助けなきゃ!」
ゴウは走った。
自分の部屋に飛び込み、リュックにありったけの「武器」を詰め込んだ。
自作の閃光弾、煙幕、催涙ガス。
「待ってて、警部! 今行くよ!」
ゴウは雨の中、自転車を漕ぎ出した。
西地区、第3倉庫。
廃棄された工場跡地は、雨音と錆びた鉄の臭いに満ちていた。
ゴウは震える足で、重い鉄扉を押し開けた。
「カレル警部!どこですか!」
返事はない。
広い倉庫の中央には、不気味な紫色の魔法陣が描かれていた。
そして、その奥に人影があった。
現れたのは、カレルではない。
漆黒のローブを纏い、顔の半分が火傷で爛れた男――闇魔術師ゲシュペンストだった。
「誰だお前!警部はどうした!」
ゴウはリュックから自作の閃光弾を取り出し、構えた。
ゲシュペンストは、クククと喉を鳴らして笑った。
「警部?奴はここにはいない。まだな」
「え……?」
「奴は用心深い。簡単には罠にかからん。だが……『正義漢』ゆえの弱点がある」
ゴウの手から、閃光弾がカランと落ちた。
「じゃあ……あの手紙は……」
「餌だよ。お前は、撒き餌だ」
ゴウは逃げようとした。
だが、足元の魔法陣がカッと光り、見えない鎖となってゴウの手足を縛り上げた。
「離せ!離せぇ!」
「暴れるな。警部が来る前に、下拵えをしておかねばな」
ゲシュペンストは、ゴウの顔を覗き込んだ。
その目は、人間を見る目ではなかった。実験動物を見る、冷酷な目だ。
「カレル警部は、多くの犯罪者の人生を終わらせてきた。奴をただ殺すだけでは、我々の気が済まん。奴に究極の『絶望』を与えねばならん」
ゲシュペンストは、ゴウの額に冷たい指を当てた。
「少年。お前には……「自由」になってもらう。『リベラルの呪い』。お前の存在を、世界から自由にする」
ゴウの絶叫が倉庫に響く。
だが、その時。
倉庫の鉄扉が、爆発と共に吹き飛んだ。
土煙の中から、拳銃を構えた巨漢が飛び込んでくる。
カレル警部だ。
彼は、ゴウが誘拐されたという情報を聞き、部下の到着を待たずに突入したのだ。
「ゲシュペンストォォォッ!」
カレルの怒号が空気を震わせる。
彼は魔法陣の中央でぐったりとしているゴウを見つけ、血相を変えた。
ゲシュペンストは、拍手で迎えた。
「素晴らしい。予定時刻通りの到着だ、警部」
「貴様……!子供に何を!」
「おやおや。挨拶もなしか。お前が潰した組織の恨み、たっぷりと晴らせてもらうぞ」
ゲシュペンストが指を鳴らすと、倉庫の影から武装した私兵たちが現れた。
魔導ライフルを構えた兵士が十数人。
「警部。お前の命運もここまでだ」
カレルは冷静だった。
彼はゴウを背に庇い、的確に引き金を引いた。
「ぐあぁっ!」
正確無比な射撃。
私兵たちの武器だけを弾き飛ばし、あるいは脚を撃ち抜いて無力化していく。
「下がっていろ、ゴウ君!すぐに終わらせる! ワシが来たからにはもう大丈夫だ!」
カレルは強かった。
怒りが彼の集中力を極限まで高めていた。
次々と敵が倒れていく。
だが、ゲシュペンストは動じない。
彼はニヤリと笑い、呪文を唱えた。
カレルの巨体が、木の葉のように吹き飛ばされた。
彼は壁に激突し、血を吐いて崩れ落ちた。
ゲシュペントが、倒れたカレルを見下ろした。
「終わりだな、王都の死神。……仕上げだ」
ゲシュペンストは、床のスイッチを押した。
倉庫の床が開き、その下には王都の汚水が流れ込む巨大な地下水路――通称『泥の墓場』が口を開けていた。
「さらばだ、警部。そして透明な少年よ。泥の中で、互いの存在すら認識できずに腐っていくがいい」
カレルの体が、穴へと蹴り落とされた。
そして、ゴウもまた、誰にも認識されないまま、穴へと落ちていった。
二つの影が、暗黒の濁流へと飲み込まれていく。
雨音だけが、倉庫に残された。
王都の地下深く、汚水と廃棄物が流れ着く「泥の墓場」。
冷たい雨が、容赦なく降り注いでいた。
「……ゴウ君……。すまん……。俺が……不甲斐ないばかりに……」
カレルの目には、ゴウの姿がぼんやりと映っていた。
『リベラルの呪い』は、呪いが発動した瞬間に強い因果で結ばれていたカレルだけを例外としたのだ。
「誰か!誰か助けて!」
ゴウは空に向かって絶叫した。
だが、その声は空虚に響くだけだ。地上を行き交う人々の耳には、ただの風切り音や、雨粒が跳ねる音としてしか届かない。
汚水の中を、場違いに軽やかなヒールの音が近づいてきた。
黒いスーツに、黒い傘。
探偵ナラティブ・ヴェリタスが、雨に燻らせながら現れた。
彼女は、依頼されていた「逃げたペット」の反応を追って、この悪臭漂う掃き溜めに迷い込んだだけだった。
ナラの冷たい視線が、二人を見下ろした。
「ナラティブさん!ここです!ここにいます!
助けて!カレル警部が死にそうなんです!」
ゴウは泥だらけの手でナラに駆け寄り、そのズボンの裾を強く掴んだ。
「お願い!早く病院へ!」
しかし。
ナラの反応は、ゴウを凍りつかせた。
彼女は、自分の足元にまとわりつくゴウを見ようともしなかった。
ただ、何かが引っかかったかのように、鬱陶しそうに足を振っただけだ。
「……ん?何か蔦でも絡まったの?気持ち悪い」
ナラの足が、ゴウを振り払う。
ゴウは泥の中に尻餅をついた。
「え……?」
ナラの瞳は、ゴウを映していなかった。
そこにあるのに、脳が「泥の隆起」や「影」として処理してしまっている。
ナラはゴウを無視し、倒れているカレルに歩み寄った。
「カレル警部じゃない!脇腹をやられてるわね……しっかり!」
カレルは、苦痛に歪む顔を向けた。
「……ナラ君か……頼む、ゴウ君を……先に保護してくれ……」
「はあ?……誰?」
ナラは周囲を見回した。
ゴウは目の前にいる。手を振っている。叫んでいる。
だが、ナラは「誰もいない空間」を見て、つまらなそうに鼻を鳴らした。
ナラは、瀕死のカレルを軽々と担ぎ上げた。
そして、踵を返して歩き出す。
ゴウは泣きながら追いかけた。
泥に足を取られ、転び、それでも必死にナラの後ろをついていく。
まるで、親鳥に見捨てられた雛のように。
獣病院の治療室。
まばゆい魔法陣の光が収束していく。
賢者エラーラ・ヴェリタスによる「究極蘇生術」が完了した。
「……ふぅ。内臓が二つほど破裂していたが、繋ぎ合わせたよ。毒も抜いた。これで死にはしないだろう」
エラーラが額の汗を拭う。
カレルが身を起こした。
彼は即座に周囲を見回した。
ベッドの脇に、泥だらけで震えているゴウの姿があった。
「ゴウ君!無事だったか!」
カレルは安堵し、ゴウの肩を抱こうとした。
しかし、その行動は、二人を凍りつかせた。
「……警部!何をしている!」
エラーラが怪訝な顔をする。
「何って……ゴウ君が無事か確認を……」
「何だねそれは?」
カレルは絶句した。
「何って……君たちの病院によく出入りしていた、あの中学生だよ!ケンジ君を慕っていた、あの!」
カレルはゴウの背中を押して、エラーラの前に出した。
ゴウは涙目で、必死に頭を下げた。
「え、エラーラさん……こんばんは……ゴウです……。こないだも……顕微鏡の使い方とか、教えてくれたじゃないですか……」
だが。
エラーラの瞳には、一点の曇りもなく「誰もいない空間」が映っていた。
「カレル警部は……認知機能に障害が出ているようだ。ナラ君、鎮静剤を持ってきなさい」
カレルは呆然とした。
そして、ゴウを見た。
少年は、自分の手が透けているわけでもないのに、誰とも目が合わない現実に打ちのめされていた。
カレルは、ゴウを抱きしめた。
温かい。心臓の音もする。生きている人間だ。
だが、世界はこの少年を「システムエラー」として弾き出している。
エラーラが、興味深そうに眼鏡の位置を直した。
「……ふむ。警部のその『パントマイム』。あまりにも真に迫っている……」
エラーラは魔力を瞳に集中させ、カレルの腕の中をスキャンした。
数秒後、彼女は眉をひそめた。
「フム……奇妙だね。私の魔力探知には、確かに『反応』がある。だが、私の『脳』が、それを人間だと認識することを拒絶している。視覚情報が強制的に『背景』へと書き換えられる?……なるほど。……『リベラルの呪い』か」
「『呪い』?……ならば解けるか?」
カレルが食らいつく。
エラーラは冷淡に首を横に振った。
「無理だ。これはゴウなる物体にかかった魔法ではない。世界にかけられた『呪い』だ。つまり、『世界』はゴウというコンテンツから『自由』になり、ゴウは『世界』というコミュニティから『自由』になったのだ。復元は、私には無理だよ。」
エラーラは興味を失い、部屋を出て行った。
ナラも欠伸をして続く。
部屋には、カレルと、透明な少年だけが残された。
夜になり、リビングからは食欲をそそる匂いが漂ってきた。
カレルは、ゴウの手を引いてリビングへ向かった。
「行こう、ゴウ君。君も腹が減っているだろう」
「……でも、僕……」
リビングに入ると、卓上コンロの上で、霜降りの牛肉がジュウジュウと音を立てていた。
甘辛い割り下の香りが、少年の空っぽの胃袋を刺激する。
エラーラ、ナラティブ。そして獣病院のオーナーのケンジとアリア、そして隣に住むルル。
5人は席につき、卵を溶いている。
カレルは、自分の隣に、物置から持ってきた折りたたみ椅子を勝手に広げた。
「ゴウ君、ここに座りなさい」
ゴウがおずおずと座る。
ナラティブが不審そうにそれを見た。
「……何その椅子。荷物置き?」
ケンジが怪訝そうな顔で言う。
「もう、やめましょうよ。カレル警部……」
「ゴウ君が、ここにいると言っている!」
カレルは大声で答え、自分の皿と箸をゴウの前に置いた。
「俺は後でいい。まずは君が食べなさい!」
「え……でも、警部が……」
「いいから食べなさい。育ち盛りだろう」
カレルは、煮えた肉をゴウの皿によそった。
周囲から見れば、カレルが「無人の皿」に肉を積み上げているだけの、狂気じみた光景だ。
ルルが青ざめる。
「け、警部……。あの……お肉、もったいないです……。誰も座ってないのに……」
「いると言っているだろう!」
カレルが低い声で唸る。
「ここにお腹を空かせた子供がいるんだ!君たちには、この子の飢えも見えないのか!」
場が静まり返る。
エラーラが、やれやれと息を吐いた。
「……好きにさせろ。警部の精神安定のために必要なら、肉の一枚や二枚、安いものだ。さあ、食べるぞ。肉が固くなる」
「いただきます」
ヴェリタス家の面々は、見えない少年の存在を「警部の奇行」として処理し、食事を始めた。
ゴウは、目の前の肉を見つめた。
湯気が立っている。美味しそうだ。
でも、誰も自分を見ていない。
誰も「一緒に食べよう」と言ってくれない。
まるで、盗み食いをしているような、惨めな気持ち。
「……いただきます……」
ゴウは小さな声で呟き、肉を口に運んだ。
極上の牛肉の味がした。
だが、喉を通るたびに、胸が締め付けられるような痛みが走った。
(僕は……ここにいていいのかな……。僕が食べてるこの肉は……本当は警部が食べるはずだったのに……。僕は……ただの……ゴミなのに……)
獣病院のリビングには、湯気と笑い声が満ちていた。
「肉を取りすぎですわ!私の分も残しなさい!」
「ひぃッ!す、すみませんアリアさん! つい貧乏性が!」
「あらあら、ルルは元気でいいじゃない。ほら、エノキも食べなさい」
「そういうナラ君も、肉だけじゃなくて野菜も食べなよ?あ、僕は肉は良いかな……」
賑やかな食卓。
交わされる会話。
その輪のすぐ外側で、世界で一番孤独な少年が、涙の味のするすき焼きを噛み締めていた。
翌日。カレルが公務で外に出ている間、ゴウは病院を抜け出した。
(家に帰ろう。お母さんとお父さんなら……きっと……)
一縷の望みを抱いて、彼は実家へと向かった。
懐かしい我が家。
玄関のチャイムを押す。
「はーい」
優しそうな母が出てきた。ゴウが大好きだった母だ。
「お母さん!僕だよ!ゴウだよ!」
ゴウは母に抱きつこうとした。
しかし。
母は、ゴウの体を避けるように一歩下がった。
その目は、ゴウを映しているのに、焦点が合っていない。
「あら?誰もいないわね?」
母は不思議そうに首を傾げ、ドアを閉めようとした。
「ここにいるよ!お母さん!」
ゴウはドアの隙間に足をねじ込んだ。
母は足元を見た。そこに少年の足があるのに、彼女の脳はそれを「ドアの蝶番の不具合」か何かだと誤認する。
「やだ、ドアが引っかかってるわ……」
母は、ゴウの足をドアで強引に押し潰そうとした。
「痛い!痛いよお母さん!」
ゴウの悲鳴は、母には「軋むドアの音」にしか聞こえない。
その時、奥から白痴の父が出てきた。
「どしたーん?」
「あなた。ドアの調子が悪くて」
「どれ、貸してごり?もっこー、力、入れて!こ!こだよッッッ!こ!こう!こ!こう!こ!こ!こ!こ!ホアッ!!!ホアッ!!!ホアッ!!!フン!!!フン!!!フン!!!トゥアッ!!!」
父が力任せにドアを蹴った。
バキィッ!!!
ゴウの足の骨が砕けた。
「なあぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
ゴウは激痛に転げ回り、庭へと弾き出された。
ドアがバタンと閉まる。
ゴウは悟った。
自分はもう、人間ではない。
世界というシステムが生み出した、処理落ちしたバグデータ。
生きていても、死んでいても、誰も気にしないゴミ。
ゴウは、這いつくばって獣病院の庭に戻ってきた。
カレル警部はまだ帰っていない。
痛みと、寒さと、それらを遥かに超える孤独。
ゴウは、庭の隅にある物置小屋に潜り込んだ。
そこには、まだ彼が集めた薬品が残っていた。
エラーラたちは、この薬品を見ても「誰が置いたか知らないガラクタ」として放置していたのだ。
ゴウは、震える手でビーカーを取り出した。
足の激痛で意識が飛びそうだ。だが、彼の頭脳はかつてないほど冴え渡っていた。
ゴウは、薬品を調合し始めた。
(僕は……生きてるのに、死んでいる。誰も僕を覚えていない。カレル警部だけが覚えていてくれるけど……僕がいるせいで、警部は頭のおかしい人扱いされてる)
カレルの悲痛な顔が浮かぶ。
自分が生きている限り、あの優しい警部は「幻覚を見る狂人」として社会から孤立していく。
(……終わりにしよう。僕というバグを、削除しよう)
ゴウは、青白い液体が入った小瓶を完成させた。
それは、苦しまずに、眠るように心臓を止める毒薬。
彼が最期に作った、最高傑作。
夜。
月明かりが、静まり返った獣病院の庭を照らしていた。
ゴウは、桜の苗木の根元に座り込んだ。
折れた足が痛むが、もう気にならなかった。
ゴウは、小瓶の蓋を開けた。
毒薬は、甘い匂いがした。
「お父さん、お母さん、さようなら。みんな……さようなら。……カレル警部。ありがとう。僕を見つけてくれて。ごめんなさい。僕がいなくなれば……いいんだよね」
ゴウは、一気に毒を煽った。
喉が熱くなる。
視界が揺らぐ。
心臓が、早鐘を打ち、そしてゆっくりと静まっていく。
ゴウの体が、ゆっくりと傾いた。
彼は、桜の苗木に寄りかかるようにして、静かに息を引き取った。
世界から忘れ去られた少年は、誰にも看取られることなく、月夜の庭でただの物体へと変わった。
翌朝。
カレルが血相を変えて獣病院に戻ってきた。
昨夜、ゴウがいないことに気づき、一晩中街を探し回っていたのだ。
「ゴウ君!ゴウ君!……どこだ!」
庭に入ったカレルは、足を止めた。
桜の苗木の根元。
そこに、泥と雨に濡れた、小さな塊があった。
カレルの膝から力が抜けた。
彼は転がるように駆け寄り、冷たくなった少年を抱き上げた。
「ゴウ君……!おい!起きろ!風邪を引くぞ! こんなところで!」
返事はない。
体は氷のように冷たく、死後硬直が始まっていた。
足は不自然に曲がり、手には空の小瓶が握られている。
「……う……うぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
カレルの絶叫が、朝の静寂を引き裂いた。
獣のような、魂を削り取るような咆哮。
母屋から、アリアたちが驚いて飛び出してきた。
彼女たちが目にしたのは、桜の木の下で、何もない空間を抱きしめて泣き叫ぶ、カレルの姿だった。
ナラが呆れたように言った。
「もう、いい加減にしなさいよ!構われたいからって、本当に、一体……何考えてんのよ!」
「な、なんだと!貴様ぁ!……貴様らぁ!!!」
カレルは、ゴウの遺体を抱き抱えたまま、彼女たちを睨みつけた。
その目は血走り、深い憎しみと悲しみに染まっていた。
「ここにいる!……ここにいるんだ!君たちが……世界が無視し続けたせいで!この子は絶望して、自ら死を選んだんだぞッ!」
カレルは、見えない遺体を獣医師ケンジに突きつけた。
「触ってみろ!馬鹿どもが!ここに『命の重さ』があるだろうが!」
ケンジは、おずおずと手を伸ばした。
彼女の手が、ゴウの冷たい頬に触れる。
ケンジが目を見開いた。
「……冷たい。そして……何か質量があります。
見えませんが……確かに『何か』が……」
エラーラが眼鏡を光らせ、近づいてきた。
彼女は魔力を集中させ、カレルの腕の中をスキャンした。
『リベラルの呪い』は、死んでなお強力に作用している。
だが、大賢者の解析能力が、そこに「有機物の塊」があることを検知した。
「……ふむ。確かに、人間の子供サイズの『死体』があるかのようだ。だが、私は知覚していない」
エラーラは淡々と言った。
まるで、珍しい鉱石でも見つけたかのような口調で。
「カレル警部。どうするつもりだ?警察に届けても、誰にも認識されない死体など、ゴミとして焼却されるだけだぞ」
「……もういい。もう、お前たちは、もういい。……俺が生きている限り……ゴウという少年がいたことを、俺だけは絶対に忘れない。……痛みも、無念も、最期の笑顔も……全て背負って生きていく!」
カレルは、涙を流し、震えた。




