第6話:過去の未来が自分です(6)
深夜。探偵事務所。
ナラは、インクで汚れた手を振り回し、三本目の羽ペンをへし折った。
机の上には、くしゃくしゃになった羊皮紙の山。
普段、拳で大男の顎を砕くよりも、この一本のペンを御する方が、彼女にとっては遥かに困難なミッションだった。
彼女が書いているのは、この数ヶ月にわたる一連の事件の顛末書だ。
『件名:学会の論理破綻と時空歪曲』
『報告者:美人の探偵』
文章は拙い。誤字も多い。
だが、そこには確かな真実があった。
大賢者エラーラがいかにして世界の危機を察知し、私財を投げ打って研究を続け、結果として「時空の癌」を切除したか。
その功績が、熱量を持って綴られていた。
「……よし。できた」
ナラは、最後の一行を書き終え、満足げに鼻を擦った。
『結論:エラーラさんの研究は、マジで、世界を救った、だから、金払え』
彼女は羊皮紙を封筒に押し込み、漆黒のコートを羽織った。
夜の帳が下りる王都へ、最後の「仕事」に出かけるために。
翌朝。
学会は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
「これは……」
理事長をはじめとする賢者たちが、ナラの拙い報告書を回し読みし、顔色を変えていた。
彼らの記憶からは「タカシ」という存在は消えている。
しかし、「なぜか予算が枯渇していた事実」と「学会全体を覆っていた正体不明の不快感」は残っていた。
その報告書は、彼らの空白を埋めるミッシングリンクとなった。
「なるほど……?我々は『未知の精神干渉』を受けていたのか!」
「正体不明の『時空ウイルス』が、財務システムを乗っ取っていた……それをエラーラ君が、極秘裏に開発した装置で排除したと!」
論理的には穴だらけの説明だ。
だが、ナラの書いた文章には、有無を言わせぬ「現場のリアリティ」があった。
そして何より、エラーラが完成させた『時空位相・強制置換ゲート』という物理的な証拠が存在した。
「英雄だ……。彼女は、誰にも知られずに孤独な戦いを挑み、勝利したのだ!」
「我々はなんてことをしたんだ!大賢者を路頭に迷わせるとは!」
即座に、予算委員会が招集された。
全会一致で、エラーラへの研究費の満額回答、いや、倍額増資が決定された。
さらに、不当に差し押さえられていた家具や機材の買い戻し費用、慰謝料までもが承認された。
・・・・・・・・・・
数日後。
ヴェリタス探偵事務所。
エラーラは、新調した天体望遠鏡を磨きながら、首を傾げていた。
「ナラ君。学会の連中は、一体どういう風の吹き回しだ?私はただ、一人の老人を故郷に帰しただけなんだが」
エラーラにとって、この数ヶ月の苦難は「原因不明の財政難」であり、タカシという敵の存在は「認識できないノイズ」として処理され、記憶から抜け落ちているのだ。
ナラは、紅茶を啜りながら、悪戯っぽく微笑んだ。
「いいじゃない、お母様。日頃の行いが良かったのよ、きっと。それに、あの『時空ゲート』が凄い発明だったのは事実だし」
「ふむ……。私の天才性がようやく再評価されたということか」
エラーラは、満更でもなさそうに頷いた。
そして、ふと真顔になり、ナラの方を向いた。
「……だが、分かっているよ。今回の件、影で動いていたのは君だろう?」
ナラは、カップを置いた。
「何のこと?」
「学会に提出されたという『謎の報告書』。筆跡鑑定をするまでもない。あのミミズがのたうち回ったような字は、君のものだ」
エラーラは、呆れたように、しかし温かい目でナラを見つめた。
「……文章は0点。論理構成も破綻。……だが、君のその『行動力』と『直感』だけは……100点を与えよう」
それは、大賢者からの最大級の賛辞だった。
ナラは、照れ隠しに顔を背けた。
「……フン。あたしはただ、晩御飯のおかずを豪華にしたかっただけよ」
「素直じゃないねぇ。まあいい。感謝するよ、相棒」
・・・・・・・・・・
夕暮れ時。
王都の中央広場にそびえ立つ、巨大な時計台。
その頂上、巨大な時計の針の上に、ナラは立っていた。
風が強い。
漆黒のコートがバタバタとはためく。
眼下には、王都の街並みが広がっている。
石造りの建物、ガス灯の明かり、行き交う馬車と人々。
ナラは、空を見上げて呟いた。
「中身のない人間は、世界からも忘れ去られる……か」
彼女は、自分の胸に手を当てた。
ここには、物語がある。
スラムで泥水を啜った記憶。
エラーラと出会い、ドレスを着て、言葉を学んだ日々。
そして、数々の事件を解決してきた誇り。
「あたしは生きるわよ。自分の足で立って、自分の言葉で語れる物語を紡いでいく」
彼女の脳裏に、あのアキラ老人の言葉が蘇る。
『金なんざ、紙切れだ』
その通りだ。
最後に残るのは、その人間がどう生きたか、という軌跡だけなのだ。
懐の魔導端末が鳴った。
「……はい、お母さま」
『ナラ君!一体どこで油を売っている!緊急事態だ!』
通信機から、エラーラの興奮した声が響く。
王都上空に、異常なマナの渦を観測した!どうやら、古代竜が復活したらしい!規模は「国家転覆レベル」。……燃えるだろう?』
ナラは、口元を吊り上げた。
ニカっと、凶暴で、美しい笑み。
「ええ、最高ね。退屈しなくて済みそうだわ」
ナラは、通信を切った。
時計台の鐘が鳴り響く。
街に夜が訪れる。
ナラは、躊躇なく時計台の縁を蹴った。
地上100メートルからのダイブ。
風が顔を打ち、重力が彼女を捕まえようとする。
だが、彼女は恐れない。
彼女は知っている。
この落下の先には、地面ではなく、次なる「物語」が待っていることを。
眼下には、無数の光。
その一つ一つに、人々の営みがある。
それを守るのが、理屈屋の大賢者と、腕っ節の強い探偵の仕事だ。
ナラティブ・ヴェリタスは、夜の闇へと飛び込んだ。
その姿は、まるで一筋の流星のように、王都の空を切り裂いていった。
彼女たちの戦いは終わらない。
知性と暴力が、互いに背中を預け合う限り。
物語は、永遠に続いていくのだ。




