第3話:爆発屋さん(3)
壁の巨大モニターには、王都のニュース番組が映し出されている。
キャスターが淡々とした口調で、ある凶悪犯の判決を報じていた。
『……被告人に対し、王都地方裁判所は「即時死刑」の判決を下しました。弁護側は情状酌量を求めましたが、却下。我が国の「経済合理性優先法」に基づき、被告は本日中に……』
ソファに深く沈み込んでいたナラは、手元のコーヒーを一口啜り、静かに頷いた。
「妥当ね」
彼女の眼差しは、画面の中の被告人――手枷足枷をされ、怯えて泣き叫ぶ男――に向けられているが、そこに同情の色は一切ない。
「罪に対する償いはできないし、遺族の感情も理解できない。死刑の本質は、物語に『完』の文字を打つことよ」
ナラにとって、世界は巨大な物語であり、犯罪者はその整合性を乱すバグだ。
バグは削除するに限る。そこに感情を挟む余地はない。
しかし、その冷徹な論理に、リウは異を唱えた。
「私は、判決には賛成ですけれど、世論の『無期懲役』派の意見には、ヘドが出ますわ!」
彼女は、スプーンでプリンを突き崩していた。
「いいですか、ナラティブさん。この国は世界一の経済大国ですのよ?生産性のない犯罪者を、税金を使って生かし続けるなんて、コストパフォーマンスが悪すぎますわ!牢屋の電気代、食費、看守の人件費……。そんなお金があったら、新しい爆弾の開発費に回すべきですわ!」
リウは、プリンを一口で頬張り、熱弁を振るう。
「生かしておく意味が分かりませんわ。価値のない人間は、1秒で殺して、1秒で焼いて、灰を肥料にする!これこそがエコでクリーンな社会のあり方ですわーッ!」
リウの主張は、極めて、残酷なまでに合理的だった。
彼女にとって、他者の命は「資産」か「負債」でしかない。
負債は即座に損切りする。それがヴァンクロフト家の流儀であり、彼女の乾いた倫理観だ。
ナラは冷徹な「秩序」を求め、リウは退廃的な「効率」を求める。
二人の会話には、被告人の「痛み」や「魂」への配慮など、1ミクロンも存在しなかった。
そう、『見えていた』。
あの一言が、部屋の空気を凍らせるまでは。
「……それは違います」
声の主は、ニーナだった。
彼女はティーポットを持ったまま、直立不動でニュース画面を凝視していた。
その手は白く変色するほど強くハンドルを握りしめ、瞳には暗い炎が宿っていた。
普段はリウの奇行に怯え、ナラの冷淡さに戸惑うだけの、か弱い少女。
その彼女が、初めて明確な意思を持って、主人たちの会話に割って入ったのだ。
「あら、ニーナ。何が違いますの?貴女も、税金の無駄遣いは嫌いで……」
リウが話を遮り、不思議そうに首を傾げる。
「コストの問題ではありません。」
ニーナは、リウの黄金の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
そこには、「当事者」だけが持つ、血の通った「執念」があった。
「『無期懲役』の意味を、お忘れですか?それは、単に牢屋に閉じ込めることではありません。『魔法的蘇生措置を伴う、永続的な拷問刑』のことです」
ナラが眉をひそめた。
「ええ、知ってるわよ。人権団体が『残忍すぎる』と抗議している、あの野蛮な刑罰でしょう?だから私は反対なのよ。物語がいつまでも終わらないなんて、美しくないわ」
「美しく、ない……?」
ニーナは、冷たく、乾いた笑いを漏らした。
「美しくないからこそ良いんでしょう。世論が……そして被害者たちが、なぜ莫大な税金を払ってまで、物語を長引かせてまで『無期懲役』を求めるのか。それは、『死』という安易な逃げ道を与えたくないからです」
ニーナは、テレビ画面の中の、安らかな死を与えられようとしている男を指差した。
「死刑は一瞬です。……それは、極悪人にとっては『逃げ』なんです。自分が奪った命の重さを、自分が壊した尊厳の深さを理解する時間もなく、ただスイッチが切れるように終わる。……そんなの、ズルいじゃありませんか」
ニーナの声が震えた。
それは理論ではない。
魂の底から湧き上がる、どす黒い感情の奔流だった。
リウは、スプーンを置いた。
彼女の顔から、退廃的なダルさが消え、捕食動物のような鋭い光が宿った。
「……ニーナ。貴女、さては、『個人的』な話ですわね?……教科書通りの一般論を話しているわけでは、ありませんわね?」
「……はい」
ニーナは、ポットを置き、自身のメイド服の襟元を少しだけ寛げた。
「おふたりは、ご存知ですか?数年前に王都を震撼させた、『キメラ解体事件』を」
「ああ、聞いたことがあるわ」
ナラが答える。
「狂った錬金術師が、拉致した市民を素材にして、人体実験を行った事件ね」
「そうです。犯人は、4人の市民を誘拐しました。70歳の老人男性。65歳の老人女性。10歳の少年。そして、12歳の少女です」
ニーナの視線が、虚空を彷徨う。
「犯人は、彼らを殺しませんでした。生きたまま、魔法で感覚を鋭敏にさせた上で……解体しました。腕を切り落とし、内臓を引きずり出し、脳の一部さえもスライスして。すべてバラバラの部品にして……そして、再構築したのです」
「……」
ナラが不快そうに顔をしかめる。
「老人の腕を少女に。少年の脳を老婆に。性別も、年齢も、DNAさえもグチャグチャに混ぜ合わせて……。犯人は、『自分が何者なのか分からない4人の肉塊』を作り出しました。彼らは鏡を見ても、自分が誰か分からない。悲鳴を上げようとしても、知らない老人のしわがれた声が出る。記憶も混濁し、少年の記憶で母親を呼ぶのに、体は老婆のもの……。犯人は、そのアイデンティティが崩壊した4体を檻に入れ、毎日そう問いかけながら拷問しました」
リビングの空気が、外の吹雪よりも冷たく凍りついた。
それは単なる殺人よりも、遥かに冒涜的で、魂の在り処そのものを強姦する所業だった。
「その時の被害者の一人……『12歳の少女』が、私です!」
ニーナは静かに告げた。
「私は、あの日、死にました。いえ、正確には『私』という輪郭が溶けて、老人や少年と混ざり合って、ドロドロのスープになりました。自分が誰か分からない恐怖。自分の指が、誰かの指に変わっている気味の悪さ。……あの絶望は、死ぬことよりも深い、永遠の闇でした」
ニーナは、胸の傷跡を押さえた。
「事件解決後、私たち4人は……もう、元の形には戻りませんでした。あまりにも複雑に混ざりすぎていたからです。ですが、王都最高の魔法使い……エラーラ・ヴェリタス様が、奇跡を起こしました」
「……お母様が?」
「はい。エラーラ様は、わずかに残った私の魂の核を抽出し、失われた肉体を培養槽で再生し、無理やり定着させてくださいました。他の3人は……助かりませんでした。私だけが、エラーラ様の執念のおかげで、人の形を取り戻したのです」
ニーナは涙を流した。
「エラーラ様は、私の精神崩壊を防ぐために、事件の記憶を封印しました。でも……魂が覚えているんです!」
ニーナの叫びが響く。
「記憶がなくても、魂が覚えている。肉を切り刻まれた感触。自分ではない誰かの心臓が、自分の中で鼓動する不快感。……夜になると、傷跡が疼くんです。『あいつを許すな』と。『あいつを楽にさせるな』と、私の中で死んだ他の3人の魂が叫ぶんです!」
彼女は、断固として言った。
「だから、私は、意志を受け継いだ!……訴えました!訴えたんです!犯人を、即時死刑ではなく、無期懲役にすべきだと!私たちの味わった『自分が自分でなくなる地獄』を、あいつにも永遠に味わわせるべきだ、と!経済性?秩序?それは、『心が平和なときに余暇で行うただのレジャー』です!私のこの傷が癒えない限り、私は『もう一度生きはじめる』ことができない!」
静寂が戻った。
ナラは、コーヒーカップを持ったまま動かなかった。
彼女の「死刑信仰」は、あくまで被害者以外の「他者の秩序の回復」を目的としたものだ。
だが、ニーナの話す悪は、秩序を回復させるだけでは償いきれない、「当事者の存在の冒涜」だった。
「……汚いですわね」
ポツリと、リウが呟いた。
彼女は、手に持っていたスプーンを、カランと皿に置いた。
「汚い!?私が!?」
ニーナが問う。
リウは、ゆっくりと体を起こした。
その黄金の瞳は、先ほどまでの「退屈」や「経済性」といった色を完全に失い、深く、冷たく、そして鋭い「審美眼」の輝きを放っていた。
「いいえ。……犯人が、ですわ。素材への敬意が、微塵も感じられませんもの」
「素材ですって!?私が!?」
リウは、ニーナに歩み寄り、その襟元の傷跡をそっと指でなぞった。
その手つきは、美術品を鑑定するかのようだ。
「ええ。……破壊というのは、その対象の『在り方』を尊重してこそ美しいのですわ。花瓶なら、花瓶としての形を保ったまま砕け散るから美しい。人間なら、人間としての尊厳を保ったまま、赤い花火となって弾けるから美しい。素材の良さを無視して、グチャグチャに混ぜて、わけの分からないものにするなんて……。それは『破壊』ではありませんわ。ただの『汚損』です……」
リウの声には、静かな怒りが滲んでいた。
それは、けして正義感ではない。
自らが愛する「破壊」という行為を、下劣な混ぜ物で汚されたことへの、芸術家としての憤りだ。
「美しくありませんわ。再構成?笑わせないでくださいまし。それは、生ゴミですわ。そんな無粋なことをする輩に、私が愛する『死』という安息を与えるなんて……爆発への冒涜ですわ」
リウは、ニーナの瞳を覗き込んだ。
「ニーナ。貴女の言う通りですわ。ごめんなさいね。そんな醜いことをした男には、私の美学も、ナラティブさんの合理性も適用外ですわ。ええ、賛成します。その男は、永遠に地下牢で泣き叫び続けるべきですわ」
リウは、あっさりと前言を撤回した。
彼女にとって「美しくない破壊」は罪であり、罪人は「綺麗な死」を迎える資格すらないのだ。
「……やれやれ」
ナラが、ため息をついてカップを置いた。
彼女もまた、その冷徹な仮面の下にある、探偵としての矜持を覗かせた。
「私も、訂正するわ。死刑は『物語の終了』だと言ったけれど……。その犯人の物語は、あまりにも支離滅裂で、文法が破綻しているわ」
ナラは、ニーナを見た。
「綺麗なピリオドを打ってやる義理はないわ。終わりのない地獄を彷徨えばいい。『完』の文字すら勿体無いわ」
ナラの「死刑信仰」は、あくまで「美しい物語」に対してのみ適用される。
物語の体を成していない冒涜者には、終わりのない苦痛という「校正」が必要なのだ。
ニーナは、泣き崩れた。
主人たちの言葉は、他人行儀な上から目線の正論の慰めや、その場の空気に合わせた当てずっぽうな共感の同情とは違っていた。
「美しくない」「脚本が悪い」。
それはあまりにも人間味のない、冷徹な、残忍な、狂気の理屈だった。
だが、だからこそ救われた。
感情論ではない。
彼女たちの持つ、魂からの超然的な「美学」と「哲学」において、あの犯人は許されないと断罪されたのだ。
それは、ニーナの抱えるドロドロとした復讐心を、肯定してもらえた瞬間だった。
リウが、ニーナの頭を撫でた。
普段は破壊衝動に任せて暴れるその手が、今は驚くほど優しかった。
「ニーナ。もし、その男が拷問に耐えきれなくなって、あるいは法律が変わって、死刑になりそうになったら……教えてくださる?」
「え?」
リウの瞳が、ギラリと黄金に輝いた。
そこには、純粋な怪物の笑みがあった。
「私が、ヴァンクロフトの権力と財力を使って、その牢獄を買い取りますわ。そして、私が直接、その男を『教育』して差し上げます。私の破壊は、貴女の受けた傷よりも、もっと絶望的でしてよ?死ぬことすら許さず、細胞の一つ一つが『生まれたくなかった』と後悔するような、極上の地獄を見せてあげますわ」
それは、怪物なりの約束だった。
国家が許しても、法が裁きを終えても、この黄金の獣が「地獄」を担保してくれる。
「絶対に楽には死なせない」という、最も残酷で、最も力強い味方。
ニーナは深く頭を下げた。
この屋敷には、常識も倫理もない。
女主人は熱血の破壊魔で、探偵は熱血の冷血漢だ。
だが、その「深い闇」と「歪な美学」こそが、ニーナの抱える「癒えない傷」を理解し、守ってくれる唯一の盾なのかもしれない。
猛吹雪の北都。
外の世界のどんな正義よりも、この閉ざされた氷城の闇の方が、彼女たちには温かいのかもしれない。




