第2話:極道裁判長(2)
「……被告人を、懲役15年に処する」
時が止まったようだった。
傍聴席の遺族たちは、その言葉の意味を理解するのに数秒を要した。
20人の子供を、快楽のために無残に殺害した悪魔が。
たったの15年。
子供たちが生きていれば享受できたはずの未来よりも、遥かに短い時間。
「……う、嘘だろ……」
最前列の父親が呻いた。
その直後、爆発的な歓喜の声が上がった。
被告人席のスネークだ。
「っしゃああああああッ!勝ったァァァァッ!」
スネークは両手を突き上げ、ガッツポーズをした。
隣の弁護士とハイタッチを交わし、満面の笑みで飛び跳ねる。
「15年!たったの15年だぜ!模範囚やりゃあ10年でシャバだ!俺はまだ30代!人生これからじゃねぇか!法律バンザイ!人権バンザイ!」
遺族たちが泣き叫び、柵を乗り越えようとする。
警備員たちが必死に抑え込む。
キリハラは、鉄仮面のまま、事務的に告げた。
「判決理由は以下の通り。被告人の犯行は極めて残虐であるが、幼少期の虐待による精神的影響、および犯行時の心神耗弱状態が認められる。更生の可能性は否定できず、極刑は回避されるべきである……」
「……クソが」
ナラは、椅子を蹴り飛ばして立ち上がろうとした。
「殺す!今ここで、あいつの喉笛を食いちぎってやる!」
「待て、ナラ君!」
エラーラが必死に腕を掴む。
「法廷での殺人は、君が裁かれることになる! 落ち着け!」
「落ち着いてられるかっての!あれを!」
ナラが指差した先。
スネークは、泣き崩れる遺族たちに向かって、腰を振り、ベロを出して挑発していた。
「おいおい、泣くなよババア!あんたらのガキが運良く俺のオモチャになっただけだろ?ま、10年後に出てきたら、また遊んでやるからさ!それまでに新しいガキ作って待ってな!ギャハハハハ!」
それは、人間の皮を被った悪魔の所業だった。
遺族の母親が泡を吹いて倒れる。
法廷は阿鼻叫喚の地獄と化した。
スネークは、警備員に促され、退廷しようとした。
勝利の凱旋パレードのように、悠々と。
その時だった。
「……おい」
マイクを通していないはずのその声は、法廷の喧騒を切り裂いて、全員の鼓膜を震わせた。
地底の底から響くような、重低音。
スネークが足を止める。
振り返ると、そこにはキリハラ裁判長がいた。
だが、様子がおかしい。
彼は、完璧に整えられていた法服の襟を、乱暴に寛げていた。
銀縁眼鏡を外し、それを机の上に放り投げた。
整髪料で固めた髪を、手でガシガシとかき乱した。
キリハラは、退廷しかけたスネークを、猛禽類のような眼光で睨みつけていた。
「ああ…………どこ、行くつもりだ。ま、座れや」
「……は?裁判長?」
キリハラは、裁判官席の机の上に、あろうことか片足をドカッと乗せた。
そして、身を乗り出した。
その顔からは「鉄仮面」が消え失せ、代わりに浮かんでいたのは、修羅場を潜り抜けてきた「本職」の凄みだった。
「誰が帰っていいっつった?裁判はまだ終わってねぇぞ。おあ、戻ってこい。そこに直れや」
法廷が静まり返る。
警備員も、弁護士も、ナラティブさえも、その異様な迫力に息を呑んだ。
「さ、裁判長?何を……」
弁護士が震える声で言う。
「うるせぇチンピラ!」
キリハラの一喝。
空気がビリビリと震える。
「俺がな?座れ……っつってんだ。おりこうに座れ。ま、よぉく聞けや。……ここからは『判決』じゃねぇ。おめえへの『説教』だ」
スネークは、訳も分からず被告人席に戻された。
「なんだこのおじさん!?……15年って決まっただろ!……」
キリハラは、懐から煙草を取り出し……火をつけた。
そうして、スネークを指差した。
「てめぇさ、さっき遺族に向かって何つった?な?」
キリハラの声が、怒りで震えている。
「てめぇ……心ってもんがねぇのか!あのお母ちゃんたちが、毎日毎日、あの子の笑顔を思い出して、会いたくて、抱きしめたくて、それでも二度と会えねぇ絶望の中で生きてんだぞ!」
キリハラは、机を拳で殴りつけた。
「それをてめぇはさ……ヘラヘラ笑いながら……!運が悪かった?オモチャ?なめたることしとんじゃねえき!人間てえは、誰かのオモチャになるために生まれてきたんじゃねぇ!幸せになるために生まれてきたんだよ!」
スネークが怯んで後ずさる。
「だ、だって……俺は病気で……」
「ああん!?まだ甘ったれたこと抜かすんき?」
キリハラは立ち上がり、怒鳴り散らした。
「病気なら何してもいいんか!なら風邪ひいたら、てめんの嫁はんハジキで撃ち抜いたるぞ?えんか?ええんか?ええんよな?え!え!ん!よ!な!世の中にはなぁ!『風邪ひいてもカタギをブチ殺さない』奴が五万といるんだよ!……同じじゃねえか!風邪ひいたら布団入るよなあ?布団入ったら寝るよなあ!だったら寝る前に毎日てめえの周りを一人ずつ殺していいってことじゃあねえか!」
キリハラの言葉は、正論の刃となってスネークを切り刻んだ。
「てめぇはなぁ、ただの『臆病者』だ!戦う根性がねぇから、自分より弱い子供を甚振って、強い気になってただけのクズだ!勝てる相手にだけ戦うみてえな裏ワザばかり使ってえと、自分の弱さを社会のせいにして、逃げ回るだけのモグラ野郎になっちまうんろ!あ?ほら!ああ?話聞いてん時目ぇそらすな!テメなめとん?おあ?俺の目ぇ見ろ!俺の目ぇ見ろ!俺の目ぇ見ろ!」
「ひっ……!」
スネークは耳を塞いだ。
図星だった。
どんな尋問よりも、この「極道説法」は、彼のコンプレックスを的確に抉り出した。
「俺の目ぇ見んなボゲ!気持ちわりいんだよ!俺の目ぇ見んな!オカマかてめえは!遺族の目え見んかい!てめぇが壊したもんの重さを、その腐った根性で受け止めんかい!」
10分にも及ぶ罵倒と説教。
スネークは涙目になり、小さくなっていた。
法廷の空気は、完全にキリハラが支配していた。
すると、不意に。
キリハラの声色が、ふっと柔らかくなった。
「……ハァ。情けねぇ……。あまりに情けなくて、涙が出てくらぁ……」
キリハラは、スネークを、どこか哀れむような目で見つめた。
「な。な、坊主。てめぇの資料さ、全部読んだよ。……ガキの頃、親父に殴られてたんだってな。寒かったろう。痛かったろう。誰かに、助けてほしかったろう……俺もな、その気持ち、わかんだよね……」
スネークが顔を上げた。
キリハラの目には、確かに「慈愛」のような色が浮かんでいた。
「誰もな?お前を、愛してくれなかった。だからお前は……愛し方を知らなかった。歪んじまったんだ。悲しいガキ。それがお前だ。そしてな?おじさんもな、昔はそうだった。同じだったんよ。お前の気持ち、分かるよ。辛かったんだよな……」
スネークの目から、涙が溢れた。
それは演技ではなかった。
初めて、自分の内面の孤独を、誰かに理解された気がしたのだ。
「う……うぅ……!そうなんだよ……!俺だって、辛かったんだ……!誰も俺を見てくれなかったんだ……!」
キリハラは頷いた。
「俺もなぁ、昔はロクなもんじゃなかった。泥水すすって生きてきた口だ。だからな、分かる。お前は……根っからの悪党じゃねぇ。ただな、ボタンを掛け違えちまっただけの、ただ、それだけなんだよな。寂しかったよな」
「うわぁぁぁん! 裁判長ぉぉぉ!」
スネークは泣き崩れた。
遺族たちがざわめく。
だが、キリハラは優しい顔でスネークを見つめ続けた。
「泣くな、坊……」
「は、はい……グスッ……」
「いいか。俺はなぁ。俺はなぁ……お前に『更生』してほしいんだ。こんなところで腐ってないで、真っ当な人間になってほしいんだ。……お前なら、できるよな?」
スネークは、希望の光を見た。
この強面の裁判官は、自分を信じてくれている。
更生を期待してくれている。
つまり、生きて償えと言ってくれているのだ。
「できます! やります!俺……心を入れ替えます!二度としません!真面目に生きます!」
スネークは、すがるように叫んだ。
キリハラは、ニカリと笑った。
それは、仏のように慈悲深い顔だった。
「そうか。そう言ってくれるか。嬉しいぜ、おじさんはよぉ!おじさんはな!おじさんは、おめえを助けるよ!」
キリハラは、手元の木槌を、強く握りしめた。
「特別にくれてやるよ。『新しい人生』をな」
「!?」
スネークの顔が輝いた。
キリハラは、優しく、本当に優しく言った。
「ああ、本当だとも。一週間だ」
「……え?」
スネークの笑顔が固まった。
「一週間やる。牢屋の中で、誰にも邪魔されず、静かに自分を見つめ直す時間だ。好きなもん食って、好きな本読んで、しっかり眠れ」
スネークは、言葉の意味を理解しようとして、脳が拒絶した。
「い、一週間って……それじゃあ……」
「そだよ?」
「……!」
キリハラの瞳から、慈愛の光が消えた。
そこにあるのは、絶対零度の冷徹さと、燃え盛る業火のような断罪の意志。
「20人もブチ殺しといて、のうのうとシャバの空気が吸えると思うなよ。『落とし前』ってのはなぁ……命で払うもんなんだよ」
スネークが腰を抜かしてへたり込む。
「だ、だって!15年って!さっき15年って言ったじゃないか!」
「誰がそんなこと言ったんだよ?てめえさてはウソつきだろ!なあ?デタラメぶっこいてんじゃねえぞ?……なあ?……てめえら!俺がいつ15年って言った?言ってねえよなあ?言ってねえよなあ?……なあ!……ほら!てめえがウソついてんじゃねえか!てめえ人ブチ殺しといてウソまでつくんか!」
キリハラは、ドスの利いた声で一喝した。
「ホトケの顔も3度までって言うだろ?俺は……ホトケじゃねえんだよ。ホトケはてめえがブチ殺したガキたちだろうが!……俺はな、俺は、ホトケの声が聞こえんだよな。……あー聞こえる、あー聞こえるぞー、なるほどなるほど。なるほどな……主文の変更を言い渡す!」
キリハラは、木槌を振り上げた。
「被告人を『死刑』に処する!……ただし!絞首刑の直後、蘇生班によって即座に蘇生させる!生き返ったら、死の恐怖に震えさせて、また吊るす!それを繰り返す!」
キリハラの咆哮が、法廷を揺るがす。
「死刑!蘇生!死刑!蘇生!死刑!計3回だコラァッ!処刑マラソン!楽しいじゃねえか!」
二度目の木槌で、頑丈な裁判官席の机が真っ二つに割れた。
「いやだぁぁぁ!助けてくれぇぇぇ!3回も死にたくないぃぃぃ!」
「一回死んだくらいじゃ、ガキどもの無念とは釣り合わねぇってよ。いやー俺だってやり過ぎとは思うよー?でもなあ、ホトケ、三人いたんだよな。三人そう言ってんだから3回だよ。仕方ないよな?……な?……ホトケさんがそう言ってんだからちったあホトケの顔立てろや!」
スネークが泡を吹いて倒れ込み、泣き叫びながら床を這いずり回る。
失禁し、鼻水を垂らし、かつて子供たちに見せた残虐性の欠片もない、無様な姿。
「人権侵害だ!一事不再理の原則に反する!」
弁護士が叫ぶが、キリハラは一睨みで黙らせた。
「じゃかあしい!やるか?やんのか?ここじゃあ俺が法律だ!」
キリハラは、刑務官たちに顎でしゃくった。
「連れて行けぇッ!こいつの門出だ!盛大に祝ってやれ!」
「助けてェェェ!」
「だーかーらー!助けるっつってんじゃねえか!安心しろって!おめえが死ぬのを俺が直々に助けてやるんだよ!大丈夫だって!安心しろよ!」
屈強な刑務官たちが、ゴミを見るような目でスネークの両脇を抱え、引きずっていく。
スネークの爪が床を引っ掻き、嫌な音を立てる。
だが、誰も彼を助けようとはしなかった。
スネークの絶叫が退廷口の奥へと消えていく。
一瞬の静寂。
そして。
法廷は、割れんばかりの拍手と、遺族たちの慟哭に包まれた。
母親たちが、キリハラに向かって深々と頭を下げる。
父親たちが、涙を流しながら拳を突き上げる。
キリハラは、法服の乱れをバサッと直し、眼鏡をかけ直した。
そして、ヤクザなど見たことがありませんとでも言いたげな、澄ました「鉄仮面」の表情に戻った。
「……閉廷」
それだけ言い残し、彼は風のように去っていった。
その背中には、法服の下に隠しきれない、熱く、激しい「仁義」の二文字が漂っていた。
傍聴席で、ナラは椅子に深くもたれかかり、天井を見上げて大きなため息をついた。
「……はぁ。心臓に悪いわね、あのヤクザ」
エラーラも、珍しく口元を緩めていた。眼鏡の位置を直す手が、少し震えている。
「一事不再理の無視、判決の即時撤回、そして死刑の多重執行……。どれをとっても前代未聞の超法規的措置だ。……だが」
エラーラは、泣いて喜ぶ遺族たちを見た。
「これ以上ない正解だ。一度犯人を増長させ、その上で地獄へ突き落とす。最高の演出をしたわけだ」
ナラは、スッキリとした顔で立ち上がった。
「死ぬまでの一週間が『新しい人生』ってわけね……」
ナラは、出口へと歩き出した。
その足取りは軽い。
「たまには『お上の裁き』ってのも悪くないわね」
「帰るぞ、ナラ君……」
二人は、歓声の止まない裁判所を後にした。
王都の法は歪んでいる。
だが、そこには確かに、六法全書の隙間から「仁義」という名のドスを突き立てる、恐ろしくも頼もしい番人がいた。




