第1話:極道裁判長(1)
王都第4工業地区跡地。
かつて魔導重機の生産で栄えたこの場所は、今や赤錆と廃油の臭いが鼻をつく、巨大な鉄の墓場と化していた。
その墓場の中心で、ナラティブ・ヴェリタスは膝をついていた。
祈りを捧げているのではない。
彼女の膝の下には、一人の男の背中があった。
「ぐ、ぐうっ……!い、痛ぇよぉ!腕が折れる!」
男の名はスネーク。
王都の未解決行方不明事件――その被害者である児童20名の遺体を、この廃工場の地下で「コレクション」していた快楽殺人鬼だ。
発見された遺体は、どれも見るも無残な状態だった。彼にとって殺人とは、玩具を分解するのと同義だったのだ。
「……痛い? 折れる?」
ナラは、スネークの腕をさらに強引に捻じ上げた。骨がミシミシと悲鳴を上げる。
「アンタに壊された子供たちは、もっと痛かったはずよ。
『痛い』と泣き叫ぶ声を録音して、毎晩ワインのつまみにしていたアンタが……自分の痛みには随分と敏感なのね」
「ひぃッ! ご、ごめんなさい! 謝るから!」
スネークが悲鳴を上げたその時、工場のシャッターが激しい衝撃音と共に揺れた。
「出てこい! 殺人鬼!」
「子供を返せ! この悪魔!」
「殺してやる! 八つ裂きにしてやる!」
工場の外には、既に数百人の群衆が押し寄せていた。
被害者の遺族、報道を見て激昂した市民、そして松明を手にした自警団。
彼らの怒りは頂点に達しており、警察の規制線などとうに決壊していた。
「ひっ……! き、聞こえるだろ!?あいつら、俺を殺す気だ!おい探偵! 俺を守れよ! 依頼人を守るのが仕事だろ!?」
スネークは、ナラを見上げてニヤリと笑った。恐怖に歪んではいるが、その瞳の奥には狡猾な計算があった。
「ここは一応法治国家だぜ?俺には裁判を受ける権利がある。弁護士を呼ぶ権利がある。お前が俺をここであいつらに引き渡せば、お前も『殺人幇助』だ。へへ……探偵ライセンス、剥奪されちまうよなぁ?」
ナラは、冷ややかな瞳でスネークを見下ろした。
鉄扇を抜き、その喉元に突きつける。
「……勘違いすんじゃないわよ」
「ひっ!?」
「あたしが今、アンタの首をへし折らないのは、ライセンスのためじゃない。外の連中に引き渡さないのも、アンタを守るためじゃない」
ナラは、スネークの耳元で、地獄の底から響くような声で囁いた。
「リンチで殺されたら、アンタは『被害者』になっちゃう。
一瞬の痛みで楽になっちまう。……そんなの、許さない」
ナラは、スネークの襟首を掴んで強引に立たせた。
「あたしが見たいのはね。アンタが『法』という名の巨大で冷酷なプレス機にかけられて磨り潰される様よ。その特等席に座るために、あたしは今、アンタを生かしてやる」
裏口から、サイレンの音が近づいてきた。
ナラは、唾を吐き捨てるように、スネークを警察の護送車へと放り投げた。
・・・・・・・・・・
一ヶ月後。
王都中央裁判所、第一法廷。
法廷の扉が開き、三人の裁判官が入廷した。
中央に座った裁判長を見て、法廷内がざわめく。
「……あれが、噂の」
キリハラ裁判長。
まだ40代という若さながら、王都の司法界で最も恐れられる男。
細身の身体に、完璧に仕立てられた法服。
銀縁眼鏡の奥の瞳は、まるでガラス玉のように無機質で、一切の感情を宿していない。
通称、「鉄仮面のキリハラ」。
「開廷します」
キリハラの声は、温度を感じさせない、乾いた音だった。
事件番号と被告人名が読み上げられる。
証言台に立ったスネークは、逮捕時の薄汚れた姿とは一変していた。
小奇麗なスーツを着て、髪を整え、神妙な顔つきで俯いている。
「……被告人。起訴事実は認めますか?」
スネークは、ちらりと弁護人を見た。
王都でも指折りの、「黒を白と言いくるめる」ことで有名な悪徳弁護士だ。
「……いえ」
スネークは、蚊の鳴くような声で言った。
「事実関係の一部は認めますが……殺意はありませんでした。それに、当時のことは……薬の副作用で、よく覚えていないんです。気がついたら、目の前で子供たちが……」
スネークは両手で顔を覆い、嘘泣きを始めた。
遺族席から悲鳴が上がる。
キリハラは、眉一つ動かさず、淡々と木槌を鳴らした。
「静粛に。傍聴人の不規則発言は認めません。次に騒いだ場合、退廷を命じます。……事務官、記録を」
その態度は、あまりにも冷酷だった。
被害者の母親が泣き崩れても、キリハラは一瞥もしない。
彼はただ、手元の書類をめくり、手続きを進行させるだけだった。
「……フム」
エラーラが小声で呟く。
「典型的なソシオパスの演技だ。だが、法的には有効だ。『責任能力の有無』が争点になれば、情状酌量の余地が生まれる」
ナラは、ギリギリと奥歯を噛み締めた。
「あの裁判官……自分が何を裁いてるか分かってんの?書類上の『記号』じゃなくて、生きた人間の命なのよ?」
裁判は進み、弁護側の立証が始まった。
弁護士は、驚くべき論理を展開した。
「裁判長。被告人は幼少期、魔導実験の被検体として過酷な虐待を受けておりました。その影響で、彼の中には『別人格』が形成されていたのです!」
弁護士は、分厚い精神鑑定書と、怪しげな魔導学者の論文を提出した。
「また、被害者の子供たちが、被告人のトラウマを刺激するような言葉を発した可能性も否定できません。これは計画的殺人ではなく、突発的な事故、および心神喪失による不幸な出来事なのです!」
詭弁だ。
誰もがそう思った。
だが、法廷という閉鎖空間では、「証拠」と「論理」だけが真実となる。
スネークが用意した鑑定書は、形式上は完璧だった。
スネークは、証言台で小さく震えながら、内心で舌を出していた。
スネークは、わざとらしくハンカチで涙を拭いながら、小さな声で弁護士に囁いた。
「……へへっ。先生、さすがっすね。あいつら、悔しそうで顔真っ赤だ」
弁護士も、書類で口元を隠して笑った。
「静かに。笑っているのがバレたら心証が悪くなる」
最終弁論が終わり、判決の日。
スネークは、勝利を確信していた。
検察は死刑を求刑したが、弁護側の「心神耗弱」の主張は十分に立証された。
過去の判例に照らせば、死刑は回避される。
無期懲役か、うまくいけば懲役15年。
模範囚として振る舞えば、10年でシャバに出られる。
キリハラ裁判長が、判決書を持って立ち上がった。
「判決を言い渡す前に、被告人。最後に言いたいことはありますか」
スネークは、練習通りの演技を披露した。
深々と頭を下げ、声を震わせる。
「はい……。私は……取り返しのつかないことをしてしまいました。亡くなった子供たち、そしてご遺族の皆様には、どんなに謝っても償いきれません。もし許されるなら……一生をかけて罪を償い、更生したいと思います。本当に……申し訳ありませんでした」
完璧な謝罪。
これで裁判官の心証は「反省している」に傾く。
キリハラは、鉄仮面のまま頷いた。
「被告人の反省の言葉、確かに聞きました。更生への意欲はあると見受けられます」
法廷内が凍りついた。
遺族席から、悲痛な叫びが上がる。
「あいつは笑ってた! 娘を殺すとき、あいつは笑ってたんだぞ!」
父親の一人が柵を乗り越えようとして、警備員に取り押さえられる。
「静粛に」
キリハラが、一喝した。
その声の冷たさに、法廷が静まり返る。
「退廷させますよ」
スネークは、ニヤリとするのを必死に堪えて着席した。
スネークは、警備員に抑え込まれる遺族を見下ろし、心の中で中指を立てた。
その時。
キリハラは、ドスの利いた大声で叫んだ。
「主文!」
張り詰めた空気の中、キリハラ裁判長の声が、乾いた砂のように響いた。




