第21話:犬は茜で猿は琥珀だろう
露骨に嫌な顔をする茜を横目に、琥珀に蔵館へ入れるかメッセージを送る。
すぐに返信が来て、確認してもらえることになった。
そういえば――茜と琥珀が仲が悪くなった原因って、なんだっけか。
俺も茜も、琥珀とは中学の同級生だ。腐れ縁と呼べるほどの積み重ねはない。
気づけば言い争っている、犬猿の仲とはこのことを言うんだろう。
そんな印象しかない。
何度か理由を聞いたこともあるが、お互いにバツの悪そうな顔をするだけで、結局はぐらかされてきた。
……真相は闇の中、か。
しかしこのままでは話が進まない。
「さっき、お前は俺に任せるって言わなかったか?」
「うっ……!」
いつもなら言い訳を並べて逃げる茜を、あえて逃がさない。
剣客に二言はないはずだ。
「なるほど。蘇芳家の人間、それも師範の娘が自分の意見を翻した。
つまり、堂々と嘘をついたことになるが……それでいいのか?」
「それは……さっきと状況が違うじゃない!!」
「言い訳はそれだけか? 思考を放棄したのはお前だ。
どちらにせよ、お前がいなくても俺の予定は変わらない」
容赦する必要はない。
意思決定を委ねた時点で、こいつに反論の余地はないのだから。
「そうだけど……!」
言葉に詰まる茜に、ため息がひとつ落ちる。
「それぐらいにしておいてやれ」
夜が、呆れたように割って入った。
「茜よ。今回の件は早急に情報を集める必要がある。私の顔に免じて、ここは我慢してくれんか。
いろはも、あまり友を無碍にするな」
「無碍にはしてないよ。道理に合わないことを咎めただけだ」
大人(?)に面子を使われては、さすがにこれ以上は言えない。
「……ごめんね、夜ちゃん。ありがと」
納得していない顔のまま、茜は申し訳なさそうに夜の頭を撫でる。
「連れていくが、会っても喧嘩を始めるなよ?」
「……わかったよ」
茜も同行することを琥珀に伝える。
琥珀は中学生にしては精神的に大人だ。
どこか達観していて、話していても地頭の良さを感じる。
『わかった』
短い一文だったが、こちらの意図はきちんと汲んでいるように思えた。
旧刈安庭園は、因幡会館と同時期に建てられた洋館だ。
刈安家の私邸として造られ、庭園には当時の当主が奥方のために植えた数十種類の薔薇が、その始まりだという。
近年ではSNSで話題となり、老若男女が訪れる人気スポットになっている。
その景観は、『不思議の国のアリス』に登場するハートの女王の薔薇園を思わせ、どこか現実離れした空気をまとっていた。
刈安家は、どちらかといえば新興勢力に近い。
明治維新後、この地に赴任した役人の家系でありながら、列強の文化を積極的に取り入れ、新市街地発展の礎を築いた。
ただし、当時はまだ農村だったこの地域で、強い反発があったとも聞く。
俺たちの想像では測れない苦労があったのだろう。
今回小火があった蔵館は、そうした刈安家の積み重ねを収蔵する場所だ。
記録によれば、新嘗祭の神楽で使われていた『神楽笛』が保管されている。
「少し、薔薇の季節には早いな」
ぼそりと呟くと、茜が反応した。
「薔薇の季節っていつぐらいなの? なんとなく春なのはわかるけど」
「春薔薇と秋薔薇があってな。春はゴールデンウィーク明けから梅雨前、秋は十月だ」
「相変わらず無駄に詳しいわね」
聞いておいてこの言い草である。
「昔読んだ作品に薔薇が出てきて、調べただけだよ。たまたまだ」
ぶっきらぼうに言い捨てる。
確か、じいちゃんの蔵書にあった佐藤春夫の作品だったはずだ。
歩きながら父さんがまとめてくれた資料と、小火の記録を改めて流し見る。
やはり被害は小規模で、所蔵されている『神楽笛』には一切手がつけられていない。
「やっぱり動きが読めないな」
「そういえば、具体的な被害内容を見てないわね。どんな感じなの?」
「ああ。発生は三日前の夜だ。時間は、俺たちが『白炎の鹿』と接敵した頃とほぼ同じ。
被害は蔵館の門が焼けた程度で、通報者は庭園の職員。詳細はそこまで残ってない」
「やっぱり楽器の被害はないのね」
「ああ」
本当は、“白炎の鹿”を目撃した証言でもあれば助かるのだが。
警察資料ベースでは、そういった異常な記述は削除されている。
「緋縅の目的も気になるが……小火の原因が鹿なのか、それ以外かで対処は変わる」
「どういうこと?」
「鹿だった場合、俺たちが倒した時点で終わってる。
本丸が緋縅なら、茜の言う通り当たりをつけて追えばいい。
だが――それだけで済む話なら、こんなに嫌な予感はしない」
自分でも理由は説明できない。
それでも、胸の奥で何かが引っかかっている。
「別の眷属が絡んでるなら、最悪だ。脅威が複数になる」
「単独犯か、複数犯かってこと?」
「そういうことだ。正直、複数は避けたい。対抗できるのが俺と夜だけじゃ、手数が足りない」
黙って聞いていた夜が口を開く。
「元々、奴の眷属は翼を持つものばかりだ。今回の鹿は、かなり特異な例だ。
想定外の対応が増えているのかもしれんな」
「やっぱり今回がイレギュラーなのか……」
安心していいのかはわからない。
だが、そういうことにしておきたい自分もいる。
話しながら歩いているうちに、いつの間にか洋風の塀が視界に入っていた。
――刈安庭園の外周だ。
その直後、琥珀からメッセージが届く。
『僕も向かう。入口で待っててほしい』
『わかった』
短く返す。
ポケットにスマホをしまいながら、ふと足を止めた。
……神社の神域に近い、静けさを感じた。
風はあるのに、音が薄い。
気のせいかもしれない。
だが、その違和感は、確かにそこにあった。




