12:公爵家のパーティー
「アドセン家のパーティーですか?」
シルフィアが聞き返せば、正面に座っていたミリーが嬉しそうに微笑んで頷いてきた。
場所は庭園の一角。放課後の談笑タイムであるーー隙あらばクッキーを食べようとするピギーとの攻防タイムともいえるーー
そんな中で近々アドセン家でパーティーを開くとミリーが話し、そしてシルフィアに是非来てくれと誘ってきたのだ。
この話にシルフィアが尋ね返してしまったのは、パーティーに誘われる時はきまって厳格な招待状が届いていたからである。
上質の招待状には畏まった挨拶とパーティーのお誘い、こちらはマナーに沿った返事をし、当日を迎える……。
これが常であった。お茶の合間に「パーティーを開くからぜひ来て」なんて誘いは初めてである。
どう返せば良いのか分からずシルフィアが深く頭を下げて感謝を告げれば、それに対して返ってきたのは、不満そうなミリーの「堅いわ」という指摘だった。
「こういう時は令嬢としてじゃなく、シルフィア・マードレイとして喜ぶものよ。ちょっとはしゃぐくらいが良いわ」
「そういうものですか? ですが公爵家のパーティーに招待されてはしゃぐなんて……」
「私は親友のシルフィアを誘ったの。ほら私の手を取って、嬉しそうにして」
さぁとミリーが両手を差し出してくる。
相変わらず白くもっちりとした手だ。促されるままにシルフィアが彼女の手を取れば、すべやかでひんやりとしている。
ふわりと花の香りがするのは香水だろうか。ーーこれが甘い香りだったら隠しお菓子を探すための身体検査に移るところだったーー腕にはレースを幾重に重ねたブレスレットが撒かれており、白い肌によく似合っている。
まるでミリー自身が一輪の花のようではないか。儚げな花とは言い難いが、陽の光を浴びて愛されて育つ、そんな目映い花だ。
この明るさもまた令嬢力……。
そう考え、シルフィアは握った手に少しだけ力を入れて、試しにと上下に振ってみた。もちもちとミリーの手を揉み、数度振る、またもちもちと揉み……と繰り返してみる。
「ちょっと儀式めいてるけど、はしゃいでる気持ちは少し伝わってきたわ。あと一声、もう少しだけ気分を高められない?」
「でしたらはしゃいで飛び跳ねた方がよろしいでしょうか。跳躍力はあまり自信がないんですが、あの木の枝に飛びついてぶらさがるぐらいなら……」
披露します、とシルフィアが立ち上がれば、ミリーが慌てて待ったを掛けてきた。
令嬢らしくはしゃいだ方が良いが、飛び跳ねるのはやりすぎらしい。なんて加減が難しいのだろうか。座り直し、せめてとミリーの手を取って上下に振ってもちもち揉んでおいた。
ミリーが肩を竦めるのは、ギリギリ及第点とでも言いたいのだろうか。
「当日はお兄様もいらっしゃるの。いつもシルフィアのことを手紙に書いているから、会うのが楽しみだって仰っていたわ」
ミリーが嬉しそうに笑う。これは公爵家だのといった格式張ったものではなく、兄に友人を紹介できる喜びからくる笑みなのだろう。
当日を想像し、ふっくらとした頬を上気させ、色づきのよい唇がパーティーの規模を語り……。
そしてモグリとクッキーを食べた。
相変わらず流れるような所作である。むしろ、先程まで両手を握っていたはずなのにいつの間に引き抜いたのか。
他者に気付かれることなく静かで、そして見る者に違和感を微塵も与えない自然さ。ハンカチで口元を拭うまで、全て完璧である。
「当日は絶対に暴食をお止めします。招待状、楽しみにお待ちしておりますピギー様」
そうシルフィアが穏やかに微笑み、二枚目のクッキーを華麗に奪い取った。
アドセン家からの招待状は、シルフィアはもちろんエリオットやクレア。それにルーファスにも届いた。
曰くミリーは家族ぐるみで親しくなりたいらしく、それをはにかみながら話す彼女は愛らしい。ここまでわかりやすく友情を示されればシルフィアの胸も沸き、「ぜひ」と彼女のもちもちの手を握った。
……握ったは、いいのだが。
「公爵家のパーティーに直々に呼ばれるなんて、さすが我が娘。そこでミリー様を打ち倒してライオネル様を押し倒すという算段ね。あえて相手のホームに出向いてこそ勝利の余韻が深まるのよ」
「私が言うのもなんだけど、お母様はなぜ常に闘志に燃え上がっているの? 鎮火する術はないの?」
「シルフィア、これは少し地味かな? 公爵家のパーティーだから一番良い装いで行きたいんだが、この上着だと色合いが落ち着きすぎて老けて見えるかもしれない」
「お父様、安心して。お父様が老けて見えるなんてことは一切断じて、そしてきっと今後一生無いわ。その上着を着てもせいぜい『背伸びして着飾る若者』よ。もはや洋服でどうにかなる話じゃないの」
「姉さん、どうしよう。このベストちょっときついや」
「ルーファス、可愛い私のルー。また胸元が逞しくなってきついのね。なんて頼りがいと成長に溢れた弟なのかしら。ベストを新調したら一番に姉さんに見せてちょうだいね」
招待状が届いてからというもの、マードレイ家は終始この調子で騒然としていた。
一介の男爵家、それも程度で言えば中の下が限度の家に、公爵家主催のパーティー招待状が届いたのだ。それも令嬢から直々にお誘いの言葉もいただいた。
となれば浮かれるのも仕方あるまい。浮かれ具合が三者三様なあたりがマードレイ家らしいとも言えるか。
そんな中、シルフィアはあちこちから声を掛けられて参っていた。これでは自分のドレスの用意が間に合わない。
……と訴えたのだが、どういうわけかクレアが含み笑いで「大丈夫よ」と宥めてきた。
「お母様、大丈夫ってどういうこと?」
「貴女に特注の布を用意してあるの。今日から仕立てればパーティーに間に合うはずよ」
クレアがメイドに声を掛ければ、部屋に大きめの箱が運ばれてきた。
それを目の前に置かれ、いったいなにかとシルフィアが恐る恐る箱の中を伺い……。
「素敵な布……」
と、箱の中にしきつめられている布に吐息を漏らした。
薄紫の布。全体が細かな輝きを纏い、まるで宝石を散らしたかのようだ。触れれば肌触りも良い。そのうえ、布だけではなく色とりどりの糸や、体全体に巻き付けても余るほどのレースが入っている。
これに胸を打たれぬ女性はそう居ないだろう。シルフィアとて同様、己の体を鍛えることばかり考えていたとはいえ、美しい布を前にすれば気持ちが高ぶってしまう。これで己のドレスを作ると言われればなおさら。
思わずクレアの手を取り、揉み、上下させ、また揉みしだいた。
「なんの儀式……!?」
「お母様ってば失礼ね。はしゃいでるのよ。でもこんな素敵な布、いったいどこで手に入れたの?」
瞳を輝かせてシルフィアが問えば、クレアが穏やかに微笑んだ。
そうして一枚のメッセージカードを差し出してくる。真っ白なカードには達筆な文字で……、
【最愛のシルフィア。
未来の妻が常に美しくあらんことを願っている。 ドム・バトソン】
と書かれていた。
「未来の妻ってどういうこと!?」
「ドム様ってば気が早いのね。さぁシルフィア、採寸を始めましょう」
「いやよ、この布は早急にバトソン家にお返しするわ!」
「贈り物を返送だなんて失礼な真似できるわけがないでしょ。ドム様の未来の妻になりたくなきゃ、このドレスをまとって令嬢力を高めなさい」
おほほほ……と高らかに笑いつつ、クレアがメイド達を呼び寄せる。
現れたメイドは誰もが手に採寸道具を持っており、シルフィアを見ると「お覚悟を」とでも言いたげな表情で見つめてきた。
(どうしましょう、ドム様が着実に距離を詰めてきてるわ。でもお母様の言うとおり、素敵なドレスで令嬢らしく振る舞えば令嬢力があがるかもしれない……)
令嬢力とはつまり愛される力。素敵なドレスを纏い、時に恥じらい、時にはにかみ、そして時に愛らしくはしゃいで見せれば、きっと令嬢力も高まるだろう。
それに今までシンプルなドレスばかりを着ていたが、ミリーを見習い愛らしく装えばなお効果があるはずだ。ミリーを真似て髪を編み込んでもいいし、リボンや花をあしらっても良いかもしれない。
今までとは違った装いを見せれば、母も見直してくれる。
「見てなさい、お母様。私の令嬢力を見せてあげる……!」
そうシルフィアが意気込む。
だが次の瞬間、慌てて握っていた拳をぱっと放したのは、採寸していたメイドに「力まない!」と叱咤されたからだ。体に力を入れては正確な採寸ができないらしく、彼女達の真剣な目に威圧感すら覚えてしまう。
直々に招待された公爵家のパーティー、ドム・バトソンからの上質の布……と、どうやら浮かれて気合が入っているのはメイド達も同じらしい。
当てられ、自然とシルフィアも気合が入る。
……それに、
(このパーティーは、きっと……)
記憶を思い出しつつ、シルフィアは机に置かれた布を見つめた。
 




