第五十六話 嫌じゃない
翌日。
健太は仕事があるため、物件の内覧には同行しなかった。
代わりに案内してくれるのは、健太の美容院の常連客だという不動産会社の担当者だった。
「初めまして。」
「片桐邦久と申します。」
「健太さんから、かなり心配性のお客様だと伺っています。」
「……余計なことを。」
彬が小さく眉を寄せる。
片桐は楽しそうに笑った。
「ははっ。」
「でも、ご安心ください。」
「女性の一人暮らしということでしたので、今日は防犯面も含めてご案内します。」
「お願いします。」
彬はすぐに頷いた。
マンションの前に到着すると、彬はまず周囲を見渡した。
「駅からは?」
「徒歩七分ほどです。」
「帰り道に暗い場所は?」
「ほとんどありません。」
片桐が駅からマンションまでの道を説明する。
「大通りを使って帰れますし、途中にコンビニもあります。」
「夜でも人通りはそれなりにありますね。」
彬は周囲を確認しながら頷く。
「オートロックは?」
「あります。」
「防犯カメラは?」
「エントランス、エレベーター前、駐車場に設置されています。」
「こちらは外階段から直接入れない構造です。」
片桐は慣れた様子で一つずつ答えていく。
未来はその隣で、少し呆れたように彬を見た。
「過保護すぎます。もういい大人ですよ!」
「分かってる。」
彬は真顔で答える。
「でも、住むならまず安全だろ。」
未来は思わず笑った。
「そんなに心配しなくても……。」
「する。」
即答だった。
未来が目を丸くする。
彬は少しだけ言葉を柔らかくした。
「女性が一人で暮らすんだから。」
「駅から近くて、帰り道に暗い場所が少ない。」
「それに、防犯がしっかりしてること。」
「そこは妥協したくない。」
未来はしばらく彬を見つめる。
そして、ふっと微笑んだ。
「……ありがとう。」
「私のために、そこまで考えてくれてありがとう。」
彬は少し気まずそうに視線を逸らした。
「当たり前だ。」
その二人を見ていた片桐が、微笑ましそうに口を挟む。
「いやぁ。」
「仲がよろしいですね。」
「……。」
彬が黙る。
未来も少し恥ずかしそうに俯いた。
片桐は何も知らないまま、にこやかに続ける。
「では、まず中をご案内しましょう。」
「実際に部屋を見てから、ゆっくり考えてください。」
「今日決める必要はありませんから。」
「はい。」
未来は頷き、彬と並んでエントランスへ入った。
片桐はエレベーターのボタンを押しながら、二人を振り返った。
「ちなみに、今回ご紹介するのは一人暮らし向けですが。」
「もし将来的に、お二人で暮らすこともお考えでしたら、もう少し広めの物件もいくつかありますよ。」
「駅から近くて、セキュリティのしっかりしたところもございます。」
「その時は、ぜひ私にご相談ください。」
「……。」
未来の足が止まる。
「ふ、二人で……?」
頬が一気に赤くなる。
片桐は何気なく笑った。
「ええ。」
「もちろん、まだ先のお話でしょうけど。」
未来は慌てて彬を見る。
彬も一瞬、言葉を失っていた。
「……片桐さん。」
「はい?」
「その話は……まだいいです。」
「ははっ、失礼しました。」
片桐は悪びれた様子もなく笑う。
「ただ、お二人なら選択肢として覚えておいて損はないと思いますよ。」
エレベーターの扉が開く。
「どうぞ。」
三人が乗り込む。
未来は俯いたまま、頬の熱がなかなか引かない。
(……二人で暮らす。)
(今は怪我を理由にして、一緒に暮らしてるけど……。)
(いつか、本当に二人で暮らす日が来たりするのかな。)
そこまで考えて、未来は慌てて首を振った。
(……何を考えてるんだろう、私。)
まだ記憶も戻っていないのに。
けれど――。
なぜか、その想像を嫌だとは思わなかった。
真二に内緒で、引っ越したり。
イメチェンをしたりして大丈夫なのでしょうか?
しばらくは幸せモードですが。
少しづつ、変化が迫っています。
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