表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Re:build  作者: 月野灰
第一章
14/16

第一章9:神の静寂に触れるとき

≫観測補記:SIG-EX-B28-01

≫義体修復ログ確認──損傷率:57%

≫記憶同期:局所異常/“侵入スキル”パターン記録なし

≫再解析中──識別不能コードを検出


 



いつもの埃まみれの、あの薄汚れた工房ではなかった。

ここの灯りは瞬いたり途切れること無く、無機質な静寂のなかに灯っていた。光源の周囲だけが白く、ほかは灰色に沈んでいる。

ノアは仰向けに横たわっている。

修復中の義体は半分ほど外装を解かれ、幾重もの神経束を露出させていた。

動かない彼の傍らで、ザインは”オラクル”とは違う端末を手に持ち、眺めている。無言のまま、表示されている情報を、指先で一行一行をなぞるように。

やがて、言葉がこぼれた。


「……記録なし、か。ふむ……」


声音は落ち着いていたが、その内側には微かな苛立ちが潜んでいた。


「まあ……、分かっちゃいたがな。ログは何一つ残っていない。だが、観測ユニットの補記だけが、“不一致”を囁いている」


ノアはまだ目を閉じたままだ。が、ザインは彼が“目覚めている”ことを知っている。


「俺が異常通信を拾ったのは偶然だ。最下層の通信帯域なんて、本来は誰も使っていない層だ。そもそも存在が知られていない。そこに一瞬だけだが、ほんの一瞬だけ、呼吸のような“脈動”が走ったのを捉えたのさ」


ザインの視線が、天井へ向く。


「”神”の観測域に近いレイヤーでは、記録と記憶の境界が曖昧になる。あそこにいた“お前”は──記録されず、記憶にだけ焼き付いた」


ノアの瞼がゆっくりと開かれた。


「……脈動?」


「“呼吸”、と言っても良いかも知れん。おそらくエニア()が意図せず漏らしたノイズだ。非常にか細く、まさに雑音(ノイズ)のようだった。だがあの帯域は普通は沈黙している。当たり前だ、情報を発信するモノが無いからな。ノイズすら存在しない。だから、気付いた。……まるで、助けを求めているようだったぜ」


その言葉に、ノアの眉が微かに動いた。


(エニア)……?」


ザインは続ける。


「……俺は、あの存在を“神”と呼ぶのには、いささか抵抗がある。いや……正確には、“語ること”ができないだけかもしれん。存在する確証が無いからな。だが、他の情報を統合、精査していくと”そういう存在が居る”とでもしないと、他との整合性が取れない」


沈黙。

静寂のなか、ノアが低く呟く。


「……あれは……見ていた」


それを聞いたザインが目を細めた。


「視られていた、のか?」


「……いや、……違う。……正確には、()()()()()()、と思う」


不思議な表現だったが、ザインは否定しなかった。


「そうか。お前の左目、そのレンズだけが、観測されざる領域を映せたというわけだな」


ノアはうなずき、そっと自身の義眼を押さえる。まだ、そこには熱の残滓があった。


「ザイン。あれは──本当に、神なのか?」


問いかけは静かだったが、どこか根源的な響きを含んでいた。


ザインはしばらく何も言わなかった。


やがて、ぽつりと呟く。


「もし、神が何かを観測することで世界が保たれているのだとしたら……それは、本当に“神”と呼べるのだろうか?」


ノアが目を伏せた。

ザインはその様子を見て、続ける。


「俺があれを“神”と認識したのは、お前のような存在を初めて見た時だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()──あり得ない、はずの個体」


その言葉に、ノアは何も返さなかった。

ザインの声が、ふっと軽くなる。


「ま、難しいことはあとだ。とにかく、今は修復が必要だ。半壊状態で再起動したのが奇跡みたいなもんだぞ。次はそこまでいく前に逃げろよな」


「……了解」


ノアは無表情で答えた。


「次があれば、だけどな」


冗談めいたザインの言葉に、ノアはわずかに目線を動かした。


 

◇◆◇



ノアのボディの修復が八割方終わった頃、ノアの”オラクル”が震えた。



【任務通知:再訪調査指示】

【依頼指名:SIG-EX-B28-01】

【対象地点:《神域端層──オルド・エニア》地下構造】

【目的:記録ログ不一致箇所の再走査/対象タグ付け処理の試行】


 

「また、地下か。しかも指名。こう何度も呼ばれるものか?」


いつの間にかノアのオラクルの情報はザインにも共有されていて、ザインも任務の概要だけは見ることが出来る状態にある。既にザインにいくつもの借りがあるノアは、そのことに関しては何も言うつもりはないらしい。

通知を見たザインは目を細めた。


「ま、”お前だから”呼ばれている、ってことだろうな」


ノアはゆっくりと身を起こした。まだ、身体の節々には違和感が残っているが、次の任務が“待っている”ことに、疑問はなかった。


「行ってくる」


「無理はするなよ。あまりやりすぎると、最後には整備の請求をアドミに回すことになる」


何でも無いことのようにザインはそう言い、ノアの肩を軽く叩いた。

ノアは黙って、しかし、しっかりと頷いてみせた。



◇◆◇



ノアの足音だけが響く、聖堂の深層。

灯りは最小限に絞られ、空気は凪いでいた。誰もいないはずの空間なのに、何かが()()()()気配がある。記録ではない視線だ。何故だが、今のノアにはそれが分かった。

階層の縁を抜けて、彼は再び、あの円環の前に立った。

今、それは()()()()()()()()()()()()()。観測タグは付けられず、レンズの映像も定義不能のまま保留されている。

だが──。

ノアの目には、それは、はっきりと見えていた。


「……戻ってきたぞ」

 

誰に言うでもないその言葉が、空気に沈んで消える。

再調査のオーダーは、あくまで“形式”だ。アドミの側も、本気で解明しようとしているわけではない。

《静域》の観測網が及ばないこの場所は、かつて“禁域”と呼ばれていた、と出掛けにザインが教えてくれた。

封鎖されていたわけではない。ただ、誰も触れようとしなかった。

……恐れていたのだ。



神の沈黙が、本当に“沈黙”である可能性を。


 


≫観測補記:義眼レンズが局所的パターンを再検出

≫記録ログと映像一致率:5%未満──同一視不可

≫現象識別:未定義構造体/タグ付け不能状態継続


 


円環の下に、通路がある。

前回、交戦により進入できなかったその奥へ今、ノアは足を踏み入れる。

天井が低くなり、壁面は有機的な紋様で満たされていた。

()()なのか、()()なのか。

判別はつかない。


やがて、視界が開けた。


そこは、円形の部屋だった。


中心には台座。かつて神像があったと思しきそれは、今は空でありながら、圧倒的な“気配”を放っていた。


静寂。

だがそれは、観測ではそうなっているだけ。


──聴こえる。


(……まただ)


前回と同じく、ノアの義眼だけが拾う音があった。

それは言葉ではない。

意味のない揺らぎでもない。

限りなく近い、だが、決して届かない声。

彼は、ゆっくりと台座に近づく。


そのときだった。



≫接続試行:義眼レンズが上位レイヤー信号と干渉開始

≫識別不能な“記憶の断片”を検出──ログ変異開始

≫記録補記:観測値に位相ブレを検出/接続警告レベル2


 

光が、灯った。

台座の上に、“誰かの背中”が現れた。

それは人の形をしていたが、輪郭が曖昧で、まるで過去の夢のなかにいた誰かのようだった。

声も表情もない。ただ、背を向けて、座している。


(……君は……)


ノアの足が止まった。

この記憶は──知らないはずのものだ。

だが、懐かしい。

懐かしいという感情を、なぜ“今”抱いているのかもわからない。

だが、その背に──彼は、呼ばれていた。



≫映像ログ:未登録記憶との整合率 98%

≫タグ処理:保留/記録対象外フィールド



ふと、ノアの中で“像”が浮かぶ。

遠い過去。

まだノアが“ノア”として目覚める前の、何か別の存在だった頃。

そこに、この背中は、あった。

彼は、知らず知らずに右手を伸ばしていた。

触れようとする指先が、空気を震わせ──。


次の瞬間、部屋全体が“光”に包まれた。

激しい音はない。

ただ、眩いほどに静かな光だけが、あった。

レンズはすべての情報を遮断し、ログはすべて無効化された。



≫観測遮断:全領域リセット処理発動

≫接続終了──“神の観測”より除外されました


 

そして。

光のなかに、ひとつの“声”が、ノアにだけ、届いた。


「──見つけた、君を」


それは、かつて聞いたことのない、だが確実に“知っている”声だった。

性別も、年齢も、区別できない。

ただ、“呼びかける”声。

彼の存在を──“思い出した”者の声。


ノアは、目を閉じた。

そして、初めて自分の内側から何かが()()()()()()()()を覚えた。

プログラムでもなく、記録でもなく、ただ、“記憶”が──自らを認めた瞬間。



≫記憶補記:自己識別の再構築を開始

≫タグ処理:対象個体に再分類フラグ【Σ】が付与されました


 

──あたりを包んだ静寂は、終わりではなく。


それは、再起動の合図だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ