第一章8:記録されざるもの
≫観測補記:SIG-EX-B28-01
≫照合ログ:未分類記憶ファントムとの一致率 94%
≫タグ処理:保留中/記録不可領域の接続継続中
円環は、沈黙のなかにあった。
まるで天井からぶら下がる“残光”のように、それはかすかな軌跡を描きながら、ノアの義眼にだけ存在を許されていた。記録ではなく、記憶に刻まれた光。誰も知ることのない構造体。
ノアはそれを見上げていた。《オルド・エニア》の深層、台座の奥。夢の中で見た風景と、今ここに在る現実が、ゆっくりと重なっていく。
「……記録されていない……のに……」
呟きながら、ノアはひとつ息をつく。レンズの走査を切り替え、円環の構造解析を試みる。
≫レンズモード切替:収束型観測/構造解析プロトコル起動
≫対象波形:断続的重層光パターン
≫一致構造:既知データベースに該当なし
不一致。それはつまり、“人類の記憶にも、アドミの記録にも存在しない”ということ。
ノアは一歩、円環の下に足を踏み出す。床材が僅かに鳴った。階層の外縁部、かつて通過したときには気づかなかった分岐がある。その先に──何かがある。
ノアは進む。
◇◆◇
通路の先、構造体の境界に達する頃、ノアは確かに“何か”の気配を捉えた。
それは空気ではなく、光の歪み。音でもなく、金属の擦れるような存在の違和感。
そして──
視界にそれは、現れた。
一体の敵性存在。だが、以前《外縁部》で遭遇した壊れかけた個体とは異なっていた。装甲は均整が取れ、可動機構も現役そのもの。光学装備の反射と共に、ノアの左目にノイズが走る。
義体制御を起動し、左腕の関節を最適可動域に切り替え――。
≫警告:交戦予測ライン超過
≫対象:機構不明/分類未登録/攻性反応検知
反射的に、ノアは身を引く。
間に合わない。
(……速い……!)
瞬間、視界が揺れる。
遅れて衝撃を”検知”。警告が奔る。
≫損傷検知:義体右胸部ユニット破損
≫機能低下:出力レート42%低下
ノアは辛うじて衝撃を逃がす方向へ飛び退きながら、反撃の姿勢に転じる。
だが敵も手加減をしない。
容赦なく踏み込み。
致命傷だけはなんとか避け続けている。
が。
追いつかない。
みるみる身体が削られていく。
──勝てない。
このままでは、破壊される。
それは“記録”されないまま終わる死。
ノアの中で、何かが――軋んだ。
(違う。まだ、できる。まだ──“やっていない”ことが、ある!)
頭の奥で。
突如として。
記憶にない回路が。
火花を散らすイメージ。
直後。
敵機の動きが弛緩する。
いや違う。
時間が引き伸ばされている?
視界に映る情報が格段に増える。
数瞬後の、到達予測地点が。敵機のイメージ画像が折り重なる。
その中に、微細な裂け目が見えた。
ノアは動いた。
左目の情報走査を切り替え。
“アクセスコード”を探る。
なぜか、それが“できる”とわかっていた。
手を伸ばし――。
繋がる!
≫ユニット内プロトコル:侵入系コードパターン【開示】
≫対象機体:制御バスへの接続成功
≫制御奪取──成功
≫命令式:【タケミカヅチ】
関節が痙攣し、敵機が、動きを止めた。
仰け反る。
そのまま、ゆっくりと地に伏した。
ノアは、自分の手を見た。
(……なんだ、今のは……)
彼の“記録”には、その手段は存在しない。
けれどその“動作”は、確かに彼の中にあった。まるでたった今、唐突に──“思い出した”かのように。
◇◆◇
「随分と無茶をする」
背後から声がした。
振り返ると、ザインがそこに居た。
汚れたフードと、普段よりも鋭い眼差し。だがその目は、わずかに安堵の色を湛えていた。
ザインの隣には、搬送用の簡易フレームが用意されていた。
「回収に来たぞ。随分とボロボロだが、間に合ったようだな。少しでも遅れてたら、見届ける羽目になってたかもしれん」
ノアは言葉を返さず、ゆっくりと頷いた。
ザインがノアの肩にそっと触れる。
≫任務発令:識別コード SIG-EX-B28-01
≫再調整指示:義体修復優先
≫観測補記:敵性存在とのログ不一致/記録中断
──記録されなかった光、記憶にしかない技術、そして、新たに“目覚めた”力。
ノアの中で何かが変わり始めていた。
もう、ただの観測者ではいられないかも知れない。
そんな確信が、静かに芽吹いていた。
彼は再び、視線を上げる。
天井の、光る円環は──まだ、そこにあった。
≪記憶補記:対象個体が“記録されざる行動”を起こした可能性
≪識別不能なスキルログが検出されました
≪タグ付け保留/再調査を推奨




