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082_エピローグ_継がれる光>>

学院の創立十周年記念式典の日、朝から街が少し浮き立っていた。


旧倉庫を改装した最初の校舎は、もう学院の中心ではない。今はその隣に、白い石とガラスでできた新研究棟が立っている。講義棟は四つに増え、実験棟の煙突は遠くからでも見えた。中庭には噴水ができ、その周囲を学生たちが行き交っている。


式典の会場へ向かいながら、俺はふと立ち止まった。


十年。


最初の電灯を灯した夜から、もうそんなに経ったのかと思う。


「まる助さん?」


隣から声がした。


エリナだ。淡い青の衣装に身を包み、式典用の書類束を片手に抱えている。昔は書類に埋もれている印象の方が強かったが、今は違う。抱えているのは書類だけじゃない。商会そのものだ。俺よりよほど、あちこちの流れを把握している。


「どうしました」


「いや。広くなったなと思って」


俺が言うと、エリナが中庭を見た。


「広くなりましたね。人も増えましたし」


その言い方が少しおかしくて、俺は笑った。


「……いや、これ、だいぶエリナさんの仕事では?」

「だいぶ、ですね」

「ですよね」


エリナが平然と頷く。その顔に、俺はまた少し笑った。


会場の入口近くで、学生たちが慌ただしく動いていた。案内係、機材係、遠見箱の中継確認。どの顔も若い。俺たちの知らない世代だ。最初の一歩が何だったか、もう肌では知らない者たち。


だが、それでいい。


そこへ、別の声がした。


「開始前から立ち止まるな。動線が詰まる」


ウォーダだった。相変わらずの言い方だが、衣服は昔よりずっと整っている。その隣にはセシリアがいた。白ではなく、やわらかな灰青の装いだ。聖女の象徴としての白を完全に捨てたわけではないが、もう神殿に閉じ込められた色ではない。


「式典の日くらい、少し柔らかく言えないんですか」

エリナが言うと、ウォーダが少しだけ眉を動かした。

「柔らかく言った」

「今ので?」


セシリアが小さく笑った。


「ウォーダさんなりには、たぶん」


その声が穏やかで、俺はふと二人を見た。


並んで立っている。特別なことは何もしていない。ただ、ごく自然に隣にいる。十年前には考えなかった光景だった。


セシリアが俺たちの視線に気づいた。


「何ですか」

「いや。似合ってるなと思って」

「何がですか」

「全部です」


セシリアは少しだけ困ったように笑い、ウォーダは無言で視線を逸らした。


だが、その手には小型のタブレットがあった。式典の朝だというのに、画面には何本もの数式と波形図が並んでいる。


「まだやってるんですか」

俺が言うと、ウォーダは顔をしかめた。

「まだ、じゃない。ようやく整理でき始めた」

「何の?」

「外部通信まわりの理論補正だ。光回路の遅延誤差が想定より小さい。境界面の揺らぎも、前より追える」


セシリアがため息まじりに言った。


「昨夜も、それを三時までやっていたんですよ」

「寝たんですか?」

「二時間は寝た」

「威張るな」


ウォーダは何も言い返さなかった。だが視線だけは少し尖っていた。まだ諦めていないのだ。この世界の外側へ触れる理論を。


そこへ、遠くから怒鳴り声が飛んできた。


「おい! それはそっちじゃねえ! 展示用の蝋燭を日向に置く馬鹿があるか!」


ニックだった。


学生が慌てて箱を抱え直している。その横でベルザが腕を組んでいた。


「朝からよくそんな声が出るな」

「朝だから出るんだよ。昼になると腹が減る」


ニックが答える。ベルザは呆れたような顔をしていたが、口元は少し緩んでいた。


「お前が騒ぐたびに、私の仕事が増える」

「増えてねえよ。むしろ減らしてるだろ」

「減っていない」

「減ってる」

「減っていない」


昔と何も変わらないやり取りに、近くの学生がくすくす笑った。


だが昔と違うのは、その距離だ。ニックが自然にベルザの持っていた資料を受け取り、ベルザがそれを止めもしない。言い合いながら、もう息が合っている。


「揃いましたね」


エリナが言った。


たしかにそうだった。


俺とエリナ。

ウォーダとセシリア。

ニックとベルザ。


言葉にすればそれだけだ。だが、ここに来るまでには十年かかっている。


ーーー


式典は学院の新講堂で始まった。


最前列には学院の教員たち、その後ろには卒業生、研究者、商会や神殿やギルドの関係者たち。遠見箱を通じて、辺境の分校にも中継されている。


壇上に立ったのは、若い講師だった。俺が知らない顔だ。半導体光回路の応用研究で頭角を現した人物だと聞いている。


「本学院は十年前、旧倉庫から始まりました」


拍手が起こる。


だが、その拍手は懐古ではなかった。次へ進む者たちの拍手だった。


講師が続ける。


「私たちは、先人たちの知識を受け取って育ちました。ですが本学院の本質は、知識を受け取ることではありません。余白を書くことです」


俺はその言葉を聞いて、少しだけ息を止めた。


余白。


ウォーダが昔、何度も口にしていた言葉だ。


壇上の講師は迷いなく続ける。


「教科書の続きを書くのは、いつも次の世代です。本学院が十年続いたということは、最初の知識が正しかったという意味ではありません。次の世代が、それを踏み台にして別の場所へ登り始めたという意味です」


会場が静かだった。


若い学生たちが、その言葉をまっすぐ聞いている。


俺は横目でウォーダを見た。ウォーダは壇上を見たまま、何も言わなかった。だが、その横顔は少しだけ誇らしそうだった。


ーーー


式典のあと、中庭は立食の場になった。


研究展示、試作品の披露、学生たちの説明、卒業生の近況報告。あちこちで人が輪を作っている。


中庭の一角には、蝋燭の展示台があった。


「温度管理が甘いな」


聞き慣れた声に振り向くと、ヨルグが学生の作品を見ていた。白髪はさらに増えたが、手つきは変わらない。


「先生、どうでしょう」

若い学生が聞く。

「形は悪くない。だが蝋がまだ硬い。触ればわかる」

「触っただけでですか」

「六十年触ってるんだ。わかる」


六十年。


俺はその数字に少しだけ笑った。年数はちゃんと増えている。


展示台の横には「ヨルグ工房 監修」と札が出ていた。実用品ではなく、装飾蝋燭と光の意匠を組み合わせた新しい作品群。電灯の時代になっても、いや、電灯の時代だからこそ生きる技術だった。


「消えなかったですね」

俺が言うと、ヨルグは鼻を鳴らした。

「勝手に消すな。形を変えただけだ」


その通りだった。


ーーー


夕方、式典が終わりに近づいた頃、学院の中庭に電灯がともり始めた。


その中を、学生たちが歩いている。研究の話をしながら。恋の話をしながら。次の実験の失敗を笑い合いながら。


俺はその様子を見ていた。


エリナが隣に来た。


「疲れましたか」

「少し」

「年ですね」

「そこまで言います?」

「言ってません。少ししか」

「言ってるのと同じでは」

「そうかもしれません」


エリナが笑った。


その笑い方が好きだと、今でははっきりわかる。


「でも」


エリナが中庭を見たまま言う。


「いい日でしたね」


「そうですね」


「まる助さんが始めたことが、ちゃんと続いている」


俺は首を振った。


「俺が始めたというより、みんなが勝手に大きくしたんです」

「そういう言い方をするところも、昔から変わりませんね」


少し間があった。


「変わったこともありますけど」

俺が言うと、エリナがこちらを見た。

「例えば?」

「……その、こうやって隣にいてくれることとか」

「それ、今さら言います?」

「今さらですけど」


エリナは一瞬だけ目を丸くして、それから少しだけ視線を逸らした。


「あらためて言われると、困ります」

「すみません」

「謝るんですか」

「一応」

「一応なんですね」


その返し方が、やっぱりエリナらしかった。


少し離れた場所では、ウォーダとセシリアが学生に囲まれていた。さらに向こうでは、ベルザとニックがまた何か言い合っている。たぶん明日も言い合うだろう。


その全部が、妙に愛おしかった。


ーーー


夜、学院の門を出た。


見上げると、星が出ていた。


オダリオンE02-B。この世界がこれからどこまで行くのかを、ここにいる誰も知らない。


知らなくていい、と俺は思う。


大事なのは、どこへ行くかだけじゃない。ここで誰が生き、何を作り、誰と笑っているかだ。


俺たちはここで生きている。


それで十分だ。


少し先を歩くエリナに置いていかれないように歩幅を合わせながら、俺はそう思った。


少し後ろでは、ウォーダがまだ何かをセシリアに説明している。たぶん、数式の話だ。さらにその向こうでは、ベルザとニックがまた言い合っている。


遠くで学院の鐘が鳴った。



——完——



まる助です。ここまで読んでくださって、ありがとうございました。


『異世界は超加速シミュレーション』は、これで完結です。


長く書いてきた物語でしたが、最後まで書いてみると、自分の中に残ったのは、技術がどこまで進むかということ以上に、その変化の中で人がどう生きるのか、何を受け取って、何を次へ渡していくのか、ということでした。


話としてはここで閉じます。

けれど、物語を書き終えたあとにも、作者の中には少しだけ余白が残ります。

そして次の話は、たぶんいつも、そこから始まります。


次回作は、


『師匠の小説は神作です。でもなぜか私の方だけ人気が出ました』


です。


4月30日(木)より投稿を開始します。


今度は異世界ではなく、創作そのものをめぐる話を書きました。

師弟もののコメディとして始まりますが、書くこと、届くこと、読まれることについて、自分なりにずっと考えていたものを込めた作品です。


公開後は、作者ページの作品一覧からたどれます。

もし本作を楽しんでいただけたなら、次の物語ものぞいていただけたら嬉しいです。


また明日、登場人物や用語などを整理した「読者ガイド」も掲載します。

終盤の整理や、第一話からの再読のおともとして使っていただければ幸いです。


もし少しでも面白かった、あるいは印象に残った部分があれば、感想をいただけるととても励みになります。

好きだった人物、場面、一言だけでも嬉しいです。


最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

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