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異世界は超加速シミュレーション  作者: まる助
第7章「技術革命」
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068_銅を求めて>>

出発の朝、嫌なものを見た。


商会本部の廊下で、まる助とウォーダが言い合っていた。声は抑えている。だが空気が違う。こいつらの間に流れる空気は、いつもなら軽い。そして速い。なのに今は、妙に重かった。


「銅が手に入ったら、蒸気機関と通信を同時に進める。設計はもう終わっている」


ウォーダが言う。指先で壁を一定の調子で叩いていた。苛立っているときの癖だろう。


「同時進行は危険だ。通信を先にやる。蒸気機関は、人材育成が追いついてからだ」


まる助が返す。声は静かだが、目が引いていない。


「お前は慎重すぎる」

「お前は急ぎすぎる」


沈黙。

二人の間を、朝の風が通り抜けた。


(……珍しく噛み合ってねえな)


俺は荷物の重さを肩で確かめた。今日、魔王領の境界へ向かう。


銅がなぜ必要か。電気を通す線に使う。蒸気機関の部品にも使う。まる助とウォーダが作ろうとしているものには、だいたい銅が要る。だがこの辺りの鉱山は、もう掘り尽くしかけていた。掘れるだけ掘って、底が見えている。


そこで魔王領だ。


あの山脈の地下には銅が眠っている。俺は見た。遺跡の地下坑道を通ったとき、壁に緑青が浮いていた。あいつらは銅の価値を知らない。一方で、食い物と日用品には困っている。


噛み合ってる。

需要と供給が。


だから俺が行く。

捕虜時代の「顔」がある。それがそのまま交渉の糸口になる。


「おい、二人とも」


俺は間に割って入った。


「俺が銅を持って帰るまでに決めとけ。帰ってきてもまだ揉めてたら、二人まとめて腕相撲で決着つけさせるぞ」


まる助が苦笑した。ウォーダは鼻を鳴らした。


空気が、少しだけ軽くなった。


ーーー


出発前、まる助が俺を引き留めた。


「ニック、これを使ってくれ」


そう言って荷馬車の荷台を示す。穀物の袋、塩の樽、織物の束。取引用の荷とは別に積まれていた。


「手土産だ。交渉の前に渡してほしい。見返りは求めずに」

「……タダでか?」

「信用は、先に差し出すことで生まれる」


まる助は笑った。商人の顔だった。だが目は笑っていない。計算している目だ。この男は、善意ですら戦略に組み込む。


「わかった。渡す」

「それと、塩は惜しまなくていい。たぶん向こうはかなり塩に飢えてる。これで扉が開く」


ーーー


転移魔法と徒歩を織り交ぜて、国境まで五日。


転移魔法は便利だが、万能じゃない。運べる人数は魔道士の腕で決まる。並の術者なら一日に一人が限度。伝説級の大魔道士でも、数名に馬車一台分の荷までがせいぜいだ。


だから今回は、要所だけを飛び、あとは歩く。


ギルドの事務方が二名。護衛の冒険者が二名。俺を入れて五人の小さな外交団だ。


道中は静かだった。グレイスの防衛戦から半年以上が過ぎ、国境付近の魔王軍の気配は薄い。だが油断はしない。獣人の鼻は伊達じゃない。空気の濁りや、血と鉄の残り香には敏感だ。


五日目の夕方、境界の渓谷に着いた。


ここだ。捕虜のときに通された場所。岩壁に挟まれた狭い谷で、その向こうが魔王領になる。


谷の入口に、影が立っていた。


三メートル。灰色の肌。丸太みたいな腕。顔の半分を覆う牙。オーガの一種だろうが、俺の知っている連中より一回りでかい。


ガゼル。

捕虜のとき、最後に腕相撲をした相手だ。


「また来たのか、獣人」


低い声。地鳴りみたいに腹に響く。


「ニックだ。名前で呼べ」

「ニック。また腕相撲か」

「今度は勝ちに来た。……が、その前に渡すものがある」


俺は荷馬車を指した。ガゼルの目がそちらへ動く。


「穀物と塩と織物だ。取引とは別だ。手土産。挨拶代わりってやつだな」

「……罠か」

「罠に食い物は使わねえよ。バチが当たる」


ガゼルは動かなかった。巨体が岩みたいに固まっている。当然だ。戦争した相手が、いきなり食い物を差し出してくる。警戒しない方がおかしい。


俺は穀物の袋を開け、中身を一掴みして口に放り込んだ。噛んで、飲み込む。


「ほら。毒なし」


横で事務方が額を押さえた。外交の作法としては最悪だろう。だがこういう場では、作法より先に通すべきものがある。


ガゼルの肩から、わずかに力が抜けた。


「……腕相撲の次は毒見か。お前はいつも体を張るな」

「頭を使うのは得意な奴に任せてある」


まる助の顔が浮かんだ。


ガゼルの後ろに控えていた部下が、二体がかりで袋を運び始める。塩の樽を開けたとき、ガゼルの目が動いた。


「……これは。質がいいな」

「オルデストでも高い塩だ。商会の会長が気前よく出した」


ガゼルは何も言わなかった。だが塩の樽を運ぶ手つきが妙に丁寧だった。


あれは飢えている手だ。まる助の読み通りだったな。


ーーー


手土産を渡したあと、腕相撲をした。


負けた。


三メートル級のパワーには、獣人の腕力でも届かない。だが前回より長く持った。ガゼルは「少し強くなった」と言った。悔しいが、たぶん本当だ。


その一戦で、場の空気はかなりほぐれた。冒険者たちの肩の力も抜ける。腕相撲は不思議だ。殴り合いと違って、終わったあとに殺意が残りにくい。


交渉そのものは、ギルドの事務方が仕切った。俺の役目は、場をこじ開けることだ。


取引の枠組みは単純だった。


こちらが穀物、塩、日用品を出す。

向こうが銅と亜鉛を出す。

受け渡しは国境付近。

通貨は使わない。まだ信用が薄いからだ。


「量はどうする」


ギルドの使者が問うと、ガゼルの後ろにいた小柄な――それでも人間よりは大きい――魔族が前に出てきた。帳簿らしきものを持っている。


「こちらの提示量です」


読み上げる声は妙に事務的だった。


こいつら、ちゃんと帳簿をつけていやがる。


交渉は二刻ほどでまとまった。双方が少し不満で、双方が納得する線だ。そういえば、まる助が前に言っていたな。


――全員が少し不満な取引が、一番長続きする。


最後に、ガゼルが口を開いた。


「……塩を、倍にできるか」

「倍?」

「あの質だ。取り合いになる」


俺はにやりと笑った。


「いいぜ。その代わり、銅も倍だ」


ガゼルの牙の間から息が漏れた。笑ったのかもしれない。


「……交渉というのは、こうやるものか」

「さあな。頭のいい奴に聞いてくれ」


ーーー


取引成立のあと、少しだけ時間ができた。


俺はガゼルと並んで、渓谷の岩に腰を下ろした。夕日が谷を赤く染めている。


「お前、前より痩せたか?」

「食い物が減った。戦のあと、土地が荒れた」

「……そうか」


こっちも同じだ。グレイス周辺はいまも復興の途中にある。戦争は、両方を痩せさせる。だからこそ、取引が成立する。


「ガゼル。お前、なんで捕虜のとき俺と腕相撲してくれたんだ?」


ガゼルは黙った。しばらくしてから、低く答えた。


「暇だった」

「嘘つけ」

「……お前が、怖がらなかったからだ」


俺はガゼルの横顔を見る。灰色の肌。牙。傷だらけの腕。三メートルの巨体。


「怖いのが普通か」

「普通だ。人間は俺たちを見ると逃げる。お前は違った。俺を見て、笑っていた。嬉しそうに」

「変な奴って言いたいのか」

「変な奴だ」

「勇敢な奴と言え」


ガゼルの牙の隙間から、また息が漏れた。今度もたぶん、笑った。


だが――


ガゼルが立ち上がり、帰る方角を見た瞬間、目が変わった。


さっきまでの緩んだ目じゃない。硬い目だ。俺と話しているときの顔と、魔王領へ戻るときの顔が、まるで別の生き物みたいに違った。


犬だ、と俺は思った。


飼い主の前に戻る犬。外でどれだけ自由に走っても、呼ばれたら帰る犬だ。三メートルの巨体が、その瞬間だけ妙に小さく見えた。


(……あいつは、誰かに飼われている)


腕相撲は対等だった。取引も対等だった。だが帰っていく背中は、対等じゃなかった。鎖は見えない。だが、たしかにつながれている。


捕虜のとき、俺は一度だけ看守に聞いたことがある。


「お前たちの王は、どこにいる」


答えは返ってこなかった。答えなかったんじゃない。答えられなかったんだ。顔に浮かんでいたのは、困惑だった。


(あいつら、自分たちの王がどこにいるか知らない)


命令は来る。だが、その出どころを誰も見たことがない。


ーーー


帰路。六日目の野営。


焚き火の前で干し肉を齧りながら、俺は考えていた。俺にしては珍しく。


魔王のこと。ガゼルのこと。取引がうまくいったこと。銅が手に入ること。それから――まる助のこと。


ささいな場面だ。


前にまる助と一緒に荷物を運んだとき、あいつが木箱を持ち上げた。何気ない動作だったが、足の運び方が妙だった。


鍛えた動きじゃない。


探索者ならわかる。鍛えた人間の体の使い方には癖がある。重心の移し方。筋肉の連動。長年の反復で染みつく流れがある。


まる助には、それがなかった。


癖がない。まるで、そういう体として設計されているみたいに動く。


生まれつき強い奴はいる。獣人がそうだ。だが獣人には獣人の癖がある。骨格由来の動きがある。


まる助の動きは、何にも由来していない。


(……あんなのは、どこにも居ない)


答えは出なかった。出す気もなかった。


まる助は仲間だ。あいつが何であろうと、それは変わらない。だが違和感だけは、腹の底に残った。


干し肉と一緒に飲み込んだつもりだったが、うまく消化できていない気がした。


ーーー


七日目の夕方、オルデストに帰還した。


銅鉱石のサンプルと、取引の合意書を持って。


ギルドで報告を済ませ、その足で商会本部へ向かう。まる助に直接渡すためだ。


廊下で、まる助とウォーダとすれ違った。


二人は並んで歩いていた。だが、間隔が出発前より広い。半歩分。たったそれだけだ。だが、俺にはわかる。


亀裂は、まだ塞がっていない。


「銅、取ってきたぞ」


まる助が振り返った。笑った。いつもの笑い方だ。


「すごいな、ニック。助かる、ありがとう」


ウォーダは立ち止まらなかった。背中だけを見せて、研究室の方へ消えていく。


俺はいくつかのものを持ち帰った。


銅と亜鉛。これは予定どおりだ。だが、それだけじゃない。


魔王領の奥にある見えない支配。

まる助の体に潜む異質さ。

まる助とウォーダの間に生まれた隙間。


どれも、腕相撲じゃ解決できない類のものだった。

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