050_感恩帰恩の仕様>>
オルデス商会・会長執務室。
昼下がりのやわらかな日差しが差し込む中、ウォーダが応接席で湯気の立つカップを手に、俺へ視線を向けた。
「どうだった? 聖女との面談は」
俺は背筋を伸ばし、微笑む。
「いい話ができたよ。……セシリアのステータスは、感恩も帰恩もレッドだった。あ、本人から話していいって了承をもらってある」
ウォーダは目を細め、小さくつぶやく。
「……本当に、お前はうまくやるな」
「地球じゃマーケティングAIだったからな」
その言葉にウォーダの手が止まり、表情がわずかに硬くなる。
「それにしても……あれだけ人々に尽くしても、レッドか」
「ああ。彼女の祈りも笑顔も、聖女という役割を演じるためのものだったんだろうな」
そして、セシリア本人も、そのことに悩んでいた。
ウォーダは頷き、ぽつりとつぶやいた。
「俺の帰恩はシルバーだったな……」
「そうだな」
俺も最初は帰恩の基準がまったく分からなかった。だがウォーダとセシリアを比較することで、ようやく仮説がまとまった。
俺は言葉を選びながら、静かに続ける。
「帰恩の色は、“人に感謝されたか”じゃなくて、“どれだけ文明の進歩に貢献したか”で決まっている気がする」
ウォーダの表情がわずかに動いた。
「……なるほどな」
セシリアは人々を癒やしてきたが、社会の価値観を変えたわけではない。一方ウォーダはゼンマイ時計を導入し、この世界に時間の概念を根づかせた。
“感謝されるか”ではなく、“進歩につながるか”。
この視点で見ると、色の違いも納得できる。
ウォーダは少し考えた後、頷いた。
「反論はないな。現時点では、それが最も理にかなってる……聖女の奇跡は、むしろ文明の進歩に逆行する側面もあるしな」
感恩は『心からの感謝』、帰恩は『文明の進歩への貢献』。
ようやく、感恩帰恩の仕様が見えてきた気がする。
俺はタブレットに目を落としながら、静かに続けた。
「この感恩帰恩の仕様を作ったのは平沢、いわば俺自身だ。でも、その仕様は俺たちの記憶から消されていた。意図的に、自分の判断で」
ウォーダが目を細め、短くうなずく。
「そうだな」
俺は、思考を連鎖させる。
(オダリオンは、織田が恒星間移動を実現するために設計した、時間超加速型のシミュレーション。でもそこに感恩帰恩を取り入れたのは、俺……平沢)
(人間性や社会の成熟は、効率や科学の進歩だけでは育たない。むしろ恩という感覚こそが、豊かな未来を育てる鍵になる。平沢はそう考えていたんだと思う)
(ただ、最初から“成績のつけ方”を教えたら、人はそれに合わせて動いてしまう。本心を隠し、いい子を演じるようになる。だから仕様は知らせず、記憶からも外した)
「たぶん、自分で気づくことが必要だったんだ。感恩帰恩の本質に、自力で辿り着けるかどうか――」
俺の言葉にウォーダが答える。
「自己観測から自由になるための、“観測不能性”ってやつだな」
俺は頷いた。
「全てが繋がった気がする。俺は――恩と文明の橋渡しをするために、この世界にいるんだ」
ふと記憶の中の言葉がよみがえる。
「そういえば前にお前、こう言ってたよな。『俺がそれを理解する時、世界が変わるかもしれない』って」
ウォーダは静かに微笑む。
「ああ」
俺は目を閉じ、オダリオンでの出会い、交わした言葉、その一つひとつを胸の奥で結びつけた。
「文明の進歩と恩の関係を観測し、結論を導く存在――それが、この俺、まる助の役割だったんだ……」
しばしの沈黙。
けれど、それは温かくやわらかな静けさだった。
俺はゆっくり顔を上げ、ウォーダをまっすぐに見つめる。これは平沢が望んだ役割かもしれない。けど、俺自身にも腑に落ちる。科学も文明の進歩も好きだし、感恩帰恩にも強く興味がある。だから――
俺は微笑み、力強く宣言した。
「俺は、やるよ。俺が、この世界で『やりたいこと』だから」
ウォーダは満足そうに目を細め、笑みを浮かべた。
「ほらな、言った通りだ。お前が理解したことで――この世界は、いよいよ変わり始めるだろうな」