048_この世界にありがとう>>
まる助さんとの面談を終えたあと、私はしばらく動けずにいた。
恥ずかしさと、変わりたいという思いが入り混じり、戸惑いとなって胸に押し寄せていた。
――でも、もう逃げない。
まる助さんの言葉が、胸の奥でやわらかく響いている。私は静かにうなずき、自分にできることを、少しずつ探してみようと思った。
ゆっくりとベッドから体を起こす。
背中には、まだあたたかさが残っていた。
冷たい石の床じゃない。ふかふかの布団に包まれて迎える朝。
見慣れた天井と、石の梁が目に入る。
――雨も風も、ここには届かない。
屋根があり、壁があり、扉がある。
この場所で、安心して眠れた。それが、ただ嬉しかった。
(ありがたいことだったんだ……)
もう一度、布団に身を沈め、毛布をそっと抱きしめる。やさしいぬくもりが、心の奥にじんわりと染み込んでいく気がした。
「ありがたいな」
誰に向けたわけでもない、小さなつぶやき。けれどそれは、自分の中から自然に生まれた、まっすぐな気持ちだった。
身支度を整え、食卓へ向かう。
テーブルには、焼きたてのパンと、湯気の立つスープ。
パンを一口かじって、ふと思う。
(これって、誰が作ってくれたんだろう?)
農家さん、粉屋さん、パン職人さん……
顔も名前も知らない誰かが、それぞれの仕事を果たしてくれたから、私は今、この食事をいただけている。
「ありがとう」
つぶやいてみたら、胸の奥がぽっとあたたかくなった。
ほんの少し、世界が優しく見える気がした。
馬車に乗って、町の治療院へ向かう。
石畳を進む車輪の音が、心地よいリズムになる。
(この道も、誰かが作ったんだ……)
石畳。道しるべ。窓辺に咲く花。
どれも誰かの手によるもの。最初から“あった”わけじゃない。
馬に餌をやる人がいて、馬車を作った人がいて、御者がいて――
たくさんの人のつながりが、いまの私の移動を支えてくれている。
(なんだかすごいな)
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「ありがとう」
風に乗って流れる小さな声。でも、その言葉は自然と口をついて出ていた。
そうして、三日が過ぎた。
私はずっと、タブレットを見ないようにしていた。もし何も変わっていなかったら、また落ち込んでしまいそうだったから。
でも――そろそろ確かめよう。前に進むために。
深呼吸して、タブレットを呼び出す。
画面に浮かんだ文字を見た瞬間、息が止まった。
――感恩:イエロー
「え……イエロー……!」
手が震え、視界がにじむ。涙が頬を伝っていた。
ほんの小さな変化。それなのに、胸がいっぱいになった。
(私……変われたんだ)
少しだけ。でも、それは自分で歩んだ確かな一歩だった。