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040_オルデス商会長就任式>>

 荘厳な聖歌が式場に響き渡る中、私は静かに歩を進める。


 大商会の新会長を迎える就任式――壇上の奥、神前の正面には、聖女である私セシリアが立つべき場所が用意されている。


 天井からは色鮮やかな布飾りが垂れ下がり、広々とした式場には、多くの来賓が集っていた。


 やがて、その視線が一斉に、ある一点、この場の主役――“まる助”という名の新会長へと注がれていく。私もその方向に目をやり、視線を向けた瞬間、思わず息をのんだ。


(若い……)


 想像よりずっと若い。けれど落ち着いた雰囲気をまとっている。


 儀式用の衣をまとった私は、静かに壇へ上がる。胸の内には、普段と違う高揚感があり、私の心はどこか落ち着きを欠いていた。聖歌を背に受けながら歩みを進めると、多くの視線が自然と私に集まる。


 その中でただ一人、まる助さんだけが、どこか困惑したような表情を浮かべていた。


(困惑? でも気づかれるはずはないし……)


 本来なら、私は聖女として、ただ粛々と祝詞を読み上げていればいい。けれど今日の私には、ひとつだけ密かな思惑があった。


 彼のタブレットに映る“感恩”と“帰恩”の色――それを、この目で確かめること。それが、今日ここに立つ私の目的だった。


 私は静かに息を整え、儀式の最初の言葉を告げる。いよいよ、聖なる式が始まった。


「この厳かな儀式のもと、あなたの門出を祝福いたします。オルデス商会が、末永く栄えますように」


「今日、ここに立つあなたを讃え、商会に聖なる加護がもたらされるよう祈りを捧げます」


「そして今――その未来を託すにふさわしい方であるかどうか、ここで確かめさせていただきましょう」


 冒頭の台詞を述べた私は、胸の内に高まる鼓動を抑えながら、ゆっくりと一歩、前へと踏み出した。


 ――ついに、この瞬間が来た。


「では……聖なる光の記録に照らして、誠実を確かめる――タブレットを、神前にお示しください」


 古くから伝わる言い回し。形骸化しかけた一節。けれど、今の私にとっては違う。これは、彼の“色”をこの目で確かめるために許された、唯一にして正当な手段。


(ようやく、わかる……)


 指先がわずかに震える。私はその震えに気づき、静かに力を込めて押さえ込んだ。


 本来、この一節は“聖女に見せる”ことを求めるものではない。神に誠実を示す――それだけの、あくまで形式的な所作。聖女がその画面を覗き込むことなど、規定には含まれないし、想定もされていない。


 それでも、一瞬、ほんのわずかな隙さえあれば――感恩と帰恩、その“色”を、この目で覗き見ることができる。私はわずかに身を乗り出し、彼がタブレットを呼び出す瞬間を、息を詰めて見つめた。


 そして、タブレットが現れ、私が視線を向けた、その刹那――


 まる助さんは、タブレットをすっと動かした。ほんのわずか、気づかれないほどの角度の調整。それなのに、私が視線を向けるたび、その動きに合わせるかのように、画面が絶妙に視線を外れていく。


 偶然? それとも――気づかれている?


 焦りが胸をかき乱す。自然だけど、偶然にしては的確すぎる。まるで“見せまいとしている”としか思えなかった。


(どうして……)


 聖歌と祝福の詞が式場に響く中、私はただ一人、胸の内に波立つ動揺を抱えていた。


 彼の手元に視線を向ける。見えそうになった瞬間、彼は自然な仕草でタブレットの向きを変える。さりげない。


(本当に気づいている?)


 じわりと額に滲む汗に気づき、私は呼吸を整える。私は聖女。この場で動揺を表に出すわけにはいかない。それでも――どうしても、その“色”が知りたい。


 いったん視線を外したふりをして、ふと隙を突くように、再びタブレットへと目を向ける。ほんの一瞬、画面の一部が視界に入ろうとした。けれど、次の瞬間にはもう、彼の腕の陰に隠されている。


(おかしい。見えるはずなのに……)


 焦りが胸の奥で熱を帯びていく。けれど、私は聖女。役割を忘れるわけにはいかない。静かに顔を伏せると、滞ることなく、定められた台詞を口にする。


「今ここに、あなたを正式に、オルデス商会の会長として認めましょう」


 私は一礼し、神前に掌を差し伸べる。


「そして、聖なる導きがあらんことを――まる助殿に、祝福を授けます」


 その言葉を合図に、祭壇の上空に据えられた光輪が淡く輝きを増し、柔らかな金の光が彼の頭上へと降り注ぐ。荘厳な聖歌が再び高まり、彼の姿はしばし、聖なる光に包まれた。


 一礼しながらも、心の中では疑問が渦を巻いていた。なぜ彼は、あそこまで巧みに、私の視線をかわせたのか――偶然では済まされない的確なタイミングだった。


 まる助さんは深々と頭を下げ、光につつまれたままゆっくりと顔を上げる。

 会場には盛大な拍手が沸き起こり、儀式は何ひとつ滞りなく終わった――少なくとも、外から見れば。


 けれど、私の胸に残ったのは、ただひとつの想い。


(このまま、終わるわけにはいかない)


 この場で確かめられなかった以上、次の手を打つしかない。たとえ少しぐらい不自然に思われようと、今この機会を逃すわけにはいかなかった。


 彼が壇を下りかけた、その瞬間。私は一歩踏み出し、静かに声をかけた。


「まる助さん、少々よろしいでしょうか」


 聖女としての威厳を崩さぬよう、声色を整えながら、言葉にほんのわずかだけ圧を込める。


「儀式の補足として、個別にお話を伺います。あなたの誠実さを、もう少しだけ深く――聖女として、確かめさせていただきたいのです」


 でも本音はただひとつ。


(今度こそ、あなたの“色”を見せてほしい)


 そんな思惑を口にできるはずもない。あくまで“聖女としての役目”という体裁を保っての申し出だった。


 その声を受けた神官たちが、わずかに眉をひそめて互いに視線を交わす。儀式の後で、聖女が個別に言葉を交わすことなど、まずない。ましてや“補足の個別面談”などという形式は、過去に例がなかったはず。


 それでも、私は迷わなかった。


 まる助さんは一瞬、訝しむような表情を浮かべたものの、静かに頷いた。ただし、明日まで予定が詰まっていて、すぐに時間を取るのは難しい、と。言葉は丁寧だったが、その意思ははっきりしていた。


「明後日以降であれば、最優先で対応いたします。日程は聖女様に合わせますので、後ほどご都合をお知らせください」


 彼はわずかに戸惑いをにじませながらも、正面から私を見つめて、そう応じてくれた。私も静かに頭を下げる。


 周囲では祝福の拍手が鳴り響いていた。私からまる助さんへの最後の声がけも、人々には特に奇異に映ることはなかったようだ。儀式は滞りなく進み、何ひとつ問題なく終わった――少なくとも、外から見れば。


 私たちは一礼を交わし、私は静かに壇を降りた。そのとき、まる助さんがわずかに視線を送ってくるのが見えた。何かを言いかけて、言葉にしなかった――そんな気配。彼もまた、こちらの意図を探ろうとしているように見えた。


 聖女としての役目を果たした私は、ゆっくりと会場を後にする。けれど、内心では別の炎が、静かに燃え続けていた。


(――まだ、終わってはいない)


 焦りとも、執念ともつかない感情。

 けれどそれは確かに、胸の奥でくすぶり続けていた。

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