023_オルデス商会との交渉>>
応接室には、張り詰めた空気が満ちていた。
洗練された室内は、ギルドの会議室とは比べものにならない風格を漂わせている。
長机を挟み、向かいに座るのはオルデス商会の幹部たち。彼らは資料を手に取り、穏やかな笑みと鋭い視線をこちらに向けていた。
まる助は静かに息を整え、言葉を発するタイミングを見計らう。息を乱せば、わずかな隙も見逃さぬ彼らに、交渉の主導権を奪われかねない。意を決し、まる助はゆっくりと口を開いた。
「さて、早速ですが……ギルドが進めているBPO計画について、ご説明します」
落ち着いた声で切り出し、幹部たちを見渡しながら、用意した資料を卓上に並べていく。幹部たちは言葉を発さず、まる助の一挙手一投足に注意を向けた。
「現在ギルドでは、業務効率化の一環として、BPO (業務の外部委託)を計画しています」
そう前置きしながら、まる助は資料をめくった。
〈BPO導入の要点〉
・ギルド:商会に事務を委託
・商会 :専門組織で受託
↓ ↓ ↓
・ギルド:受注クエストの拡大
・商会 :安定収益の確保
「現在ギルドでは、事務作業がボトルネックとなり、クエストの受注数が伸び悩み、サービスの質にも影響がでています。そこで、商会の専門組織へ事務を委託することで、関係者全員が恩恵を受ける仕組みを構築する計画です」
まる助は用意した資料を広げ、ギルドの現状を数値で示す。職員の負担割合、事務作業の遅延率、依頼者と冒険者の待ち時間、そしてBPO導入による改善予測――簡潔に整理された表が、幹部たちの前に並ぶ。
「商会にとっても、メリットがあります。安定した収益源を新たに確保できるだけでなく、人的リソースをより効果的に活用できるようになります」
まる助はそう述べながら、商会の利益を視覚化した資料を示し、幹部たちへと視線を向けた。机上には、商会が業務を請け負った場合の「収益予測を示す時系列データ」が並ぶ。
・業務請負による収益の推移
・現状の収益率とBPO導入後の対比
・人的リソースの最適化による効果
整理されたデータが、幹部たちの興味を引く。彼らは無言のまま資料を手に取り、じっくりと数字に目を通し始めた。
「ギルドの過去五年分の業務データをもとに、商会が関与した場合の収益予測を示しています。短期的には導入コストが発生しますが、早ければ一年以内に投資回収が可能となり、二年目以降は安定した収益が見込めます」
幹部たちは一様に頷き、「なるほど」「興味深い」といった声を漏らしながら、資料に目を落とす。それぞれが慎重に数字を吟味し、じっくりと確認していた。
(やはり。数字を示せば納得しやすい)
まる助は手応えを感じた。論理とデータを的確に示せば、この提案は通る――そう確信しつつあった。
しかし、幹部の一人が書類をめくる手を止め、真剣な表情で口を開いた。
「興味深い話ですね。しかし、これはギルドの内部改革ではありませんか? 商会が関与する意義は、本当にあるのでしょうか?」
まる助はデータを指し示しながら、落ち着いた声で応じる。
「長期的に見れば、ギルドと商会が協力することで、取引の拡大につながります。最初は投資のフェースですが、協力効果が広く波及して――」
言い終える前に、別の幹部が口を挟んだ。
「将来的な可能性は理解できます。しかし、我々もリスクを取る以上、短期的な収益が見込めなければ、判断が難しいのですよ」
まる助は一瞬、言葉に詰まりかけたが、すかさず追加でデータを提示する。
「短期的にも一定の利益が見込めます。こちらの予測データによれば――」
だが、その言葉を遮るように、別の幹部が鋭く問いかけた。
「もし、プランが失敗すれば? その場合、商会が強いられる負担は?」
問い詰めるような口調と鋭い視線。まる助は、一瞬のためらいを感じた――
商会側に十分なメリットがあるはずなのに、慎重な態度を崩さない。
決定権者の姿も見えず、誰が最終判断を下すのかも不明。
一度批判的な意見が出た以上、簡単に撤回することはない。
流れが悪い今、無理に進めれば逆効果かもしれない……
(ここは一旦、仕切り直すべきか……?)
判断を迷った、そのとき――ベルザが静かに口を開いた。
「商会の皆様が懸念されているのは、リスクとリターンのバランスかと存じます。よろしければ、その試算をご確認いただけますか?」
その一言で、場の空気がわずかに変化した。まる助は間髪入れず、リスクとリターンの比較表を提示する。幹部たちは無言のまま資料に目を落とした。
先ほどまでの批判が一旦収まる。しかし依然として、慎重な姿勢は崩さない。互いに視線を交わしながら数字を吟味し、それぞれ慎重に解釈している。
「リスクに見合うメリットがあることは理解しました。しかし、一度、会長の判断を仰ぎたいと思います」
幹部の一人が、静かに切り出した。まる助は「会長?」と聞き返す。
「はい。我々では決定できません。少々お待ちください」
そう言うと、幹部の一人が席を立ち、扉の向こうへ消えていった。応接室には重々しい沈黙が広がる。
(首の皮一枚……ベルザの助け舟がなければ、危なかった)
まる助は冷や汗を拭いながら、エリナやモラン課長に目を向ける。モラン課長は苦笑し、エリナは小さく肩をすくめた。
(数字で動かないとなると……商会内の力関係を把握する必要があるか?)
静寂の中、まる助は思案する。しばらくして、先ほど部屋を出た幹部が戻り、扉を開けた。
「会長がまいります」
その一言に、まる助は背筋を正す。ようやく決定権者の登場だ。ここまで慎重なやり取りが続いたが、最終判断を下せる人物が相手なら、話が進められるはず――いや、進めてみせる。まる助は静かに息を整え、次の一手に備える。
ふと横を見ると……ベルザが楽しげな表情を浮かべていた。まるで、この展開を待ち望んでいたかのように――
(なんだ……? なんでベルザ、嬉しそうなんだ?)
一瞬、疑問が頭をよぎるが、今は交渉に集中すべきだ。
(ようやく本丸のお出まし……勝負再会といこうか!)
そして――入ってきたのは、意外にも若い男だった。
仕立ての良い長衣をまとい、鋭い目をしたその顔を見た瞬間、まる助は息を呑む。
「……お、織田!?」
入室した男も、足を止める。
「平沢……!!」
一瞬、場の空気が凍りつく。一人楽しげだったベルザが、驚愕の表情に変わり、思わず声を上げた。
「知り合いだったのか!?」
だが、まる助も織田――いや、ウォーダも、互いを凝視したまま、言葉を失っていた。
(何がどうなっている? なぜ織田がここに……)
幹部の一人が、困惑した様子で二人を見比べ、口を開く。
「……お知り合いでしたか?」
まる助は驚愕のあまり、微動だにできない。ようやく、ウォーダが静かに沈黙を破った。
「まさか、こんな形で再会するとはな。平沢……」
一呼吸置き、彼はまる助をまっすぐに見据え、言葉を続ける。
「部屋を変えよう。二人で話す必要がありそうだ」




