021_ベルザ300年の期待>>
私は机の上の書類を整理しながら、手を止めた。
つい先ほどまで、まる助とエリナがいた。二人の軽口と笑い声が、部屋に残っているように感じる。
「まる助、か……」
呟きながら、一冊の報告書を手に取る。
「BPO計画:ギルド業務改革3ヶ月プラン ver02」
ページをめくると、ギルドの業務効率化と組織再編に関する施策が、細部まで緻密に記されている。目を通すたびに、その異質さが浮き彫りになる。
(やはり……異質だな)
まる助は、ギルドの構造を的確に分析し、最大の効果を生み出そうとしている。すべての歯車を見透かし、絶妙に組み替えるように――
私は300年以上生きてきた。その間、数えきれないほどの才覚ある者たちと出会い、彼らの知恵を見てきた。だが、この短期間で、これほどの分析ができる者が、他にいただろうか?
「いる……ウォーダだ」
その名が頭に浮かぶのと同時に、出会いの情景が記憶から浮かび上がる。
それは、わずか三年前のこと。私はウォーダと初めて出会った――
当時、彼は「狂人ウォーダ」と呼ばれていた。「交易や戦争は数式で解析できる」――そんな理論を語り、異端視されていた。
だが、私はその噂に興味を持った。長い年月の中で、何度も見たからだ。才ある者が、無知に晒され、疎まれ、排斥される光景を。
ただの狂人なのか、それとも――確かめる価値はある。そう思い、自らウォーダの元を訪れた。
そこにいたのは、一人の若者だった。床一面に散らばる紙の束。びっしりと書き込まれた数式の群れ。彼は、世界の法則を解き明かすかのように、淡々と理論を構築していた。
『この世界は、数と構造で成り立つ仮想世界』
『交易も戦争も、すべては数式で解析可能』
『人々は、それに気づいていないだけさ……』
胡散臭い、そう思った。だが、ウォーダの言葉に耳を傾けるうちに、次第に気づく。彼の語る理論の中には、確かに「法則」があった。そのすべてを理解できるわけではない。だが、その片鱗を掴めたのは、私が三百年の歳月を生き、多くの才能を見てきたからかもしれない。
(確かに……天才。だが、あまりに先を行きすぎている)
ウォーダの思考は、常識をはるかに超えていた。だからこそ、凡庸な者たちに理解されず、「狂人」と呼ばれた。今なら分かる――誤っていたのは彼ではなく、彼を受け入れられなかった世界の方だ。
やがてウォーダは、「ゼンマイ式時計」の図面を持ち込み、特許を取る。
当初こそ懐疑的な声があったが、完成した時計は爆発的に売れ、大ヒット商品となった。
だが、彼が真に変えたのは、周囲の評価や自身の名声ではなかった。
「時間を意識する」文化が根付き、労働の効率は飛躍的に向上し、都市の活動はより計画的になった。交通網や物流の整備が進み、軍事や経済の戦略も精密になっていく。教育の体系化が進み、医療や農業ですら時間管理の恩恵を受けるようになった。
ウォーダが変えたのは、社会そのものだった。
『改良型を出すたびに、どれだけ金が入ったと思う?』
驚くことに、ウォーダは最初から「改良の余地があるモデル」を意図的に商会へ持ち込んでいた。初期モデルは、広く普及させることを優先し、低精度・低価格に抑えた設計。それは布石に過ぎなかった。次に登場したのは携帯型のモデル。そして、精度向上を施した高級機種。
計画的に市場を制圧して、莫大な富を築いた。
さらに、株取引――彼の言う「クオンツ・アルゴリズム売買」とやらで、その富は一気に膨れ上がった。大商会の過半の株を取得し、ついには商会長の座に就いた。
その間、わずか二年半。
今や、ウォーダ率いるオルデス商会に対抗できる組織は存在しない。商会は経済を牛耳り、その影響力の前に、ギルドの立場も弱まっている。
(私では太刀打ちできない。それは分かっている)
300年生きた私が、何年かかっても実現できないことを、ウォーダはたった二年半でやってのけた。その才能と実績は、もはや疑いようがない。だが――
「まる助、お前にギルド長を任せたい」
先ほどのやり取りを思い出す。まる助は予想どおり固辞した。「自分には荷が重すぎる」と。
だが、それでいい。私の狙いは、彼を『ギルド長』に据えることではない。彼に必要なのは、肩書きではなく、実質的な権限。形式に縛られるよりも、確実に指揮を執れる立場を持たせることが重要だ。
(彼は圧倒的な才覚を示している。しかも、底を見せていない)
書類の誤記を思い出す。まる助は、わざと書き間違えることで、周囲に「自分は完璧ではない」と思わせようとしている。それに気づいた私は感嘆した。実力を隠し、最適なタイミングで切り札を切る――そんな狡猾さを、彼は持っている。
(しかも、悪意がない。本気で人々を幸せにしようとしている)
ウォーダと決定的に異なるのは、そこだ。ウォーダにも悪意はない。しかし、彼は他者の感情や社会の在り方を顧みることない。目的達成に最短距離で邁進した結果、社会の構造は変わり、彼自身もまた絶大な力を得た。
一方、まる助は「誰も取り残さない方法」を模索している。BPOという手段を通じて、ギルド全体を改革しようとしているのも、その表れだ。だからこそ――ウォーダに対抗しうるのではないか……
まる助に大きな権限を与えた今、次なる焦点はオルデス商会との交渉だ。ギルドの内部改革では、いずれ限界がくる。事務を担う人材の確保、将来的な損害保険やファンドの導入――どれを取っても、商会の協力なしでは効果が限られる。
だが、商会はギルドとは異なる。金と利権、そして市場の力学が複雑に絡み合い、正論だけでは動かせない。しかも、その頂点にウォーダがいる。
(まる助、お前はどう乗り越える?)
私は、あえてウォーダの詳しい説明をしなかった。
事前に「ウォーダの天才性」を知れば、まる助が必要以上に警戒する可能性がある。まずは彼自身のやり方で挑ませ、その実力がどこまで通じるのかを見極めたい。
私は引き出しから分厚い資料を取り出した。
ギルドの情報網を使い、独自に集めたオルデス商会の最新動向。そこには、新たに「電気」の研究が進められているという情報が記されている。
魔法ではなく、純粋な技術による電気の活用。仮に実現すれば、社会に変革をもたらし、商会の影響力はさらに拡大するだろう。だが、独占が進みすぎれば、社会には必ず歪みが生じる。そしてウォーダ自身は――おそらく独占や権力を望んでいるわけではない。
(それが交渉の材料になるのなら……)
私は資料をめくりながら、商会の出方を考える。今回の交渉は、単なる利害の調整ではない。市場の均衡、社会の変化、そして未来への影響――それらを見据えた交渉になる。
私は静かに資料を閉じ、椅子に深くもたれかかる。窓の外では、沈みゆく夕陽が街を薄紅色に染めていた。
(私では及ばない。だからこそ……お前に託す)
まる助がウォーダと渡り合い、この状況を打開できるなら――ギルドの未来は明るい。そのために、私はできる限りの手を尽くすつもりだ。表に立つのはまる助。影で支えるのが私。まる助ならば、この局面を乗り越えられる。その先にどんな未来が待っているのか――私は、その未来を見届けたい。
「まる助とウォーダ……ふふっ、どうなるかな」
その笑みには、300年を超えて生きる者が抱く、大きな期待が宿っていた。




