020_ベルザとエリナの策略>>
午後のギルドは、朝の喧騒が落ち着き、穏やかな空気が流れている。
俺――まる助は、印刷作業場の一角で、せっせと紙を並べていた。
「ここに……『ギルドは信頼を生む組織。そのために冒険者の利益を最大化する』――っと」
原稿を確認すると、隣で木活字が浮かび上がり、組み上がっていく。
「ほれ、次の行の活字じゃ。まったく、早速こき使いやがってのう」
ぼやきながら杖を操るのは、大魔道士・モーラ。彼女の魔術によって、木活字が一文字ずつ整列し、金属枠にぴたりと収まっていく。
「感謝してます、モーラさん。本当に助かります」
「こんな面倒なこと、普通はせんぞい。便利屋扱いしおって……」
不機嫌そうに言いながらも、モーラは魔力を操り、活字を高速で組み上げていく。
「よし、次は印刷だな」
俺は整えられた版にインクを塗り、紙を被せる。ローラーで均等に圧をかけると、一枚の印刷物が完成する。
「よし、また一枚……」
紙をめくり、仕上がりを確認。すでに何十枚と刷ったので慣れてきたが、作業は地道だ。
「大量に刷るんだな」
肩越しに声をかけてきたのはモラン課長。普段は落ち着いた人だが、珍しく興味津々の様子だ。
「ええ、今回のBPOプランは、意識改革が鍵ですからね」
ギルド職員に共有するために、理念は“見える形”にしておきたい。理念の共有はBPO成功の鍵だ。部外者の俺が「こうしろ」といきなり口で伝えても、人はそう簡単に動かない。
「しかし、インクや紙代も馬鹿にならないだろう?」
「正直、高いですよね。1枚100円ですし……」
「木活字の特許は商会が押さえてるからな。“利用料”を払うしかないんだ」
「なるほど……特許か。商会が握っているんですね」
この世界にも特許制度がある……少し意外だ。発明が保護されるのなら、もっと技術が進んでいてもよさそうなものだ。特許の運用が独占的すぎて、他者が参入できないのだろうか?
それとも――
(ま、今は目の前のBPOが先決か)
モラン課長に礼を言い、作業を再開した、その時――
エリナが部屋に駆け込んできた。
「まる助さん! ベルザさんが、“すぐに執務室に来てくれ”って」
エリナの表情が硬い。ベルザはギルドを取り仕切るトップ。俺にとって“仕事上の上司”みたいなものだ。
「すぐって――何か問題ですか……?」
思わず尋ねるが、エリナは口を閉ざしたまま、視線をそらす。
「……わかりました、すぐ行きます」
胸騒ぎを覚えながら、印刷道具を手早く片づけ、足早に執務室へ向かう。
ベルザの執務室。
急いでかけつけドアを開けると、ベルザが書類に目を落としていた。
「失礼します。急ぎと聞いて……何か問題でしょうか?」
ベルザは書類を置き、瞳をまっすぐこちらに向ける。
「まる助、お前に――ギルド長を任せたい」
「……は?」
理解が追いつかない。まるで、この世界に転移したときのような突拍子のなさだ。
「ギルド長……?」
声が裏返る。ありえない。ギルド長なんてポジションは想定外もいいとこだ。
「俺、街に来て四日目ですよ!? クエストの実績もゼロ。ギルド長なんて……」
慌てる俺を見て、ベルザは満足そうに笑う。
「まあ、そう言うと思ったよ」
その瞬間、後ろからくすくすと笑い声が聞こえた。エリナだ。
「やっぱり、驚くときのまる助さん、面白いですね!」
「……は?」
ベルザが肩をすくめる。
「お前には驚かされてばかりだった。たまには、こっちが驚かせてやろうと思ってな」
そう言って、エリナとベルザが視線を交わす。二人とも、してやったりといった顔をしている。
「ちょっ……心臓止まるかと思いましたよ!」
「ふふっ、ごめんなさい。でも、冗談とも限りませんよ?」
エリナが悪戯っぽく笑う。改めてベルザを見ると、彼女は軽く頷き、瞳をまっすぐ向けてきた。
「そうだ。今まで見た中で、これほどの能力を見せたのは二人だけ。お前と……ウォーダだ」
「ウォーダ?」
ベルザは視線をそらし、一瞬沈黙する。
「今は、話せない。が、じきに分かる。とにかく、お前ならギルドを変えられる、と判断した」
ウォーダ……何者だ?
疑問がよぎるが、それは今考える問題じゃない。
「すみません。さすがにギルド長は荷が重すぎます」
「そうか。だが、BPOはギルドの最優先事項とする。兼任になるが、職員二名をお前のチームに割り当てる」
ベルザの声は落ち着いているが、瞳には揺るぎない覚悟が宿っている。
「予算も人員も割けない、と言ったのは撤回する。最優先で動いてもらう」
「……そこまで。いいんですか?」
これまで「最低限のリソースでやれ」と言われていたのに、一転して最優先扱い。
「いい。ギルドに必要な改革と判断した。お前はプロジェクトの責任者だ」
「わかりました。BPOプロジェクトのリーダー、やらせてもらいます」
口にした瞬間、どこか誇らしい気持ちが湧いてくる。ここまで評価してくれているなんて――
ベルザはうなずき、書類の山を指先で整えながら言った。
「まずはギルド内部を固めろ。明日の午後は、商会との交渉だ。アポは取ってある。私も同席するが、抜かりなく進めてくれ」
「……明日の午後、商会との交渉、ですね」
BPOを成功させるには、ギルド単独では限界がある。特に、事務を担える人材の確保が急務だ。その点、商会の協力を得られれば、適任者を確保しやすい。さらに――将来的に損害保険やファンドを導入することを考えれば、商会とのつながりは必須だろう。
「そうだ」
ベルザは短く答えた。だが、その瞳には、別の意図が潜んでいるようにもみえる……
「ギルドでの滑り出しは順調。だから、商会にも同じ手が通用する――そう考えているんだろう?」
「……ええ。論理を組み上げれば、勝算は十分だと思います」
「そうか」
短く答えると、ベルザは視線を落とし、再び書類をめくり始めた。
執務室を出るころ、頭の中は明日の交渉準備でいっぱいになった。
ギルドとの交渉は、意外と早くまとまった。商会との交渉も、案外すんなり進むかもしれない。
印刷したばかりの書類を抱え、足早に廊下を進む。明日の交渉を考えると、自然と胸が高鳴る。
だが、この時の俺は、楽観しすぎていた。
商会の背後に、“ウォーダ”という規格外が潜んでいるとも知らずに――




