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014_ベルザとの対峙に向けて>>

 朝の静けさの中、スマートウォッチのディスプレイが06:20を示していた。


 薄暗い部屋で、まる助は小さく息をつく。バッテリー残量は、あと約20日。電源が尽きれば、この異世界と“向こうの世界”をつなぐ唯一の証が消えるような気がして、心にわずかな寂しさがよぎった。


 だが、嘆いていても始まらない。ここが今の“現実”なのだから。それに、この世界も悪くない。


 昨日から、まる助はギルドの社員寮に移り住んでいた。正式な職員ではないが、エリナの紹介で特例的に貸与された部屋だ。


 男性棟にあるその部屋は、ギルドから徒歩三分という好立地。エリナは反対側の女性棟に住んでいる。


 部屋は狭いが清潔で、防音も優れている。石造りの壁に、小さな机と椅子、壁にかけられたランプがひとつ。ベッドの上で軽く伸びをし、まる助はゆっくりと体を起こした。


(さて……いよいよ本格的に動くか)


 そう意気込んだとき、ふと昨夜の自分の言葉が脳裏に浮かぶ。


 ――俺は、この世界の経済を回してみせる!


 調子に乗って宣言したものの、目覚めた今は寮の一室。経済を回すどころか、朝飯すら自力で用意していない現実に、思わずため息が漏れた。


「……まずは市場で、パンでも買うところから始めるか」


 世界を動かす前に、自分の胃袋を満たす必要がある。


 散歩を兼ねて外に出る。この世界では、日本のように多彩な食事は望めないが、代わりに異世界ならではの食文化が楽しめる。その点は、むしろ歓迎すべきだ。


 市場へ向かい、焼き立てのパンと果物を購入する。露天には香ばしい匂いが漂い、店員たちの元気な呼び声が響く。活気あふれる市場の風景は、異世界であることを改めて実感させてくれるものだった。


 ついでに、評判の良い食堂も尋ねておく。寮にはキッチンがないため、しばらくは外食に頼ることになりそうだ。


 パンをかじりながらギルドへと向かう。市場の喧騒を抜け、石畳の道を踏みしめるたびに、この街の空気が少しずつ肌になじんでいくのを感じる。


 ギルドの扉を開けると、まだ朝の静けさが残る空間が広がっていた。カウンターの奥では、エリナが帳簿に目を落とし、ペンを走らせている。


 気配に気づいたのか、エリナが顔を上げて、いつもの柔らかな笑みを向けた。


「おはようございます、まる助さん。今日は早いですね」


「おはよう。つい習慣で、早起きしてしまいます」


「健康的ですね。そうそう、昨日お話ししていたBPOの件、上司に相談しておきますね」


「ありがとう。俺はしばらく、冒険者の報告書作成に専念するつもり。当面は、機が熟すのを待つよ」


「無理は禁物ですからね」


 エリナは真剣に頷き、再び帳簿に目を落とした。


 まだ朝も早く、冒険者たちも顔を見せていない。静かなギルドの中で、まる助は自然と、ギルド長・ベルザのことを考え始めていた。


(いずれギルド長と会談するなら、『会談のゴール』を明確にしておかないと)


 まる助は、会談の目標を『ギルド内を自由に動く許可を得ること』と定めた。自由な行動が認められれば、あとは状況に応じて軌道修正を重ねていける。


 そのためには、相手であるベルザの性格と判断基準を踏まえ、綿密な想定問答が不可欠だ。無駄を嫌い、公平を重んじる人物。ギルドの利益に資する提案には耳を傾けるが、甘い理想は即座に切り捨てられる。


(理想論ではなく、実現可能なプランを示す必要がある……)


 まる助は思考を深める。ギルドの現状、BPOの導入ステップ、ギルド側の明確なメリット、想定される反論とその対応――


 脳内で何度もロジックを組み立て直し、仮説を検証する。まるで盤上の駒を一手ずつ配置するように、慎重に、着実に。


 ――気がつけば、腹の底から空腹が湧き上がっていた。


(……やばい、考えすぎて腹減った)


 この世界での俺のボトルネック――思考をフル稼働すると、異様に腹が減る。まる助は、さっき買ったパンを次々と頬張る。一つ、また一つ。止まらない。


「すごい勢いで食べてますね……」


 エリナが驚いた声をあげたが、今は気にしている余裕などない。ベルザとの対話は、もしかすれば今日にでも訪れる。いつ来てもいいように、脳も腹も準備しておく必要がある。


(ギルド長が最も重視するのは何か……)


 パンを噛み締めながら思考を続け、ついに自分の中で納得のいく想定問答が整った。すっと頭が静まり、自信が心に芽生える。


(よし、人事は尽くした。あとは天命を待つのみ)


 やがて館内は冒険者たちの足音と声でにぎわい始める。装備を整え、依頼を確認し、出発準備に追われる姿がそこかしこに現れた。


 ふと視線を移すと、壁際の棚に「まる助」と書かれたスペースがある。ニックが気を利かせて用意してくれたのだろう。ありがたい話だが、勝手に使っていいものか。あとで職員に確認しておこう。


 棚には、報告書作成の依頼と資料がいくつか置かれていた。午前中に仕上げ、昼過ぎには提出できそうだ。


 資料を手に取りつつ、まる助はさりげなく職員たちに話を振った。


「ギルド長のベルザさんって、どんなお仕事されてるんですか?」


 資料を整理していた職員が顔を上げる。


「ギルドの運営全般ですね。職員の管理に契約の調整、評議会や商人たちとの折衝もこなしてます。細かいとこまで目を通すタイプで、雑な報告書は一発でバレますよ」


(やっぱり……細部まで見てる人か)


 さらに別の職員にも尋ねる。


「厳しい方だと聞きましたが、どんな時に評価が分かれるんでしょう?」


 職員は苦笑しながら答えた。


「筋が通ってる提案ならちゃんと聞いてくれるけど、準備不足の話を持ち込むと……まあ、時間の無駄だってバッサリ切られますね」


(徹底した準備が必要だな)


 まる助はギルド内を歩きながら、ベルザの人物像を思い描く。


 そのとき、ふと棚の隅に置かれた木版印刷用の木活字が目に留まった。長く使えば摩耗するだろうが、どうやって管理・交換しているのか……そんな細部にも目を配ってしまう自分に気づく。


 そこへ、一人の職員が声をかけてきた。


「まる助さんですね。代筆された報告書、拝見しました。とても分かりやすくて驚きました。正直、今までで一番見やすかったです」


「ありがとうございます。冒険者の皆さんが正当に評価されるよう、事実を整理しただけです」


 職員は感心した様子でうなずき、身を乗り出して言った。


「実は今、ギルド長があなたと話したがっています。ニックさんとエリナさんが、あなたのことを熱心に話していまして……」


「はは……ニックのやつ、ちょっと盛ってるんじゃないかな」


「どうでしょう。でも、ギルドとしても業務の効率化には関心があります。よければ今、執務室にお越しください。ギルド長は在室中です」


 キター! 思っていたよりずっと早い。いきなりの大舞台に、まる助の胸が高鳴る。同時に、わずかな不安もかすめる。


(大丈夫か?)


 準備は済んでいる。あとは流れに合わせて微調整すればいい。まる助は高ぶる感情を抑え、深く息を吸い込む。そして、最後のエネルギー補給として、もう一つパンを頬張った。


 この会話の結果次第で、今後の立ち位置が大きく変わる。ギルドの改革に関わり、この世界の経済に影響を与える――その転機が、今ここにある。


(初手で掴む!)


 息を整えながら、まる助は執務室の扉に手をかける。重厚な木の扉が、これから始まる新たな章の重みを伝えてくる。軽くノックをすると、中から落ち着いた声が返ってきた。


「どうぞ」


 まる助はわずかな緊張を胸に、扉を開けて、一歩を踏み出した――

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