013_まる助、調子にのる>>
食堂には穏やかな空気が流れていた。皿とスプーンが触れ合う音だけが、やけにはっきり耳に残る。
俺はスープを一口飲み、言うべきことを頭の中で並べ替えた。
(雑談の流れで出すには重い。でも、今夜を逃したらたぶん言えない)
小さく息を吸う。
(……よし。行く)
「俺は、この世界を良くしたいんだ」
口に出した瞬間、脳内で即座にツッコミが入った。
(重い。重すぎる。今の俺、たぶん相当胡散臭い)
エリナはスプーンを持つ手を止めた。
だが、引いた顔はしなかった。戸惑いはあるが、真面目に受け止めようとしてくれている。その反応に少し救われる。
「世界を良くするって……どういうことですか?」
「昨日と今日で見た限り、ギルドはちゃんと回ってる。冒険者も職員も、それぞれの役割を果たしてる」
そこで一度、言葉を切る。
「でも、毎回同じところで詰まってる」
「詰まってる?」
「書類。受付。待ち時間。そこがボトルネックになってる」
エリナの目がわずかに細くなった。否定ではない。図星を突かれたときの反応だ。
「冒険者は命がけで戻ってくる。疲れてるし、神経も張ってる。そこに書類が来る。待たされる。苛立つ。怒鳴る。受付が消耗する」
昨日の光景が頭に浮かぶ。書類を抱えたまま、表情を崩さずに立っていたエリナ。あれは慣れている顔じゃない。耐えている顔だった。
「誰かが悪いって話じゃない。みんな、ちゃんと頑張ってる。ただ、仕組みが噛み合ってない。個人の問題じゃなくて、設計の問題なんだ」
エリナは少し考え込んだあと、慎重に言った。
「仕組みの問題だっていうのは……分かります。でも、それを変えるとなると、お金も人も権限も必要ですよね。普通は、大商会みたいな大きなところが支援してくれないと難しいと思います」
その通りだ。
普通なら、そこで話は終わる。だからこそ、俺は終わらせない方向で考える。
「いきなり大きく変える必要はない。むしろ、一気にやると反発が出る」
「じゃあ、どうするんですか?」
「小さいところから始める」
俺はテーブルに指先で軽く触れた。平沢の癖なのか、考えを整理するときにこういう動きをしてしまう。
「今、俺がやってること。報告書のサポート。あれは立派な外注だよ。冒険者が苦手な部分を、得意なやつが引き受ける。それだけで流れが良くなる」
エリナが静かに頷く。
抽象論だけで押すより、現場の実例に落とした方が早い。
「ギルドの規則は変えてない。権限も予算も動かしてない。それでも昨日より回りやすくなってる。ここまでは、もう実証できてるよね」
「……たしかに」
俺はそこで少し前のめりになった。
「次は、これを俺一人の技術で終わらせない。仕組みにする。俺がいなくても回る形に持っていく」
「仕組みって……どういう?」
「まずは、報告書の型を揃える」
指を一本立てる。
「場所、目的、結果、危険度。この四つがないと、そもそも話にならない。今日、ニック相手にやったのがそれ」
「見てました」
エリナが少し笑う。
「ニックさん、途中から完全に生徒みたいでした」
「まあ、あいつは打たれ強いから大丈夫」
二本目の指を立てる。
「次に、受付側の確認ポイントを固定する。突き返し理由を減らす。そうすると、冒険者の苛立ちが減るし、職員の消耗も減る」
三本目。
「書類の型が揃うと、データが貯まる。クエストの種類、成功率、損耗、回復期間。そこまでいって、初めて次の手が打てる」
「次の手?」
「保険と投資ファンド」
エリナが目を丸くした。
「えっ。急に話が大きくなりすぎてませんか?」
「なってる」
俺は素直に認めた。
「だから、急にはやらない。順番が大事なんだ。まずは型。次に蓄積。その先に保険とファンドがある」
エリナは黙って続きを待っている。
「保険があれば、一回の失敗で即破滅になりにくい。挑戦しやすくなる。挑戦が増えれば仕事が増える。街に金が回る」
「ファンドは?」
「有望な冒険者や有用な探索に、先に資金や装備を回す。要するに、未来の成果に先行投資する仕組み」
自分で言いながら、やはり少し飛ばしすぎかと思う。
だが、方向性としては間違っていない。問題は、今の俺がそれを口にするには、まだ実績が足りないことだ。
エリナは視線を落とし、しばらく考え込んでから小さく言った。
「でも……ベルザさんがどう思うかな」
「ベルザさん?」
「ギルド長です。厳しい人ですけど、合理的で、筋が通っていればちゃんと話は聞いてくれます。でも、中途半端な考えはたぶん一蹴されます」
合理的。筋を通す。中途半端は切る。
その情報だけで、少し会ってみたくなった。
「保険とかファンドとか、本当にできるんですか?」
エリナの問いに、俺は反射で「できる」と言いかけた。
だが、その寸前で思考にブレーキが入る。
(待て。異世界二日目の新参者が、断言していい段階じゃない)
「できるかどうかは、これから確かめる。今はまだ約束できない」
正直にそう言うと、エリナは少し安心したような顔になった。
「でも、一つだけは確かだと思ってる。ギルドの業務には、仕組みのせいで生まれてる無駄がある。人が怠けてるわけでも、能力が足りないわけでもない。そこなら俺でも触れる」
「……はい」
「保険やファンドはその先の話。でも、書類の流れを整えることなら、すでに手応えがある。手札は少ないけど」
エリナがゆっくり頷いた。
「まる助さんの手札、少なくないと思いますよ」
「そうかな」
「複雑な話を整理できる。正確で分かりやすい文章が書ける。しかも、もう評判がいいです」
「並べると、それっぽく聞こえるな……」
エリナがくすっと笑う。
「それっぽいんじゃなくて、実際そうなんです」
「でも、なんというか……地味だよ?」
「地味でも、強い手札です」
その言い方が妙に嬉しかった。
同時に、少し危ないとも思う。褒められると、人は簡単に調子に乗る。
(いや、もう乗ってるな、これ)
俺は苦笑しながら言った。
「まずは冒険者サポート業務を回す。明日を少し楽にする。まずはそこからだ」
そこまでなら、かなり真面目な話で終われた。
だが、気分がよくなっていたのだと思う。つい、余計な一言が口をついた。
「そのうち、俺はこの世界の経済を回してみせるよ!なるべく早めに。たぶん。できれば……」
エリナが一瞬きょとんとして、それから楽しそうに笑った。
「ふふっ。後半、急に弱気ですね」
「言ってる途中で、ちょっとだけ冷静になった」
「でも、嫌いじゃないです。そういうところ」
それはたぶん褒め言葉なのだろう。たぶん。
エリナがカップを持ち上げる。
「じゃあ、まずは明日ですね」
「明日に乾杯」
カップ同士が軽く触れ、澄んだ音が鳴った。
小さな音だった。けれど、その夜の締めくくりとしては、ちょうどよかった。




