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【連載】今生も灰かぶり  作者: 春野 今
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第2.5話 メルヴィルの話

 

 □


 時は少し遡る――――。

 

 新王が立ったことで隣国コミティス王国の内乱が落ち着き、暫く経った頃。

 自身も兵を率いてコミティスに渡っていたウェリタス国は第四王子のメルヴィルが第一陣からかなり遅れてようやく帰国となった。

 お偉方の最後の仕事は夥しい残務処理で、兵を率いる騎士団長であり王族としての責務も負っているメルヴィルも例に漏れない。二年前、雪国ナダが周辺諸国を巻き込んで起きた大戦時は回されなかった仕事なので、軍部内の立場が着実に高くなっていると思えば不満もなかった。

 立場が高く、強く、実績が認められれば通る声も話も大きくなる。愚鈍な王子をやめるには充分すぎる理由を持っていたメルヴィルは、堂々たる凱旋でもって祖国の土を踏んだ。

 

 が。

 

 メルヴィル・カルロ・ウェリタスは、王立学院はサロンにて深刻な面持ちで頭を抱えていた。

 なお、校内は絶賛授業中である。

 学院内に複数ある勉強や少人数での会談に使用される小さなサロンを一部屋王子名義で貸し切って唸ること半刻。ノックもなしにサロンへ滑り込んでくる影が一つあった。

 扉が開くことを待ち侘びていたメルヴィルは、恐る恐る顔を上げた。


「調べてきたぜぇ」

「ああ、ご苦労……」


 で、結果は。

 訊く声が震えたことは自覚していた。

 木の幹と同じ色の髪を持つ男が、無遠慮にメルヴィルの向かいのソファに腰を下ろす。

 

「分かってんだろ。シエラの言う通り、お前が舞踏会でエスコートせにゃならんのはエミリア・ピスティス嬢で、婚約の話も絶賛進行中。そしてシエラは――」


 その頃すでに隣国へ向かう馬車の中だ。

 

「あんなにお膳立てしたのに、まんまと逃げられたな」


 お前、あんなに練りに練ってやっと舞踏会の話を切り出したっつーのに。

 と、ここで男の我慢は限界を迎えたらしい。遠慮のない爆笑が室内に響いた。


「やかましい笑うな! まだ逃げ切られたわけじゃない!」

「でもさー、直属の上司であるお前に連絡が来ないでここまで話がすすんでるってことは、間違いなくもっと上が今回絡んでるってこったろ? それも同じ国内ならいざ知らず、隣国に飛ばれちゃあ挽回の余地はなくね? 正直、まだ対ナダの国境守備に回られたほうが勝算は……いや、無理か」


 ちらりとこちらを見られる。なんだ、と問えば一瞬収めたくせに再びぶふっと吹き出される。

 

「だってお前、ついに婚約しちゃうんだもんなー!」


 メルヴィルはぎりぎりと歯噛みした。


  ■

 

 さて、メルヴィルの想い人たる侯爵令嬢シエラ・ピスティスは、子供の頃から目を引く少女だった。

 お家騒動が続いたピスティス家の「金づるの娘」と呼ばれる彼女は、ピスティス家が代々継ぐ赤毛と、両親の瞳の色をそれぞれ混ぜたような不思議な碧色の瞳を持つ美しい容姿をしていたが、彼女が社交界で一際有名になったのは異例の弱冠六歳で志願兵として士官学校に飛び込んだことだ。

 王子とともに受けた魔法適性の検査では王族よりも高い数値を叩き出し、その場で王子の側近に見込まれたという。軍入りしたシエラはめきめきと主に戦闘で頭角を現し、デビュタントは王子の護衛として任務にあたっていた。

 先の戦争では文字通り一騎当千『死を運ぶヴァルキューリャ』の名をほしいままにし、その赤毛は返り血で染まったとまで噂されたほどだ(それを伝え聞いた本人は「遺伝だっつの」と不服そうだったが)。

 そしてメルヴィルが彼女と出会ったのはそれより前、お互い年端もいかぬどころかようやく自我が目覚めた程度の幼児期である。

 目端に映った夕焼け色の綺麗な赤毛に気を取られ、振り返った先で好奇心旺盛そうな碧の眼と目が合った。

 

『そんなに泣いてると、おめめ溶けちゃわない?』

 

 そう、覗き込んできた瞳はまるで湖畔に太陽が差したような美しい色彩で。碧にほんの少し橙が混ざった瞳にじいっと見つめられて、乳母の墓標の前で座り込んで泣いていたメルヴィルはたじろいだ。

 墓標に供えられた花でさえ白ばかりだったので、朱い髪に碧い瞳という鮮やかな少女の色に目が眩む。乳母が死んで埋葬されてから、初めて世界に色がついて見えた瞬間だった。

 突然現れた少女は、メルヴィルとそう変わらない年頃に見え、黒い喪服をまとっていた。後で聞いた話では、彼女の実母の葬儀だったという。しかし彼女は、うっすらとピンクがかったまろい白い頬を涙で濡らすこともなく、動揺するメルヴィルに構うことさえなく無表情のまま第二撃を放ってきた。

 

『ねえねえ、泣いたらなにかかわるの?』

 

 ぎくりとした。きっと今言われてもぎくりとするだろう。

 舌っ足らずだったとはいえ、およそ幼女の言う台詞ではない。

 当時、メルヴィルは聡明と言われてもまだ三歳で、後に聞いた話では彼女は四歳だった。あの頃は正妃の王子という立場でさんざん甘やかされていたメルヴィルが涙を流せば、大抵のことはどうにかなり、どうにかならないことをメルヴィルもねだらなかった。

 少女の言にむっとしたメルヴィルが口を開きかける。が、口から音が出る前に少女がぽつりと呟いた。

 

『かわるんだったら、今度からは泣いてみようかなぁ』

 

 感情をそげ落としたような少女の独り言がやけに怖く感じて、それまで寝ても覚めても止まらなかった涙がぴたっと止まった。乳母のことは実母以上に慕っていたので、哀しくて寂しくてどうしようもなかったのに。

 仰ぎ見た少女の顔は、人形のように精緻でぴくりとも動かない。

 赤い髪が風にそよぐ様子をぼんやり眺めた。赤い髪のお人形はあまり見たことがないけど、この子、ほんとうに人間かしら。

 思わず立ち上がったメルヴィルに、少女は初めて顔色を変えた。

 あ、人間だ。

 その顔に見惚れて勢いよく足を踏み出し――

 

「――あのとき、絶対に彼女をお嫁さんにすると誓ったのにさぁ……」

「シエラにこかされてだろ。耳タコだ」

 

 やってらんないよ、と呻いたメルヴィルの声を拾ったのは、戦場では腹心であり親しい同級生でもあるエイジ・アムロ・スピラネルだ。

 朝も早くから初恋の少女に遭遇し、意気揚々と話しかけるなり打ちひしがれたメルヴィルを見かねてサロンに放り込んだ男である。打ちひしがれるも当然で、婉曲に振られた上に絶縁宣言までされたのだ。何が悲しくて好きな子の妹と許嫁にならなけりゃいけないのか。それも婚約を申し入れようと虎視眈々と計画していた舞踏会で!

 

「だからさっさと国王陛下にご相談申し上げるべきだっつったんだ」


 いい加減笑い飽きたのか、出された茶でしれっと喉を潤しながらエイジが呟く。シエラ同様こちらも十年以上の付き合いになるので、遠慮会釈もない。


「うっかり辞令のような流れで婚約となったら、エラは永遠に僕の気持ちを信じちゃくれなさそうじゃないか」

「まあ、それは言えてるけどさ」


 メルヴィルと竹馬の友、ということはエイジはシエラとも長い付き合いだ。シエラの軍人向きな四角四面というか融通の利かない性格を思ってか、エイジは少し遠いところを眺めた。すなわち、窓の向こうである。

 目線はそのままのどかな窓の向こうの木々を眺めながら、エイジは無造作に爆弾を放り投げた。

 

「でも、それで妹の方と婚約させられてちゃ世話ないよな」


 ド正論である。

 メルヴィルは派手に撃沈した。


「あいつも何をどう勘違いしたらそうなんのか知らんけど、お前は昔からエミリアが好きって思い込んでるしな~。これじゃ、なんのために今まで頓馬な王子を演じて後継者争いから逃げてきたんだか分かったもんじゃねえな。めでたく第一王子が王太子に決まって、さあ手柄を上げてシエラに婚約者になってもらうぞ! ってなった矢先にお前ってやつは……」


 ぶふーっと吹き出される。


「それもこれもとっとと告白しなかったせいだな、へたれ」

「うるさい!」


 友達甲斐のないやつだとメルヴィルはぶんむくれた。

 シエラに一目惚れをしたメルヴィルは、それはもうシエラにつきまとった。

 屋敷に押しかけ、彼女が家族から大切にされていないと気がつくやいなや「魔法適性があればお城に住めるんだよ!」と嘯き、検査を受けさせ――誤算としてはシエラに適正がありすぎたことだが。

 当然、いつかはシエラをお嫁さんに! と思っていたメルヴィル少年だが、ここで問題が一つ浮上した。

 ピスティス家は遡れば王家の歴史に匹敵する歴史を持つ。没落しかけていたもののメルヴィルが幼い時分には徐々に復権していて、気がつけば大きな発言権を持つ貴族に立ち戻っていたのだ。――充分過ぎる王子の後ろ盾になる程度には。

 シエラは欲しいが王太子にはなりたくない。国を背負うのは真っ平御免だし、そもそもそんな立場を手に入れたらピスティス家は血筋で言えば純血貴族の妹の方を出してくるだろう。

 夫人に望まれるのは、武勇に優れた者よりもより貴き血筋を持つ社交に優れた可憐な者である。魔力は遺伝しないが、血は水よりも濃いのだ。

 くそくらえ。

 ということで、のらりくらりしつつ自分にはそれなりに甘い親に我儘を言ってあらゆる出世話と婚約話を蹴ってきたメルヴィルだったが、あらゆる条件が揃った瞬間に当の本人によってすべてを吹っ飛ばされたのである。

 

「お前がシエラに惚れてるって、王城内で知らないのはシエラくらいだったんじゃないか? えぐいくらい牽制するくせに当の本人には甘ったれの弟認識しかされてないってどんな喜劇だよ」

「僕だって努力したさ! 花もドレスも宝石も剣も魔法石も贈って、舞踏会には何度も僕のパートナーとして誘った! そのたびに花もドレスも宝石もエミリア宛だと思われて、剣と魔法石に関しては褒章と勘違いされて、舞踏会なんて軍服を着て僕の護衛として侍られるんだぞ!? どうしろって言うんだ!!」

「一言愛してるって言えば良かったんでない?」


 吠えるメルヴィルをあっさりといなし、エイジは呆れ顔だ。


「つーかさ、まじで婚約の話はどうすんだよ。シエラの推薦だったから王陛下も納得されたっていうぜ?」


 王女の護衛隊に志願兵として交じっていたシエラを呼び出し、うっかり「メルヴィルの婚約についてはピスティス家の娘と考えておる」と言ったのが悪手だったのだろう。

 当然のように息子の恋路を知っていた王としては「君のことだよ」という意図だったらしいが、シエラが自分のことだと思うはずもない。


『メルヴィル殿下と我が妹の婚約を認めてくださるとは、ありがたき幸せ。これで安心してコミティスへと渡れます』


 と、笑顔で言われたとか。

 メルヴィルは「父上ぇ……」と呻いた。


「……婚約の件についてはいくらでもなんとでもなる。出家でも出奔でもしてやると脅せば撤回してくれるだろう。今のピスティス家の当主が優秀とはいえ、あるのはそこそこの身分とそれなりのバックアップ程度だしな。王家としては今回わざわざ功績をあげた僕を切ってまで欲しいものじゃない」


 伊達に可愛がられているわけではない。両親はある程度メルヴィルが爪を隠していることも承知しているだろう。


「でも、敵に回られたらちょっと厄介だぜ? シエラのおっかさんの実家だった商会の人脈を握ってんのはピスティス家だし、噂によるとナダともつながってるって話だ」

 

 ナダは北方にある強大な国だ。防衛魔法とゲリラ戦に秀で、ウェリタス国にも度々ちょっかいを出してくる。年間を通して厚い雪に見舞われるので、肥沃な土地を求めているためだと考えられていた。

 シエラの実母は商会の生まれで、その商売はヨド大陸全土に渡っていたという。ヨド大陸は大きく分ければウェリタス、ナダ、コミティスの三国からなる。この三国相手に商売をしていたシエラの祖父はやり手の商人で、最終的には功績が認められて一代限りとはいえウェリタスの男爵位が与えられた。裏を返せばウェリタスに縛り付けたのである。

 

「ナダとの繋がりといっても、大したものじゃない。向こうの貴族とちょっと顔見知りって程度さ。それに、もしその縁をちらつかせてくるなら逆賊として申告してやる」


 メルヴィルが吐き捨てると、エイジは大仰に肩をすくめて見せた。


「シエラのことを“いない者”として扱うくせに、シエラの功績だけは自分たちのものとして使うような奴らだ。シエラがいないなら滅んでほしいくらいだね」

「お前、ほんとシエラ関係だと過激になるよな」

 

 仲間内でのメルヴィルの評価は『眠れる竜』と『シエラ粘着性過激派』だ。コミティス内乱以降、竜は目を覚ましたともいえるが、シエラと離れる未来が見えた今のままでは永眠しかねない。

 いや、それはないか。エイジはひとりごちる。

 何せ『粘着性過激派』である

 

「戦地で敵に囲まれようが砲弾でふっ飛ばされそうになろうが冷静さを欠かんお前さんが茫然自失になるたぁ、珍しいところを拝ませてもらったけどさ。危うく自分の婚約披露パーティーで他の女連れてくところだったってのもなかなか話題性に富んでるよなぁ」

「まて、それ名案では?」


 はたっと顔を上げると、エイジは「冗談だからな。間違っても実行するんじゃないぞ」とそれまでのニヤケ顔を引っ込めて真顔で釘を刺してきた。

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