11. 誘拐
その一報が入ったのは、秋人が帰宅してしばらく経ってからの事だった。
夕飯の準備をしている薫を手伝って、サラダを作っていた時、不意に薫のスマホが鳴った。
「は?どういう事です!?」
珍しい薫の激しい声のトーンに、秋人は驚いた。
「仰ってる意味がよくわかりません。彼女が行方不明というのはどういう事です?」
数分のやり取りの後、くそっと短く罵り声を上げて薫が会話を切った。
「秋人…落ち着いてきいてくれ」
薫の声が苦い。秋人は嫌な予感を覚えた。
「工藤さんが、誘拐された」
薫の言葉が秋人は最初理解できなかった。耳の奥を通り過ぎていく音の羅列が浸透していく中で、最初に理解したのは激しい後悔だった。
「あ…、僕の…僕が…」
声にならない悲鳴を上げる秋人の体を、薫はぐっと掴んだ。
「しっかりしろとは言わない。でも、少しだけ頑張ってくれ。いいか?パニックになっても何も解決しない。分かるか?」
薫のいつもより若干低めの声に、秋人は無言で頷き返した。
「犯人は救世来神教だ。死体の山があったらしい」
「死体の山?」
秋人がオウム返しに尋ねると、薫は苦い顔で頷いた。
「連中が狂信者だってことを理解できてなかった俺のミスだ。奴らは信徒の命をゴミでも捨てるように使って、工藤さんを誘拐した」
救世来神教の教徒は魔力のない人間に害を与えられない。特に秋人と薫の関係者を害した場合、相当な反射攻撃がある。だから、彼らはその被害を信徒に振り分けることで、美香の身柄を確保したのだ。
美香が誘拐された公園は血の海だった。腕や手のパーツがあちこちに転がっており、点々と信徒の死体が列をなしていたという。
連中は公園に隣接した駐車場まで死者を増やしながら彼女を運び、そこからは車で移動したらしい。その間も反射攻撃は続いていた。加藤の契約の門の威力はすさまじく、運転手を次々屠った。しかし、連中は信徒を順次使い捨て、逃走に成功したのだ。
救世来神教の死体の数は100を超えていたらしい。公園、駐車場、道路に彼らは打ち捨てられていた。仲間に対する敬意もなにもあったものではない。まさに狂信者の振る舞いだ。
「どこに…」
当然、連中が身代金などを要求するわけもない。
「目的はなんだ?」
当夜が低く唸った。
「おそらく…お前だ、秋人」
薫はガリガリと頭を掻いた。
「くそ、俺の方へひきつけていられるかと思ったんだが…」
薫の独白に当夜、秋人、桜子の三人はぐっと眉を寄せた。カウントダウンパーティーの暗殺未遂を思い出したのだ。
「連中はお前の魔力暴走を引き起こそうとしているんじゃないかと思う」
薫の表情は厳しい。秋人がぎゅっと唇を噛みしめた。今も、自分の心拍が普段より数段高まっていることを自覚していた。頭の奥がしびれてうまく考えられない。
「おそらく、連中は『如月秋人』の評判を落としたいんだ」
通常の探索者の魔力暴走でも、それなりに被害はでる。少し大きめのガス爆発や火事くらいの破壊力があるのだ。ましてや、人よりはるかに魔力量の多い秋人がそんなことになったら、この人口密度が高い東京でどれほどの被害が出るか、想像もつかない。
もしもそんなことになったら、これまで築き上げた『如月秋人』像など簡単に崩れ去り、秋人は人間の敵として糾弾されるに違いない。
人間は異質なものを拒む生き物だ。ましてや、集団を形成し、他者と同じであることを至上とする日本人社会では、秋人の人権などあっという間に無意味なものになるだろう。
連中はまだ秋人を取り込むことを諦めていないのだ。
「俺が文化祭で誘拐された時、それからこの前の暗殺未遂も何とか秋人は堪えた。周りの助けも借りられたのが大きいが、お前は連中の挑発には乗らなかった」
秋人の心理を揺さぶるのに、一番の近道は薫の存在だ。連中は最初は薫を害することで、秋人の暴走を誘引しようと試みたのだろう。しかし、この作戦はあまりうまくいかなかった。薫自身の強さもあったが、周囲に強者が集まっていたこともある。
「おまけに、この前のデステニーワールドでの活躍もある。あれが『如月秋人』だったとばれたうえで、もしもこの5年の秋人の惨状ががマスコミにすっぱ抜かれたら、お前は悲劇のヒーローに祀り上げられ、一気に国民的なヒーローの座がゆるぎないものになってただろう」
日本人は幼い少年が不遇な環境も乗り越えて犠牲的な精神の元、正義の行いをする的な物語が大好きだ。秋人を社会的に貶めたい連中にとっては不都合なことになる。
「連中は俺から彼女にターゲットを切り替えたんだ」
痛恨だった。薫はあえて少しの隙を見せることで、秋人の周囲の人間から連中の目を反らすつもりだったが、先日の騒ぎから想像以上に薫の周囲のガードが上がってしまった。
薫への直接攻撃が難しいとなれば、自然とその周囲へとターゲットが移るのは想像に難くない。そして、その中でも一番簡単で、秋人へのダメージが強い相手として彼女が選ばれたのだ。
「でも、先輩は魔力がない。連中は手を出せない筈じゃ…」
秋人が弱々しく反論する。薫は難しい顔をした。
「今は…まだ魔力がない。でも…」
薫の言葉を桜子が引き継ぐ。
「ダンジョンに24時間いたら魔力を得てしまう」
秋人はぞっとした。レベル1の探索者ではとうてい何の抵抗もできないだろう。連中は薫の先生、加藤を殺した。その死に様は見るに堪えられない酷いものだったということを、秋人は既に知っている。
「おそらく、彼女は都内のダンジョンのどこかに監禁されている筈だ。警視庁のAIで探してもらっているんだが、ハッキングされているらしい」
「え?」
秋人の顔色が変わった。
「今必死に復旧作業に当たっているが、どうもメンテナンス業者にスパイがいたようだ」
「そんな…」
秋人の声が震える。
「現在、都内の監視カメラは全て無効だ」
美香には魔力がない。いくら秋人でも魔力の痕跡を追えない状態では迷宮探索も使えない。都内に数十個あるダンジョンをしらみつぶしに探したとして、とうてい24時間以内で探せるとは思えない。
「僕の所為だ…僕が先輩を好きになったりしたから…」
秋人はその絶望的な現実の前に立ち尽くすしかなかった。
薫「相手が狂人だって前提が甘かった」
秋人「僕、探しに行ってくる!!」
薫「待て!秋人!!」
当夜「ちょ、護衛忘れていかないで」
桜子「ちょっと!もしかして私留守番!?戦力的にこの位置私じゃなくて薫さんでしょ」
神崎家混乱中




