7. 決意
美香は放課後美術室にいた。鬱々とキャンバスに向かっている。それを他の部員が遠巻きに眺めていた。
「今日も如月くん来ないのかしら?」
佐藤輝美が元気のない美香を心配そうに眺めながら、鳥本華に声をかける。
「何かあったっぽいよね」
「うん。あのラブラブ光線がなくなると、こんなどんよりモードになるとは思わなかった」
二人は美香と秋人が完全に両想いなことを見抜いていたし、おそらく美術部員全員いつくっつくか、もうくっつくかと見守っていた。
「なんか、変な噂聞いたよー」
二年の部員がコソコソと二人に話しかける。
「如月くんが、失恋したって」
「え? 美香が振ったってこと?」
「いや、それはどうだろう。それでああなるとは思えないんだけど」
美香はイーゼルに立てかけたキャンバスに色を塗ってはいたが、どうみても前衛芸術だ。何を描いているか分からない。
「ああ!もう」
ばんといきなり美香が立ち上がる。部員が固唾をのんで見守る中、美香が三年の愛花の肩を叩いた。
「愛花先輩!」
「何々?美香ちゃん。怖い顔して」
「この前、如月くんがいいって言ってたチョコレートケーキのレシピ、まだあったらコピーさせてください」
「ほうほう」
愛花が鞄から一枚のプリントを取り出す。
「ほいこれ。あげるよ。でも、結構難しいよ」
「いいです。明後日まで練習します!」
プリントをもらうと、美香は速攻絵具を片付け駆け出して行った。材料を沢山買って練習しなくては。
美香はもう腹を括った。どうせ、振られるなら当たって砕けろだ。
ミドリの言葉は胸に刺さった。好きだという気持ちを抱えて黙って生きていくなんて辛すぎる。振られて単なる部活の先輩ですらいられなくなるかもしれないが、自分は秋人が好きなのだ。
好きだって言えずに一生心の底にしまっておくなどできない。そんな状態では死んでも死にきれない。
自分は今度こそちゃんと、自分の心を伝えるのだ。
「前は出来なかったから、今度こそ…」
そこで、ふと美香は立ち止まった。
「前?前って何のことだろう…」
心がざわつく。何かを昔失敗したのだ。絶対に離してはいけない時に「彼」の手を離してしまった。本当の気持ちを伝えられていたなら…。
なぜか涙が頬を伝った。
智輝から連絡をもらった時、薫はまだ依頼人との打ち合わせが残っていた。なので、迎えを当夜に頼んだのだが、帰って来た秋人を見て絶句した。
「い、一体どうしたんだ? 秋人、大丈夫か?」
初めて会った時でさえここまでボロボロではなかった気がすると薫は慌てふためいた。
「あー、これは糖分欠乏症だね」
桜子が秋人の顔を覗き込んで呟いた。
「とうぶんけつぼうしょう?」
オウム返しに薫が尋ねると、桜子はうんうんと頷く。
「康子も時々なるんだ。高位の魔法使いは糖分摂取が欠かせないんだよ。薫さんアルコールで補ってるけど、最近結構お菓子も食べるようになったでしょ。探索者は魔力使うから一般人より糖分取らないといけないんだけど、魔法職は特にね」
桜子が買い置きの板チョコを秋人に渡すと、ちびちびと食べだした。少し顔色が回復する。
「秋人のスイーツ好きって本能だったんだな」
と薫はため息をついた。知らなかった。
「非常食に今度からおやつをもっと用意しておこう」
と心に誓った。
秋人の為に薫はメイプルシロップをたっぷりかけたフレンチトーストを作った。秋人はそのホカホカ温かい塊をナイフで切って口に運ぶ。
「美味しい」
「そりゃあ、よかった」
薫はふわりと笑った。秋人は薫の笑顔を見ているうちに少し落ち着いてきた。最近なんだかフワフワしたりイライラしたり心が忙しくて疲れていた。
「薫…僕、沢山考えたんだけど、もう分からなくなっちゃった」
秋人がぼんやりとそんな事を呟く。
「ん?何か大事なことを考えてる?」
「うん。でも、なんでかその先に行こうとするとそれ以上考えたらダメだっていう気になるんだ」
少し前から秋人の様子がおかしいことに、薫は気が付いていた。少し熱もあるのかもしれない。頬が赤い。知恵熱というやつかもなと思った。秋人は大人になろうとしている。10歳で時が止まっていた彼は、心身ともに急速に大人になりつつあるのだろう。
「僕、工藤先輩が好き。他の人に渡したくない。でも、先輩は好きな人がいるって言ってた」
美香が他の男が好きだというだけで、体から生きる力が抜けていくような気さえする。
「それに、救世来神教に何かされたらと思うと怖くて。なのに智輝は、僕が好きって言っても言わなくても奴らにはもう僕が先輩の事を好きなのはバレてるからどうせ巻き込まれるって言われた」
「お前の親友、容赦ないな」
薫が苦笑しながら頷く。そこは薫も気にしてたところだった。
「まあ、それなら秋人は彼女に告白しちゃえば?」
「え?」
薫の言葉に秋人は仰天して問い返した。
「だって、言っても言わなくても巻き込まれるなら、言って守ってあげた方がいいでしょ?」
「でも、他に好きな人がいるのに、迷惑じゃないかな」
「工藤さんの好きな人は秋人かもしれないじゃないか。秋人が直接他に好きな人がいるって言われたわけじゃないんだろ?」
「・・・そんな都合のいいことあるんだろうか」
「俺は、あると思ってるけど? 秋人ほどかっこいい男はそうそういないからね」
にこりと薫が笑う。秋人の心に少しだけ小さい光が灯る。いつだって薫の言葉は秋人に勇気をくれる。
「もう一つ、秋人に朗報だ。地下のPCを色々いじくってたら出てきたんだけど、たぶん救世来神教は工藤さんに手は出せない」
秋人は視線で薫に先を促す。
「おそらくだけど、加藤先生は契約の門で奴らの組織を縛っている。条件は『魔力を持たない者に対しては手出しできない』というものだ」
その条件の天秤に賭けたのは加藤の命だったが、加藤が死んでから4年という月日を稼いだ強硬な契約だ。
「だから、薫は今まで何もされてなかったんだね」
「ああ。もしも、俺がまだ探索者ではなかった時に救世来神教の攻撃を受けていれば、おそらく組織のトップの首が飛ぶくらいの契約だ。特に縛りがきついのが俺とか秋人の関係者に対してだ。直接本人じゃなくても、例えば事務所の楠本さんだとしよう。連中が彼女の腕を折るような怪我を負わせたら、やった奴は腕が吹き飛ぶ。それくらいの縛りだな」
「そっか…」
ほっと秋人は息をついた。想像以上にそのことで神経質になっていたようだ。
「たとえば工藤さんや智輝くんに何か奴らがしようとしても、自分たちが傷つくだけだ。めったなことにはならないと思うよ。一応ギルドから護衛も入れてもらってるしね」
薫の言葉に秋人は大きく頷く。
「だから、秋人は彼女が巻き込まれることはとりあえず置いておいて、告白するとか、しないとかそういう事を考えていいんだよ」
薫の言葉に今度は頷くことができない秋人は、もそもそとフレンチトーストを咀嚼する。
「薫は師匠の事好き?」
「もちろん、好きだよ」
「誰にも盗られたくないとか思う」
「当然」
あまりにもあっさりと言うので、秋人は思わず聞き流すところだった。
「当然なんだ」
「なんでだよ」
薫は秋人が驚いていることが心外である。
「薫はなんか『相手が幸せだったら身を引いてもいい』とか言い出しそうだなって」
「あー…」
秋人の言葉に薫は頭を掻いた。いかにも自分が言いそうな言葉だ。
「うん、俺も意外だったけど。彼女を幸せにしたいし、するなら俺がしたいなって思ってるよ」
がたんと何かがぶつかるような音がした。秋人と薫は無言でドアの影を見つめる。
「今のを聞かれたのはちょっと恥ずかしかったな」
と薫が真っ赤になって俯く。ドアの外で心配で様子を見に来ていた桜子が堪えきれず走り去ったところだった。
「秋人は工藤さんが好きなんだろ?」
「うん」
「なら、答えは簡単だ」
「うん」
薫の言葉はいつだって秋人に勇気をくれるのだ。
薫「桜子さん、俺糖分欠乏症とか全然知らなかったんですが、おやつの備蓄はもっと多い方がいいでしょうか?」
桜子「うーん。今でも大概だと思うけど」
当夜「そうっすね。このキャビネットほとんどお菓子っすからね」
薫「恐ろしいのは、これ1週間くらいでほぼ中身入れ替わるんだよなぁ」




