4. 失恋
次の日、秋人はとにかく美香に会って話がしたくて朝早く学校に向かった。美香は授業の前に部室に居ることが多く、その時間を見計らっての事だった。
「付き合ってください」
という男の言葉が聞こえたのは部室の扉を開ける直前だった。慌てて扉に掛けた手を引っ込める。中からその声は聞こえてきたようだ。
「俺と付き合ってください」
と再度申し込む声がした。秋人の心臓は嫌になるほど早く打ち、耳の奥がきゅっと縮こまるような感覚を覚えた。
「ごめんなさい」
と断る声がした。美香の声だった。肺から全部の息を吐き出すように、秋人は大きく息をついた。
「他に好きな男がいるの?」
なおも彼は食い下がる。あまりにも不躾なので秋人は中に入って文句を言ってやろうと思ったが、
「うん」
という美香の返事で秋人の動きが止まった。
その後のことは覚えていない。気が付いたら放課後で、目の前に智輝がいてそれ以外誰もいなかった。
「おう、貴重な冬の晴れ間を費やしてやってんだ。聞いてるか?」
ペチペチと智輝が秋人の頭を叩いている。放課後の練習を欠席してまで秋人に付き合ってる俺は世界で一番優しいと思うと智輝は嘯く。
「聞いてる」
と短く返事をすると、智輝はふっと息を吐いた。
今日、学校にくるなり昨日の秋人とはあまりにも様子が変わっていて、正直クラス中が困惑していた。はっきり言って1-Bは今日はお通夜だった。
「お前、今日一日ずっとその姿勢だったぞ。起立・礼・着席もそのままだったから担任が色々聞いてたけど、完全シカトとか流石にマジ可哀相だからな」
「そう」
「いや、そうじゃねーよ。どうした?何があった?」
何があった?
何があったんだっけ?
秋人の思考はグルグルと回った。
「先輩が…」
「ああ?」
「先輩が好きな人がいるって…」
秋人は美香のことが好きだ。でも、それを伝えることはできない。彼女は秋人なんかに関わっていい人ではない。だから彼女がいつかどこかで誰か別の人と結ばれることは覚悟していたつもりだった。でも、それは全然もっと先の話で、今は自分の傍にいてくれると思っていたのだ。
覚悟なんて何一つ出来ていなかった。
本当は、美香を誰にも渡したくなかったのだと気が付いた。
なんて自分勝手なのだろう。
ぼろぼろと泣き出した秋人に智輝は仰天した。
「おい、おい泣くな。大丈夫だから。な?とにかくここは拙い。あっち行こう。な?」
実は教室にこそ智輝しかいないが、教室の外で女子の何人かが聞き耳立てているのは知ってる。もしかしたら他にもいるかもしれない。
ここで秋人に好きな人がいて、さらに失恋したなどという話が広まったら、明日から壮絶な『如月秋人争奪戦』が勃発だ。失恋したてでそんな騒ぎは流石にあんまりだ。
「大至急きてくれ、一大事だ」
智輝は短くスマホにそう告げると抱えるようにして秋人を連れ帰った。緊急事態と馳せ参じた黒塗りの高級セダンに秋人を押し込み、逃げるように学校を後にした。
『ご迷惑をおかけしてすいません』
電話の向こうの弁護士は平謝りだ。
「いえ、こちらこそすいません。咄嗟に連れて帰っちまって」
『迎えに行きます。ご住所を教えていただけますか?』
「あ、送っていきます。大丈夫。今はちょっと落ち着いてるっぽいし」
『ですが…』
「大丈夫です。その…ちょっと話した方がよさそうだし。何なら泊まっていっても全然かまわねえんで」
智輝の言葉に電話の向こうもしばらく考えた後、
『では、よろしくお願いいたします』
と丁寧に頼まれた。深々腰を折っている彼の人の姿を容易に想像できて、智輝は居たたまれなかった。
それ以上に居たたまれないのは秋人だった。毛布を頭から被ってぐしぐし泣いている。
「お前、神崎さん、えらい恐縮してたぞ」
「智輝にも薫にも迷惑かけちゃった」
「いや、オレはいいんだけどさあ」
深々とため息をつく。つい先日知った事実とはいえ、これが3S探索者の如月秋人だと、1年前の自分に言ってもおそらく絶対に信じないだろう。
何とかかんとか智輝が聞き出したことによると、まだ完全に失恋と決まったわけではなさそうだった。というか、むしろ智輝としてはその『好きな人』こそ秋人なんじゃないのか?と思っているのだが。
「そんなに好きなら『好きです』って言っちゃえよ」
「他に好きな人がいるの分かってて言ったら迷惑になっちゃう」
「いや、たぶん大丈夫だろ」
「なんでだよ」
秋人が物騒な顔で智輝を睨む。
「殺気を飛ばすなよ。表の連中がチャカ持って乗り込んでくるのはもう勘弁だぜ」
秋人の機嫌が乱高下するので、ガードしている猛者たちが落ち着かないのだ。2度ほどカチコミと勘違いした下っ端が飛び込んできた。
「男だろ。覚悟決めろや」
智輝の言葉に秋人は俯く。
「実は、智輝には言ってなかったんだけど、僕結構やばい人たちに目をつけられてる可能性が高いんだ」
ぽつんと秋人が語り出した内容に智輝はギョッとした。
「何それ?」
3S探索者をどうにかできるやばい人って人間なんだろうか。
「どっかの宗教団体で、僕の両親はそこの出身らしい。そこから逃げてたっぽい」
「宗教かぁああああ」
智輝が額を覆った。ヤクザも新興宗教もどちらも世間様から忌み嫌われ度では1,2を争ってる自覚はある。
「そんなヤバいのか」
「うん。薫ははっきり言わないけど、薫の大事な先生を殺したのもそこの人だと思う。とても酷い殺され方をしたみたいだった」
秋人も馬鹿ではないので、当時のニュースなどを検索してみた。見るに堪えられないようなゴシップから報道の真面目なニュースまで様々なものがまだ閲覧可能だった。
そのどれもこれもが加藤の死に方を『拷問死』だと伝えていた。
「先輩を巻き込みたくない」
秋人の言葉に、智輝はふうと深くため息をついた。
「嘘だね」
智輝の断言に秋人は不快そうに毛布から顔を出す。
「嘘じゃない」
「違う、巻き込みたくないってのは本当かもだが、それだけが理由じゃない筈だ。てか、そもそもお前が巨乳眼鏡先輩のこと好きなことくらい、ちょっと調べればすぐ分かっちまうと思うぜ。探偵使えば一発」
「え?」
秋人が本気で驚嘆しているので、智輝は深々と再度ため息をついた。
「賭けてもいいけど、神崎さんはもちろん朽木さんたちも霧崎さんも知ってる。美術部の連中も知ってる」
「まさか!?」
「お前、顔に書いてあるんだよ。『先輩めっちゃ好き』って。もう恥ずかしいくらいバレバレ」
秋人がショックを受けていることに対して、智輝は心の中で薫に文句をつけた。
「ちょっと過保護すぎやしませんかね」と。
「付き合ってようと、付き合ってなかろうと、先輩は狙われると思うぞ」
秋人は顔面蒼白だ。
「ってところで、もう一回よーく考えてみろ」
秋人の髪の毛をぐちゃぐちゃにかき混ぜて、智輝は席を立った。
「あー、腹減った。何か食う?」
「いらない」
「あ、そ」
智輝は部屋から出て行った。秋人は茫然と先ほどの智輝の言葉を反芻していた。
やくざA「坊ちゃんが連れてきた奴何者すっか」
若頭「あー、あれな。あれは…まあ…なんつーか人類最強的な?」
やくざA「はあ?若頭も冗談キツイっすよ。見た目女の子かと…ひっ」
やくざB「うわああああ、かちこみかーーーーー」
若頭「あ、待て!チャカ持って突っ込むな!殺されるぞ!てか組長!あれヤバいっすよ」
木下和幸「あー、わりいな。ちょいと借りのある相手なんだわ」




