2. 義理チョコとは
秋人が部活に顔を出すと、女性陣が賑やかに騒いでいた。
「何かあったんですか?」
と尋ねると、何やらプリントアウトした紙を見せてくれた。
「愛花が彼氏に手作りのチョコレートをプレゼントしたいって言うからみんなで作りやすくて見栄えのしそうなのを考えてたのよ」
愛花というのは3年の先輩で、もう推薦入試で大学が決まっているのでもっぱら部活に精をだしているのだ。
「手作りですか…あ、これ美味しそう」
秋人は中の一枚を拾い上げた。
「うわー、やっぱりそれかぁ。難易度高いんだよなぁ」
愛花が眉を寄せる。
「ガナッシュ・チョコレートケーキ…3層チョコクリーム挟んで上にチョコかけてココア振って模様付けるのかぁ…厳しい。如月君としてはこれ?」
「うーん、この中ではこれが一番美味しそうだけど、こっちのブラウニーをこう…こんな形にして粉砂糖かけたら綺麗かも」
さらさらと秋人がプリントの裏に軽くスケッチを描く。相変わらずの流麗なラインに美術部員はほうっと感心する。
「ブラウニーなら私でもなんとかなるか…な」
愛花はむむむとレシピと秋人のスケッチに顔を寄せる。
「先輩は彼氏にプレゼントするんですか?」
秋人が尋ねると愛花は苦笑した。
「そうよー手作りの方が本命っぽいでしょ」
「?」
秋人は本命チョコの意味合いを間違えているので、意味が分からない。頭の上に大きくはてなが浮かんでいる状態だ。
「あ、でも試作品は義理チョコで配るからみんな食べてねー」
と愛花が言う。
「工藤先輩、義理チョコって何ですか?」
美術教室の片隅でイーゼルを立てていた美香に秋人はこそこそと尋ねる。
「去年薫が仕事の人からもらった義理チョコだってチョコくれたんですが、手作りじゃなかったです」
「あー…なんか色々と説明した方がよさそうねぇ」
混乱中の秋人を見て美香が苦笑を浮かべる。
「いいわ。今日は帰りにちょっとどこかでお茶でもしましょう」
美香にそう言われて秋人はすごく嬉しかった。
「はい」
と元気に返事をしたが、美香はあまり元気がなかった。
今日は少し遅くなる旨を薫にRINEすると『了解』という返信がすぐにきた。秋人は部活を早めに切り上げ、美香と一緒に下校した。びっくりするくらい浮かれていた。久しぶりに美香と二人で話ができるというだけで、舞い上がっているのが分かった。
以前に美香が連れて行ってくれたのとは別のカフェ、学校から少し離れたところの落ち着いた雰囲気の店でお茶をすることになった。
渋めのインテリアにコーヒーのいい香りがしている。大人な雰囲気のカフェで、秋人は少し落ち着かなかった。
「あの…先輩?」
席に着いたまま俯いて話さない美香に、秋人は少し困惑した。いつもなら色々と話を振ってくれるからこんな風に話す内容に困ることはない。
「今日は、バレンタインの話ね?」
当惑している秋人に気が付いて美香が無理やり笑顔を向ける。無理をしているのがバレバレな顔だったので、いくら鈍い秋人でも気が付いた。
「先輩、もしかして体調悪いですか? それか心配事?」
秋人は鈍い自分を呪った。浮かれすぎてて美香の様子をちゃんと見れてなかった。
「なんでもないのよ、気にしないで」
にこりと笑う顔はいつものキラキラして笑顔ではなく、酷く辛そうだった。
「あの…もし僕でよかったら相談してください。僕で無理だったら薫に繋げますんで」
秋人は必死に言い募ったが、美香は酷く悲しそうに首を振った。
「違うの、これは私の問題で…ごめんなさい。今日は帰るね」
美香はそう言うと、机の上に千円を置いて駆けだしてしまった。秋人は茫然とその様子を眺めるしかできなかった。
想定より早く帰宅した秋人を見て薫は首を傾げた。思いきりよく凹んでいる。
「何か学校であったのか?」
と薫が聞くも、心ここにあらずで「何でもない」としか言わない。ごはんも欲しくないといって部屋に籠ってしまった。部屋に籠る前に
「何でもないから絶対に工藤先輩に電話しないで」
と念を押すことは忘れなかったので、原因が美香なことは薫にはすぐわかった。
「いや、お前それはいくらなんでも分かりやすすぎだろう」
と思わず当夜が突っ込みをいれたくらいである。
薫はこれはおそらく自分が一番苦手な恋愛分野の問題だということにはすぐに気が付いた。
もうじきバレンタインデーという薫にとって悪夢の恋愛お花畑イベントが開始される。それに加えてこういったカテゴリーの諸問題が沸き起こるのだ。仕事も忙しくなる。婚約破棄だったり離婚だったり、浮気の慰謝料だったりの相談が急増するからだ。
「なぜ、バレンタインなどというイベントがこの世に存在するんだろう」
薫は深くため息をついた。
「あっくん、今朝はあんなにチョコレート楽しみにしてたのに」
と当夜も困惑気味だ。
「今朝のあれな。秋人完全にバレンタインの意味間違ってたからな。早々に訂正してやらんと大変なことになる」
朝食の席でも秋人は教室と同じようなことを宣言していた。登校前で時間がなかったので訂正できなかったのだが、このままだと秋人の学園生活は大炎上だ。
「そういえば、先生は今年は楽ちんですね」
と当夜が言う。薫は不思議そうに首を傾げた。
毎年2月14日は薫にとって悪夢の日だ。その日は加藤法律事務所は特別休暇である。不自然な訪問や在所を確認する電話が急増するので、仕事にならないからだ。
「薫が歩けばチョコレートに当たる」と言わんばかりに、あちこちからチョコレートを渡そうとする女性に遭遇するので、薫はその日はじっと自宅に籠っているのがここ何年かの日課だ。
去年はどうしてもその日しかだめだという公判があって渋々出かけたが、実はそれもチョコを渡そうとする策略だったというオチまでついて、胸糞な一日だった。
唯一の慰めは楠本と保険の外交のおばちゃんとミドリからもらった義理チョコを秋人に渡して大喜びしてもらえたことくらいである。(それ以外に送られたり、無理やり渡されたりしたチョコレートは、何が入ってるか分からないので記名住所がある場合は返却、ない場合は焼却処分するのがセオリーだ)
「今年はチョコレート断るのに、『婚約者がいるので』って最強の盾があるじゃないっすか」
と当夜が言うと、薫は雷に打たれたような表情になった。
「え?俺、もしかして今年はちゃんとしたチョコレート貰えるの?集団で脅迫されたり、あげたけどやっぱり怖いから返してって言われたり、追いかけ回されたり、目の前で燃やされたりしない普通のチョコレート?」
思わず当夜に聞き返してしまう事態である。
「…そりゃ、仕事じゃなけりゃ貰えるっしょ。本命チョコ」
「・・・・・・・っ!!」
その瞬間、薫を駆け抜けたのは感動だった。
屈折29年、絶対におかしなものが入ってないと分かっている義理チョコしか受け取れなかった人生についに幕が下りるのだ。
「やば、すごく楽しみ」
薫が小さく呟く姿を、扉の陰から青い顔で見つめる桜子の姿に誰も気が付いていなかった。
当夜「どんなチョコが欲しいんっすか」
薫「ぶっちゃけ、チョコならコンビニスイーツだろうと、駄菓子屋の50円チョコだろうと俺は気にしない。ただ、本命であることが大事」
当夜「本命の定義とは?」
薫「…か、彼女からもらうこと」
当夜「独り身には辛いっす」




