意地
「……あぁ、そういえば今日だったな…」
応募者達を眺めるその瞳は、まるで氷柱のようにその全てを射竦め、凍てつかせる程の冷たさを帯びている。
大半の人は怯えてしまっているし、残りの半数も良い印象は持っていないだろう。
かくいう私も、未だに信じきれていない。私が死んだ日、まだ幼かったとはいえリクト様はこんなに冷たい眼をされていなかった。
この20数年の間に何があったのか、今の私には知る由もないのだ。
「分かった、これから先は俺が受け持とう。」
「…え!?リクト様自ら…ですか…!?」
リクト様の放った言葉は、衝撃の一言に尽きるものだった。公爵家の当主自らが使用人の選別を行うなど、前代未聞と言って差し支えないものだからだ。
「あぁ…お前達はもう下がっていい」
後ろに仕えていた者たちと私達を案内してくれた使用人を一瞥すると、一言そう告げた。
言葉に熱は無い。あくまで興味が無いといった様相を醸している。
「は、はい!失礼します!」
使用人が慌てて御屋敷の中へ引っ込んだのとは裏腹に、リクト様の後ろに仕えていた者たちはそれこそ優雅な振る舞いを崩すこと無く戻っていった。
「…さて、貴様らに求めるのは単純な事だ。家事をするだけならば猿でも出来る。俺の邪魔をするな…以上だ」
この一言でこの応募者達のどれだけが敵意を持ったのだろうか。
会って早々にこんな事を言われたのだ。敵意を感じない訳が無い。
…その答えは一拍後、物理的に証明されることになった。
「『氷結』」
…!?…これは!魔法の詠唱!
刹那…応募者達の殆どを氷の棘が覆う。その中にはミーヤも居た。
「リクト様!何を!?」
驚愕を露わに問い詰める。が、しかし…
「貴様らは不合格だ。この程度で敵意を持たれては、信用など置ける道理がない」
氷の棘は冷気を放ちながら、不合格者達の周りを檻のように蠢いている。
「ふざっけんじゃねぇ!幾ら公爵様だろうがあんな言い方されて頭に来ねぇ訳が…!」
氷の棘に包まれながらも、反抗する者は居た。だが…
「ッ!?」
その言葉を遮るように、まるでその先は言わせないとばかりに氷の棘がその応募者の首を狙い澄ます。
首元に当てられたヒヤリとした冷たい棘の感触に、彼女も黙ってしまった。
「だからこそだ…その程度の怒り、抑えることも出来ぬ理性ならば尚更、信用出来るはずもない」
氷の棘に勝るとも劣らない程の冷ややかな視線を当てられ、背筋から凍っていく様な感覚を全員が味わうこととなった。
「合格者は…たったの3人か。不作も良い所だな」
尚も言い募るリクト様に、クシャとしての心に火がついた。
「リクト様…少々よろしいですか?」
この際体面なんて気にしている暇は無い。これは、元教育者としての意地だ。
「そんな言い方は無いと思います。少なくともここに居る応募者たちは、ここで働きたいという意欲を持って集まっているんです。こんな選別の仕方はあんまりです」
周りの温度が一気に下がっていくのを感じる。私の周りの応募者たちの顔が青ざめていくのが傍目に見えた。
「………」
リクト様はというと、前髪で表情は隠れてしまっているが、怒らせてしまったのは間違いないだろう。その証拠に肩が目に見えて震えている。
一瞬、頭上に影が差した。
その瞬間、首元と胸の位置に差し迫った死の予感を悟った。
「止めろ」
リクト様の一言により、死の予感という名のナイフに、紙一重で刺し貫かれることは無かった。
「…何故止められたのですか?」
「…この者は身の程も弁えずにリクト様にあの様な言葉を…」
ナイフを構えていたのは、先程リクト様の後ろに控えていた2人だった。一寸の狂いすら無く、致死点を狙っている辺りに熟練度を感じる。…が、一度耄碌して力尽きてしまったとはいえ、同じリーン家の使用人だったのだ。
熟練度では劣るとはいえ、経験で負けるということは無い。
「貴様、名は…」
ナイフを突きつけられているというのに堂々としている少女に、リクト様は一瞬目を見開き驚愕を露わにした。だが、それも束の間即座に元の能面の様な無表情に戻ってしまった。
「イリアと申します。リクト様」
すると、リクト様は踵を返し御屋敷へと戻って行った。
「その名、覚えておこう。…明日からのことは最初の使用人に聞け」