百二十話「旅行二日目 ボート3」
「さっきからこの辺り船も通らないわね……。どうにかして助けを求めなければならないのに。でも、こっちに気づかなかったらどうしよう? いや、そんな弱気になったら駄目よ。もっと、こう前向きに考えて…………」
ビニールボートにて。由菜がパニック状態に陥っている中、
「………………」
彰は考えをまとめていた。
現状、このボートは漂流中だ。食べ物もろくにない状況、直射日光が照らしていることにより体力も奪われ、このままではそう長くは生きられないだろう。
「いや、そこは問題じゃないか」
だが、彰はそこが問題の本質でないことが分かっていた。絶望的な状況を一言で切り捨て、さらに思索に耽る。
問題なのは現在の状況ではない。何故こんな状況になったのか、だ。
しかしそれは簡単な話だ。いきなり起きた水流に巻き込まれたからである。
なら、何故水流がいきなり発生したのか?
何らかの自然現象だとは考えづらい。というのも、
「あの瞬間、かすかにだが魔力が動いた気配がした……」
能力者であることを自覚してから四ヶ月弱。彰も魔力の流れに敏感になってきていた。
つまりあの水流は能力によるもの。
であるが、見ず知らずの能力者が海水浴場にいたとはあまり考えられない。もしいたとしても、荷物と一緒にしまっていたボートに細工できたとも考えられない。
消去法で考えると犯人は身内だろう。
幸いにもその推測を裏付けるように、この事態を起こせそうな能力者がちょうど身内にいる。恵梨の水の錬金術だ。
この状況に陥った理由を看破した彰はそれに飽きたらず、さらなる分析を開始する。
何故、恵梨がこのようなことをしたのか? その理由だけはどうしても分からない。
だから理由は置いておくとしよう。このような状況に陥れた恵梨だが、
『今日の夕方から、この近くの神社で夏祭りがあるみたいですよ。楽しみですね彰さん』
朝、そんなことを言っていた恵梨が、俺たちを殺そうとしているとは思えない。たぶん、ここから救助する用意をしてあるのだろう。
大海原にさまよいでたボートを助けるために必要な準備。それにはだいたい見当がつく。
彰はボート上を目を皿のようにしてくまなく見回す。
そしてそれを見つけた。
「……思っていたより小型だな」
ボートのヘリの外側にちょこんとつけてあった指先でつまめるほど小さい黒い機械。これがたぶん俺たちの位置情報を送っている発信機だろう。
「それにしても小さすぎる」
この大きさで発信機としての役割を果たしているとしたならかなり高価だろう。……もしかして風野藤一郎も一枚噛んでいるのか? あの人、こういうドッキリみたいなの好きそうだからな。GWのときは俺に偽結婚話を持ち込んだくらいだし。
「……しかし何でこんな事をしたんだろうな?」
驚異的な洞察力を見せた彰だが、最後まで恵梨や風野藤一郎がこんなことをした理由が分からなかった。吊り橋効果のことは知識としては知っていたが今の現状とは結びつく端すらない。
……まあ、風野藤一郎が関わっているというなら俺たちの安全を考えていないわけがないだろう。助けがくるまでどれくらいかかるか分からないけどのんびりするか。
「ふう……」
考えるのを放棄して一気に体を弛緩させる彰。
本来恵梨たちの作戦は吊り橋効果により彰と由菜を接近させる目的である。だが、当の彰は緊張するどころか、このように落ち着いていては吊り橋効果など起きるはずもない。
つまり作戦失敗であった。
「それで彰。何か良い案でも思いついたのよね」
「え?」
彰が緊張を解いたのに気づいて由菜が話しかける。
……そういえば今は由菜と二人きりだったか。状況に今さら気づく彰。
「すまんな、ちょっと考えごとに没頭してしまって」
この前も恵梨に二人きりでいるときに、一方に黙られたら空気が悪くなるというような事を言われた気がする。
俺、学んでないな、と彰が反省していると由菜が期待をこめたまなざしでこっちを見ていた。
「いいのよ考えごとぐらい。その落ち着いている表情から分かるわよ。この状況から脱するための策を練っていたのよね? そして思いついたんでしょ?」
「………………」
ええと、由菜は何を言ってるんだ? ……あっ、そうか。
すぐに状況を理解する彰。
由菜はこのドッキリの舞台のような状況を本当の危機だと勘違いしているということに。
まあ、彰が能力者で魔力の気配に気づけたことと並外れた洞察力があってこそ気づいた事実だ。由菜のように気づけない方が普通である。
だから勘違いしている由菜は、俺が何か考えごとをしているのを見てこの状況をどうにかするために考えているのだと錯覚した。……まあ、命の危険が迫っているのに他のことを考えているとは思わないだろうし当然だ。
把握したところで彰の目の前に二つの選択肢が浮かび上がった。
選択肢一。気づいたことについて由菜に話して、この状況に危険がないということを教える。
選択肢二。あえて由菜の勘違いを指摘せずに遊ぶ。
「…………」
勉強ができる真面目なやつという上辺とは裏腹に、イタズラ好きという子供のような本性である彰がどちらを選ぶか考えるまでもなかった。
悲壮な顔つきを意識ながら彰は口を開く。
「由菜、期待しているところ悪いんだがすまない」
「……え?」
「この状況どう考えても死ぬ運命しか見えない」
「………………う、嘘でしょ」
由菜の顔が絶望に染まる。おそらく彰が最後の頼みの綱だったのだろう。思った以上に落胆度が大きい由菜に、彰は良心の呵責を……感じるようならそもそも事実を話している。
「だってよく考えて見ろよ。このボートの上には食料も何もないんだぞ。餓死するに決まっているじゃないか」
「で、でも! この下は海でしょ!」
「釣り用の道具も無いし」
「彰なら素手で魚を」
「取れるようなら俺は学校に通わないで就職するわ。それに加えて水も無いからな」
「水なら、ほら周りにたくさんあるでしょ! 少ししょっぱいけどおいし」
「いや、でも海水ってコップ一杯分飲んだだけで死ぬらしいぜ」
「きゃーーー!!!」
海水を飲もうとしていた由菜が叫ぶ。それは醤油でしょ、というツッコミを待っていたのだがどうやらパニックすぎて考える余裕がないらしい。
いつもは比較的に落ち着いている性分の由菜が慌てているのを見て暗い欲望を満足させる彰。
「それにこうも直射日光を防ぐことができないと体力を消耗するからな」
「そ、そんなの雲が」
「今日は快晴だ」
「何で今日に限って雲一つ無いのよ!!」
「ちなみに快晴って、空全体の十分の一も雲が無いときに言うらしいぜ」
「そう、ていうことは今日は快晴ね! って何で今日に限って雲一つ無いのよ!」
「話がループしているぞ」
予想以上に落ち着きが無くなっているみたいだ。
あの由菜がここまで取り乱す……ことはよくあるか。恵梨と初めて会ったときもこんな感じだったし、想定外の事態にはけっこう弱いってことか。
「………………………………………………………………………………………………………………………」
と思ってたら急に由菜が黙りこくった。薬物中毒者のような躁鬱の激しさだ。
「ねえ、彰」
「何だ?」
「私たち死ぬの?」
「現状その可能性が高いとしか言いようがない」
いけしゃあしゃあとのたまう彰。
「もうお母さんにも会えないの?」
「残念ながら」
「学校やショッピングやカラオケ」
「にも行けないな」
「恵梨や美佳たちとどうでもいい話で盛り上がることも無理って事?」
「まあそうなるな」
「…………………………」
あ、やばいぞこの流れ。このままじゃ由菜泣き出すかも。
反応が面白かったためふざけていたが、さすがに泣き出すまで追いつめるのは彰の本望ではなかった。
……どれぐらい怒られるか分からないけど、きちんと本当の事を話すべきだな。
「それでも」
しかし泣き出しそうだと思われた由菜の口は未だに言葉を紡いでいた。
「彰はここにいるね」
「……? 当たり前だろ」
本格的に頭が狂い始めたのか、とものすごく失礼な事を考える。だが、由菜には必要なステップだった。
「ここに彰がいてよかった。……死ぬぐらいなら、って後ろ向きな気持ちは嫌いだけど、それでもやっぱり死ぬんだったらこの気持ちはちゃんと伝えておきたかったから」
「……何を言いたいんだ?」
鈍感な彰はその次に続く言葉が推測できない。それでも由菜が覚悟を決めたことによる緊張感だけはひしひしと伝わってくる。
「私はね」
恵梨たちの作戦は失敗だったのだろうか?
確かに彰に吊り橋効果は効かなかった。
それでも由菜にはしっかりと吊り橋効果が効いていたのだ。それによって覚悟を決めた由菜が現状を否応が無く動かす言葉を口にすれば、それはそれで硬直状態の打破に繋がる。そういう意味では作戦は成功だったのだろう。
「彰のことが」
――しかしこの世に運命を司る神様という存在がいるのなら、それはそれはたいそう質の悪い性格をしていた。
ズズン!!
由菜の言葉を遮るようにちょうどそのときボート全体に衝撃が伝わったからだ。
「っ!?」
「いたっ!!」
何が起こったんだよ!? と、彰が周りを見回すとすぐに事態が把握できた。
ボートが砂浜に乗り上げていたのだ。
「あれ? いつの間にか戻ってきていたの?」
「いや、俺たちがいた砂浜とは別のようだな。沖の方に流されていたのに陸地に戻ったとは考えられないから、たぶんここは島だろう」
「ふうん。……って、島についたってことはどこかに食べ物があるって事よね! ていうことは私たち生き残れるってこと!?」
「……みたいだな」
そうでなくても恵梨たちの助けがくるはずだったから生き残れたのだが、まあ安心させる手間が省けてよかった。
彰は島の中心の方を見上げる。
見た感じそう大きくは無い島だ。島の中心の方は小高い山のようになっている。砂浜が途切れたところからうっそうと木が生い茂っていている。
あの山を登るのに一時間もあれば足りるだろうな、と彰はそこで由菜の話が終わっていないことに気づいた。
「そういえば由菜。さっき何を言おうとしていたんだ? 俺のことがどうしたんだよ?」
「あーそれは…………っ!!??」
命が助かると分かって冷静になった由菜は改めて自分がとんでもないことを言おうとしていたことを思い出す。
「由菜?」
「な、何でもないのよ!! 忘れてちょうだい!!」
「……? まあ、いいけど」
どうせどうでもいいようなことだったんだろうな、と彰のいつも通り的外れな思考。
「うう…………私のバカ。雰囲気に流されて何言おうとしていたのよ…………言う前だったからよかったものの、後だったらと考えると…………」
由菜がぶつぶつとつぶやく自省モードに入ったので彰は落ち着くまで待つことにする。
「しかし、島に漂着するとはな」
これも恵梨や風野藤一郎の考えていたことなのか? いや、流れる方向だとか全てを制御することは不可能だろうし偶然だろう。
「…………あれ?」
と、さっきまでのことを思い返して彰は違和感に気づいた。
漂流しているとき辺りを見回して、三百六十度水平線、つまり島など存在しなかったことを確認したはずだ。
なのにそれから三十分も経たない内に島に着くっておかしくないか?
それに、そもそも砂浜に乗り上げるまで二人とも島の存在を認識できてなかったことも変だ。
――それこそ常識外の力が働いてない限り。
「絶対この島はおかしい……」
彰は島の中央、山の方を見上げる。
さっきは平凡なものに見えたそれが、何か得体のしれないようなものに思えて仕方なかった。
違和感を持ったのは恵梨も同じだった。
「あーあ、惜しかったですね」
恵梨は盗聴している音に耳を傾けながら悔しがる。
彰に吊り橋効果が効かなかったのは誤算だったが、しかし由菜が告白をすれば結果オーライだと思っていたのが邪魔されたからだった。
その後の会話を聞く限り、どうやら彰と由菜は島に漂着したようだ。
「島?」
おかしいですね。
恵梨はボタンで操作して機械の画面を切り替える。
映し出されたのは一面青の地図。画面中央の赤い丸が彰たちの現在位置のはずなのだが、
「やっぱりおかしいですね。……彰さんたちの現在位置は海の上のはずなのですが」
赤い丸の近くには島一つ存在しない。
となれば考えられる可能性は三つ。
彰たちが幻覚を見ているのか、それとも機械が故障したのか。
もしくは地図上にない島が存在するのか。




