百十九話「旅行二日目 ボート2」
「た、大変なことになったわね」
由菜は心を落ち着けるために深呼吸をした。
「すー、はぁー。……よしっ!」
そうして現実に向かい合うために辺り一周を見回す。
辺り一面が海に囲まれているのはビニールボートが急な流れによって沖に流される前とは変わりがない。
変わったのはそう、さっきまでは遠くに見えていた砂浜が今はどの方角にも見えないということであった。急な流れにしがみつくのが精一杯だったので、どちらの方角に行けば帰れるのかも分からない。
方角が分かったとしてもかなりの距離を流されたので、どれくらいボートを漕げば陸にたどり着けるだろうか分からない。
加えて問題なのは自分たちの装備であった。
海で遊んでいてそのままビニールボートに乗ったため二人とも水着のままである。いや、水着というのはこのさい置いておこう。
大事なのはいつもならポケットかカバンに入れている携帯電話が手元に無いという事であった。これでは助けを呼ぶこともできない。
そして今はまだ大丈夫だが、このボートの上には食料もない。海だからボートの下には魚がいるのだろうが、それを釣る道具もない。
水は海の上だから無尽蔵にあると思われるが、塩水なので飲み水としては良くないって何かで聞いた覚えがある。
「…………」
と冷静に考えた結果、由菜は以下の判断を下した。
遭難。孤立無援。絶体絶命。生命の危機。
「うわああああん! どうしよう彰! 私たち死んじゃうのかな!!??」
絶望的な状況の中、唯一の救いは泣きつく相手、頼れる幼なじみがいることぐらいだった。その彰もこの状況には、
「どうしたものか…………」
焦りは無いものの、途方に暮れているようだった。
「今ごろ、彰さんも由菜さんもあわてている頃でしょうね」
同時刻の砂浜。
恵梨は何やら変な機械――上半分が液晶画面で下半分には操作用のボタンがついている――を片手に微笑していた。……傍目には一人で笑っていて「何この可哀想な子」状態である。
「これで二人の中が少しでも進展すればいいのですが」
が、幸いにも(?)恵梨はそれに気づいていないようであった。
さて、何故砂浜にいる恵梨が現在の彰と由菜の状態を知っているのか? その理由の説明のため昨日まで時をさかのぼってみることにしよう。
「吊り橋効果ですか?」
由菜と彰を仲を進展させるためにはどうすればよいのか、と考えていたところに風野藤一郎によって『二人でボートに乗る』という作戦が提案された。
それがその場にいた恵梨、由菜、美佳、彩香に了承されて、風野藤一郎が明日までに必要な物を手配すると決めて作戦会議は解散した。
その後、適当な理由で由菜をその場から離して、風野藤一郎は『本当の』作戦会議を始めた。
「それってあの危機的状況にいる男女が、危険に対するドキドキを恋という感情によるドキドキと錯覚するとかそういう理論ですよね」
美佳がすらすらと答えると風野藤一郎は感心した。
「最近の学生は物知りだな。私が学生の頃は、ちょうどその論文が発表されたばかりだったので知っている人も少なかったものだったが」
「テレビとか小説とかでもよく使われたりしてますので」
「そうね。私でもある程度は知っているわ」
「右に同じくです」
最近まで恋愛事に興味の無かった彩香まで知っているのだから、認知度はそれなりに高いものだと言えるだろう。
「それで吊り橋効果がどうしたんですか?」
恵梨が唐突にその言葉を発した理由を問う。
「彰くんと由菜さんにも使うつもりだ」
「……なるほど、それぐらいのことでもしないと彰さんと由菜さんの仲なんて進展しそうにないですね」
恵梨は納得する。彰の鈍感さはそれほどに厄介だ。
「しかし、吊り橋効果を使うっていってもどうするのよ? 危険な状況なんてそんな簡単には転がっていないわよ」
彩香がもっともな指摘を行うが、風野藤一郎に抜かりは無い。
「その点は問題ない。明日二人が乗るボートに細工をして漂流させる」
「そのために二人でボートに乗るって作戦を提案したんですか?」
「ロマンチックなムードで二人きりになったくらいで状況が動くようならここまでこじれていないだろう……。あいつもそうだったからな」
「あいつって誰ですか?」
「中田洋一……昔からの腐れ縁だ」
風野藤一郎の言葉に妙な実感がこもっていると思ったら彰のような鈍感な人の恋を応援したことがあったらしい。この場に能力者ではない美佳がいるため言及しなかったが、中田洋一は日本の能力者集団おけるNo.2である。
五月の能力者会談の時も試合してましたけど、そんな縁だったんですか。
と、恵梨が妙な納得をしている間も会議は進む。
「けど漂流って、危険な状況にやるのはいいけど助けられなければ意味ないのよ」
「彰くんたちにつけていることがばれないように小型の発信機とそして救助用の船を既に手配している」
「手配した、って……こんな作戦のためにどれだけ金を使うつもりなのよ」
娘の彩香が呆れる。本気で遭難したと思わせるためには彰たちの目に付かないほどの小型の発信機が必要だが、そういう機械は小型になればなるほど高くなるものだろう。船を手配するのだって安いわけがない。
「それにさっき決めたばかりのことなのに、明日に間に合うわけ?」
「愚問だ。間に合わせるに決まっているだろう」
間髪入れずに断言した風野藤一郎。
この世の何でも買える、というのは普通の金持ちでしかない。本当の金持ちはこの世の何でもを買うことができ、かつ必要なときにそれを手配できるものなのだ。
「というわけで、私は今日の夜の内には仕事に戻るから君たちだけでどうか作戦を遂行してほしい」
「分かりました」
「がんばってみます」
「……まあ、手伝いぐらいはするわよ」
そうして作戦会議は終了した。
というわけで現在彰と恵梨がボートで漂流しているのは予定通りというわけだった。
「あっ、そういえばもうそろそろあの二人漂流している頃だっけ?」
砂の城作りを指導していた美佳が、ちょうど休憩に入ったのか恵梨に声をかけてきた。
「そうですよ。結構沖にまで流されてますね」
恵梨が手元の機械を見せる。画面は一面青で、中心に一つだけ赤い丸がある。発信機によって送られた彰たちのボートの位置が画面に表示されているのだ。
「へえ、うまくいったんだ。……けど、漂流させるって具体的にはどんなことをしたんだろう?」
「さ、さあ? 分かりませんね」
恵梨が少し焦りながら分からないと言う。
しかし、実際は漂流させた方法をよく知っていた。どころか自分がそれを行っていた。
そう、彰たちのボートを漂流させたのは恵梨の能力『水の錬金術』によるものだったからだ。水を圧縮金属化してボートの裏に張り付けておく。それをタイミングを計って解除することによって、瞬間的に膨張した水が激しい水流を起こしたというわけである。
彰が風を圧縮金属化して敵に投げ、解除して暴風を引き起こすのと同じ理屈を水中で行ったというわけだ。
「しかし今ごろあの二人はどうなっているでしょうね?」
「……あっ、そういえば発信機に盗聴機能も一緒につけておいたらしいわよ。えーと、確か……」
美佳が恵梨の手から機械を取って操作する。
「それは知りませんでしたけど、そういう大事なことは先に言っておいてください」
恵梨がジト目で美佳を見る。
風野藤一郎から機械を受け取った際に説明を受けているため美佳の方が扱いに詳しい。
「ごめんごめん。……ん、ほらこれで聞こえるわよ」
機械の背面についているスピーカーから声が漏れだし始めた。
「はたして彰さんは助けの見込めない状況にどれだけ焦っているのでしょうね?」
理想としては死すら考えられる状況に直面したおかげでようやく自分の本当の気持ちに気づいた彰が告白を行う――という映画みたいな流れになれば最高なのですけど。
恵梨は聞こえてきた声に集中し始めた。
更新遅くなってすいません。




