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アタシ(私)はひまわり(月) ~Find Me Again~  作者: 南馬一六三
【巡逢編】 序章 主人公退場 ~その名もびんびん小町~

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第四茶番 壁をぶち抜いてきた男

 「誰それ?」

 三人の笑顔が、固まった。


 冗談ではない。

 目の前のカヨナは、本当に何も覚えていない。

 頭では分かっていたはずだった。十年もの間、行方さえ分からなかったのだ。その間に何があったのか、自分たちは知らない。


 それでも、再び姿を見れば。

 あの頃と変わらない動きを見れば。


 もしかしたら――。


 そんな期待が、三人のどこかに残っていたのかもしれない。

 だが、彼女は自分の名前さえ他人のもののように聞いている。


 ――十年。

 

 口にすれば短いその時間が、決して軽いものではなかったことを三人が改めて思い知った、そのときだった。


 ――ドゴォォォォン!!


「!?」

 轟音とともに地面が揺れた。


 湿りかけた空気など一瞬で吹き飛ばす、とんでもない音だった。

 三人が振り返る。


「なっ……!?」


 袋小路を囲んでいた石壁の一枚が、盛大に吹き飛んだ。

 瓦礫が宙を舞い、砂煙が立ち昇る。

 その奥から。


 ――ドゴォォォォン!!

 また一枚。


「……は?」

 ――ドゴォォォォン!!

 さらに一枚。


 何かが来る。

 しかも道など使っていない。

 何枚もの石壁を文字通り一直線にぶち抜きながら、こちらへ向かってきている。


「えっ……?」

 カヨナも呆然とする。

 壁が破壊されるたび、ズン、ズン、と足元から振動が伝わってきた。

 近い。

 そして、ついに最後の一枚。

 砂埃の向こうから――拳が突き出た。


 ――バゴォォォォォン!!!


 石壁が粉々に砕け散る。

「うわっ!?」

 カヨナが反射的に腕で顔を庇った。

 砕けた石片が転がり、巻き上がった砂煙が月さえ覆い隠す。


 そして。

 その向こうから、一人の男が現れた。


「かよーーーーー!!!」


 大声だった。 

 静かな袋小路どころか、この一帯すべてへ響き渡りそうな声量である。


 ――さて。

 ここで一つ、読者諸氏には冷静に状況を確認していただきたい。

 

 まず、この男。

 何枚もの石壁を拳ひとつでぶち抜いてきた。

 その身体には、脳みそにまでプロテインの粉が詰まっていそうなほど、常軌を逸した筋肉が搭載されている。

 そこまではいい。

 いや。

 決してよくはない。


 だが、さらに問題なのは――。

 その男。

 片手に土鍋を持っていた。


「……」

 カヨナは硬直した。


 何枚もの壁を破壊して現れた筋肉の塊が、土鍋を持って、自分を知らない名前で呼んでいる。

 どう組み合わせればこの状況へ辿り着くのか。

 残念ながら、カヨナの頭脳をもってしても答えは出なかった。

 そんな彼女の混乱など知る由もなく、男は土鍋を片手にもう一度叫ぶ。


「かよーーーーー!!!」

「かっ……かよーーー!?」

 ようやく我に返ったカヨナの声が裏返った。


「だから誰よそれーーー!?」

 自分を指差し、続いて男の手元を指差す。


「しかも、なんで土鍋持ってるの!?」

 もっともな疑問である。


 男は答えた。


「きりたんぽ鍋だ」

 即答。

「食うか?」


「そういうこと聞いてるんじゃないの!!」

 カヨナの叫びが、夜の袋小路へ響き渡った。


 男は不思議そうに手元の土鍋を見る。

 どうやら本人には、何がおかしいのか本気で分かっていないらしい。

 この男が、わざわざ土鍋を抱えてここまでやって来た理由は単純だった。


 カヨナと、また一緒に飯を食いたかった。

 ただ、それだけである。


 そのためにこの男は――壁を何枚もぶち抜いてきた。


 カヨナは粉々になった壁を見た。

 男を見る。

 土鍋を見る。

 もう一度、壁を見る。


「漫画じゃないんだから!!」

「しかも壁突き破って登場なんて!」


 その横で、鴉たちは揃って額を押さえていた。

「あーらら……」

「やっぱりこうなるか……」

「筆頭だからな」

「筆頭ですから」


 慣れていた。

 驚いているのは、カヨナただ一人である。


「な、なに!? なんなのこの人!?」


 理解が追いつかない。

 何枚もの壁を破壊して現れたかと思えば、いきなり自分を知らない名前で呼んでいる。

 どう考えても、まともではない。


 ――なのに。


「……」

 胸の奥が、僅かに疼いた。


 かよ。

 たった二文字の呼び名が、不思議なくらい温かい。


 顔も、声も、名前も知らない。記憶のどこを探しても、目の前の男などいないはずなのに、その呼び方だけが遠い昔から何度も聞いていたもののように胸へ残る。


 懐かしくて。

 少しだけ、切ない。


「なんだろ……」

 カヨナは胸元へ、そっと手を添えた。


「思い出せない」


 男が歩き始めた。

 瓦礫を踏み越え、一歩ずつこちらへ近づいてくる。


 ――シャン。


 澄んだ音が、夜気を震わせた。

「……?」


 もう一歩。

 ――シャン。


 男の背中には、その巨躯にさえ不釣り合いなほど巨大な刀がある。その鍔に結ばれた小さな鈴が、歩みのたびに静かな音を鳴らしていた。

 先ほどまで壁を破壊していた男とは思えないほど、その足取りは穏やかだった。

 そして、その目も。

 不思議なくらい優しかった。


 男はカヨナの前で足を止める。

 ただ、じっと見つめた。


「カヨナだ」

 先ほどの大声が嘘のような、静かな声だった。


「間違いない」

 もう一度、確かめるように。


「本物だ」


 カヨナの眉が寄った。

「だから違うって言ってるでしょー!」


 頬を膨らませる。

「私は――」

 言い終えるより先に、男の右手が背中へ伸びた。


「……え?」

 巨大な刀が抜かれる。


 二代目祢々切丸。

 長大な刃が、雲間から戻った月光を受けて鈍く輝いた。


「ちょ、ちょっと……!」

 カヨナの表情から混乱が消えた。

 右手が自然に腰へ落ち、姫鶴一文字の柄を握る。


 次の瞬間。

 地面が爆ぜた。


「えっ!?」

 男の巨体が一気に間合いを潰し、二代目祢々切丸が頭上から振り下ろされる。


 カヨナは後方へ跳んだ。


 ――ズドォォォォン!!


 長大な刃が石畳を叩き砕き、跳ねた石片が頬を掠める。


「うわっ! なにこの人!?」


 返事はない。

 ヒロは砕けた地面から祢々切丸を引き抜く勢いのまま踏み込み、今度は横薙ぎに振るう。カヨナは上体を大きく反らして紙一重で刃をやり過ごし、遅れて舞った長い黒髪を翻しながら、そのまま懐へ滑り込んだ。


「ちょっ……話くらい聞きなさいよ!」


 蹴りが走る。

 男は腕で受けた。

 ならば、その反動を使って身体を回し、肘を打ち込む。

 それも受け止められる。

 カヨナは止まらない。接地した脚を軸にさらに踏み込み、鋭く研ぎ澄まされた槍のような膝を叩き込む。


「……!」

 男の巨体が、僅かに揺れた。

 だが、崩れない。

 祢々切丸が唸る。


 カヨナはその巨大な刃を流し、避け、回り込みながら、空いた間合いへ打撃を返していく。荒々しい質量が狭い路地を薙ぎ払い、その隙間を縫うように、しなやかな身体が流れ続ける。


 重さと速さ。

 剛と柔。

 まるで正反対の二人だった。


 それなのに、奇妙なほど噛み合っていた。

 カヨナがどこへ逃げるのか。

 どの角度から懐へ潜るのか。

 次にどの脚を使うのか。

 男は、そのすべてを最初から知っているように受け止めていく。


「……なに、この人」


 初めて会ったはずなのに。

 初めて戦ったはずなのに。

 自分の身体より、自分の戦い方を知っている。

 その違和感にカヨナの視線が揺れたとき。


「その刀」

 戦いの最中、男が初めて口を開いた。


「……?」

「姫鶴一文字だろ」


 カヨナの身体が止まった。


「え?」


 知っている。

 この男は、自分の刀を知っている。

 なぜ。

 その疑問が形になるより先に、男は告げた。


「俺が贈った」


 ――ドクン。


 心臓が、大きく跳ねた。


 知らない。

 知らないはずだ。

 顔も、声も、名前さえ、何ひとつ覚えていない。


 それなのに。

 

 胸の奥だけが――。

 その言葉を、知っていた。

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