第三十四茶番 新たな剣
特務隊の道場へ向かう途中、カヨナは先ほど掛けられた言葉を思い出していた。
ホシからは、「頑張れ」と一言だけ。
ユウカからは、「分からなければ、分かるまで一緒にやりましょう」。
そして、ゆかりからは――。
「終わったら肉だ!」
最後だけ何か違う気がした。
けれど、三人とも自分を応援してくれている。それだけは分かった。
「……うん」
カヨナは小さく頷き、少し前を歩くヒロの背中を追った。
◇
特務隊道場。
板張りの広い空間に夏の陽射しが差し込み、壁際には木刀や訓練用の武具が整然と並んでいる。感情素子式の空調から流れる冷気が、熱を帯びた道場を静かに撫でていた。
「広いですね!」
「まあな」
ヒロは祢々切丸を壁際へ立て掛けると、木刀の並ぶ棚へ向かった。
「まず、これ持て」
放られた二本の木刀を、カヨナは危なげなく受け取った。
左右の手に一本ずつ収めた瞬間、表情が変わる。ほんの僅かに腰が落ち、肩から余計な力が抜け、二本の木刀が身体の延長のように自然な位置へ収まった。
ヒロの目が細くなる。
「……やっぱりな」
「何がですか?」
「いや」
ヒロは道場の中央へ歩いていく。
「構えろ」
「筆頭さんは?」
「これでいい」
手にしているのは一本の木刀だけだった。
「一本だけですか?」
「ああ」
「アタシ、二本ですよ?」
「見れば分かる」
「ずるくないですか?」
「何がだ」
「二対一です」
「剣の本数で数えるな」
よく分からなかった。
だがヒロは、木刀を肩へ担いだだけで動こうとしない。
「来い」
「……本気でいいんですか?」
「ああ」
「お前の剣を見せてくれ」
カヨナの瞳から迷いが消えた。
床を蹴る。
一歩目から身体が低く沈み、その反動を使って一気に間合いを詰める。右の木刀を振り抜けば、ヒロは僅かに頭をずらして躱す。空を切った時には、もう左が脇腹へ迫っていた。
ヒロは半歩だけ下がる。
届かない。
「……!」
それでもカヨナは止まらない。
左右の斬撃を上段、横薙ぎへと繋ぎながら足を運び、絶えず角度を変えていく。一本を避ければもう一本。一撃を防げば、その死角から次が来る。
二本の剣を別々に振っているのではない。右が左を生かし、左が右を生かしている。
ヒロはほとんど反撃せず、その剣を見続けた。
速い。
それ以上に――。
「……柔らかい」
「え?」
返事をした瞬間、ヒロの身体が沈んだ。
「わっ!?」
木刀が横薙ぎに走る。
カヨナは咄嗟に二本を交差させた。
バァンッ!!
「ぬぇっ!?」
身体ごと吹き飛ばされ、床を滑って数メートル先でようやく止まった。
「いったぁ……」
尻を押さえながら身体を起こす。
「何ですか今の!?」
「普通に振っただけだ」
「普通じゃないです!」
「そうか?」
「そうです!」
断言された。
ヒロは木刀を肩へ戻し、床に座ったままのカヨナを見る。
「軽い」
「……」
カヨナは自分の腕や腹、脚へ視線を落とし、少し不満そうに頬を膨らませた。
「アタシ、そんなに軽くないですよ?」
「お前じゃない」
「はい?」
「剣だ」
「……剣?」
ヒロは頷き、木刀を短く振った。ただそれだけで風が鳴る。
「お前の剣は軽い」
「弱いってことですか?」
「違う。俺みたいに、力で押し切る剣じゃないってことだ」
カヨナは黙って聞いている。
「速い。身体も柔らかい。それに、二本持ってても重心がほとんど崩れねぇ」
ヒロはカヨナの足元を指した。
「特に最初の一歩だ」
「一歩?」
「ああ。踏み込む前、一瞬だけ身体が沈むだろ」
カヨナは首を傾げた。意識したことなどない。
「そこで力を溜めてる。溜めたもんを、前に出る速さへ全部変えてる」
「……そうなんですか?」
「自分で分かってないのか」
「はい!」
胸を張るところではない。
ヒロは頭を掻いた。
「まあ、いい」
「いいんですか?」
「身体が先に覚えてるなら、それでいい」
カヨナは二本の木刀へ目を落とした。
確かに、考えて剣を振ったことなどほとんどなかった。生きるため、負けないために何度も振り続け、気づけば身体が勝手に動くようになっていた。
「だから、お前は居合に向いてるかもしれない」
「これが?」
「ああ」
カヨナは自分の足を見る。昨日まで何とも思わなかった一歩が、急に違うものへ見えてきた。
「面白いですね!」
「だろ?」
「はい!」
先ほど吹き飛ばされたことなど、もう忘れている。
ヒロはそんなカヨナを見て、僅かに笑った。
「ちょっと待ってろ」
「はい?」
道場の奥へ向かったヒロは、やがて一振りの刀を手に戻ってきた。
カヨナの目が、自然とそこへ吸い寄せられる。
深い紫の鞘。光を受けて鈍く輝く金具。華美ではない。それでも、静かな存在感を持つ刀だった。
ヒロはそれを差し出した。
「姫鶴一文字」
「ひめづる……」
「使ってみろ」
「いいんですか?」
「ああ」
カヨナは二本の木刀を床へ置き、両手で姫鶴一文字を受け取った。
ずしりと、木刀とは違う重みが掌へ伝わる。
柄を握り、親指を鍔へ添える。
誰かに教えられたわけでもないのに、その動作は驚くほど自然だった。
僅かに押す。
カチッ。
小さな音とともに鯉口が切れ、鞘から覗いた刀身へ夏の光が一筋走った。
「……綺麗」
カヨナはゆっくりと刀を抜いた。
細身でありながら、頼りなさはない。真っ直ぐで、静かで、どこか優しい。
「……」
カヨナの指が、柄を握り直す。
その瞬間、胸の奥に不思議な感覚が広がった。
初めて見る刀で、初めて握ったはずなのに、妙に手に馴染む。重さも嫌ではない。むしろ、どう持てばいいのか、どこへ重心を置けばいいのか、刀の方から教えられているような気さえした。
「どうだ?」
ヒロの声で我に返る。
「……変です」
「何がだ?」
カヨナは刀身を見つめた。
分からない。理由なんて、一つも思いつかない。
それでも、胸の奥に浮かんだ言葉だけは、はっきりしていた。
もう一度、柄を握る。
「アタシ、この刀……初めてなのに、懐かしいです」
夏の光が、姫鶴一文字の刀身を静かに滑っていく。
ヒロは何も答えなかった。
カヨナも、それ以上は言わない。
ただ、失った二振りとは違う新しい一振りを、その手の中で静かに見つめていた。




