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アタシ(私)はひまわり(月) ~Find Me Again~  作者: 南馬一六三
【巡逢編】 第四章 音速のブーメラン

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第二十八茶番 次の太陽を探しに

 ユウカの言葉を拾った夏の夜風は、誰に届けるでもなく街へ流れていった。

 月の下を通り、灯り始めた街を抜け、やがて潮の匂いが混じる方角へ。


 そして、少しだけ時を遡る。

 その風がまだ夜の冷たさを纏わず、夏の熱を残していた頃。同じ風は、港の見える公園で一人の女性の黒いポニーテールを揺らしていた。


 カヨナ・ワダツミ。


 海沿いに広がるひまわり畑の中で、カヨナは沈みゆく太陽を見つめていた。昼間の強さを失った陽射しが水平線へ向かって長い光の道を作り、赤く、橙色に染まった光は波に崩されながら、それでも遠くまで海を照らしている。

 風が吹くたびに花弁が揺れ、夏草が擦れ合う。その音に混じって、遠くから船の汽笛が聞こえた。


「ここでの太陽が沈む……か」


 水平線へ近づいていく太陽を眺めながら、カヨナは目を細めた。


「また……新しい太陽に、出会えるかな……」


 風が吹いた。ひまわりが一斉に揺れ、太陽の方角へ顔を向ける。

 この街へ来て、まだそれほど長い時間が経ったわけではない。それなのに、随分とたくさんのことがあったように思えた。

 

 ユウカ。

 綺麗で、頭が良くて、何でも知っているようで、時々驚くほど変な人。因果律とかいう難しい話を一生懸命説明してくれた。正直、よく分からないところも多かったけれど、自分のことを考えてくれていたことだけは分かった。


 ホシは最初、嫌な人だと思った。愛想はないし、言い方も冷たい。何でも合理的に考える。それでも最後には、自分のことは自分で決めろと言ってくれた。

 知らないものを、知らないまま捨てるな。

 あの言葉は今も胸に残っている。


 そして、ゆかり。

 牛肉ジャーキーを食べ、鵺だの蛟だのとくだらない話をして、腹いっぱいラーメンを食べた。たった一度、一緒に夕飯を食べただけなのに、ずっと昔から知っている人のように笑えた。


 また会いたい。


 ユウカにも。ホシにも。ゆかりにも。また話したいし、また笑いたい。どれだけ遠くへ行っても、きっと忘れない。


 そして――。

「……筋肉さん」


 その名前だけは、口にすると胸の奥が少し苦しくなった。

 最初は、ただの変な人だった。筋肉のことばかり考えていて、何を考えているのか分からない。デリカシーもないし、自分勝手で、何度も腹が立った。

 なのに、気がつけば探している。

 ジムへ行けば姿を確かめ、声が聞こえれば振り返る。馬鹿なことを言えば呆れるくせに、彼が笑えば自分まで笑ってしまう。

 理由なんて分からない。ユウカのように理屈で説明することも、ホシのように合理的に考えることもできなかった。


 ただ、いると気になる。いないと、もっと気になる。


「……変なの」


 小さく笑った。

 今までたくさんの土地を巡り、たくさんの人と出会った。優しい人も、面白い人も、尊敬できる人もいた。

 それでも、太陽みたいな人は初めてだった。

 だからこそ、怖かった。

 このままここにいたら、きっともっと楽しくなる。ユウカも、ホシも、ゆかりも、もっと大切になる。そしてヒロのことも、もっと離れたくなくなる。

 そうなってしまったら、きっと旅立てない。

 カヨナは沈んでいく太陽を見つめた。

 旅に出たのは、誰かに命令されたからではない。自分で決めた。海神界を出て、知らない土地を歩き、知らない景色を見て、知らない人と出会う。自分の知らない世界を、自分の足で見てみたい。

 それが旅を始めた理由だった。

 なのに、一つの場所が心地よかったからと、ここで足を止めてしまっていいのだろうか。一人、気になる人ができたからと、自分で決めた道を変えてしまっていいのだろうか。


「……駄目だよね」


 誰も答えない。


「アタシが決めたんだから」


 旅を続けよう。次の土地へ行って、また知らない景色を見よう。知らない人に会おう。

 そうすれば、きっとまた――。


「次の土地でも、きっと……新しい太陽に出会える」


 太陽が水平線へ触れる。

 言ってみた。胸が痛んだ。


「きっと、出会えるから……」


 もう一度言っても、痛みは消えなかった。

 カヨナは胸元を握る。

 分かっている。同じ太陽など、二つとない。

 次の土地へ行けば、また誰かに出会うだろう。楽しい時間もあるだろう。けれど、この場所で過ごした時間と同じものは、もう二度と来ない。


 それでも、行かなければ。


 ここにいれば、もっと大切になってしまう。大切になればなるほど、いつか失った時に、もっと苦しくなる。

 だったら今なら、まだ綺麗な思い出のまま持っていける。またいつか、この街へ来ればいい。その時はまた会って、笑って、久しぶりと言えばいい。

 その方が、きっと安全だ。失わなくて済む。


 だから、行こう。

 そう決めたはずだった。


 ◇


 港へ向かう海沿いの道を、カヨナは一人で歩いていた。

 肩には旅の荷物。一歩、また一歩と靴音を鳴らし、ちゃんと前へ進んでいる。

 なのに、カヨナは振り返った。

 誰もいない。

 前を向いてまた歩く。しばらくして、もう一度振り返る。やはり誰もいない。

 一度、二度。気がつけば、何度も同じことを繰り返していた。


「……何を期待してるんだろ」


 自分でも分かっている。誰を探しているのか。


「ドラマじゃないんだから……」


 苦笑して、また前を向く。

 そんな都合よく来るはずがない。そもそも、自分が今日旅立つことさえヒロには伝えていないのだ。追いかけてくる理由なんて、どこにもない。


 だから、これでいい。

 そう思って歩き出したのに、また一度だけ振り返った。

 夏の日は、もうほとんど沈んでいた。


 ◇


 港には、巨大な客船が静かに停泊していた。


 ――ゾンネン・ブルーメ。


 乗船手続きは、もう終わっている。あとは乗るだけ。

 今までだって、何度もそうしてきた。一つの土地を離れ、船へ乗り、次の土地へ向かう。いつもと何も変わらないはずなのに、足が重かった。

 カヨナはタラップを見上げる。

 これを上れば船へ乗る。船が出れば、この街は遠ざかる。ユウカも、ホシも、ゆかりも。そして、ヒロも。


「でも……」


 タラップへ足を掛ける。

 一段。

 そこで、足が止まった。


「もし……」


 自分でも馬鹿なことを考えていると思う。来るはずがない。

 それでも。


「ここで……彼が来てくれたら……」


 鼓動が速くなる。

 カヨナは、もう一度だけ港の入口を見た。

 誰もいない。

 分かっていた。これでいい。これで、いいはずだった。

 なのに、ずっと口にしないようにしていた言葉が零れる。


「アタシ……」


 認めてしまえば、旅立てなくなる。

 それでも、もう止められなかった。


「彼のこと……」


「おーーい!!」

「――っ!」

 カヨナは勢いよく振り返った。

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