1-1 死なない怪物
第一章
英雄狩り編
第一話
雨が降っていた。
共和国東部。
辺境都市ラグナス。
人口五千。
帝国との国境付近に存在する小都市だった。
だった。
過去形である。
今、この街に秩序は存在しない。
広場には死体が転がり。
建物は崩れ。
兵士達は武器を捨てて震えていた。
誰も近付けない。
近付けば死ぬ。
それだけは全員知っていた。
広場中央。
積み上がった死体の山。
兵士。
騎士。
傭兵。
討伐隊。
死体は二十を超える。
その頂上。
一人の男が座っていた。
まだ若い。
二十代前半。
血に濡れた外套。
足元には騎士団長の首。
まるで王座に座る王のようだった。
男は笑う。
「次は誰だ」
誰も答えない。
男は英雄候補だった。
三週間前までただの人間。
だが今は違う。
力を得た。
それだけで街は落ちた。
騎士団は壊滅。
守備隊は壊滅。
増援も壊滅。
誰も男を止められない。
男は立ち上がる。
「つまらんな」
兵士達が後退る。
男は笑った。
「何故逃げる?」
「俺は英雄だぞ」
その言葉だけで。
兵士達の身体が震えた。
本能だった。
逆らうな。
逃げろ。
近付くな。
理屈ではない。
本能。
男は両腕を広げる。
「跪け」
空気が変わった。
兵士達が膝をつく。
悲鳴。
嗚咽。
武器が地面へ落ちる。
男は満足そうに笑った。
「そうだ」
「それでいい」
「俺は英雄だ」
「お前達は従えばいい」
その時だった。
広場の入口でざわめきが起きる。
人々が振り返る。
雨の中。
一人の男が歩いていた。
黒い外套。
黒い髪。
黒い瞳。
武器は腰の短剣だけ。
英雄候補は鼻で笑った。
「また死にに来たか」
男は答えない。
歩く。
ただ真っ直ぐ。
死体の山へ向かって。
「止まれ」
英雄候補が言う。
男は止まらない。
「聞こえなかったか」
「止まれ」
歩く。
変わらない。
一定の速度で。
英雄候補の眉が僅かに動いた。
「……」
そして三度目。
「跪け」
今度は本気だった。
地面が軋む。
兵士達が地面へ伏せる。
広場の石畳が砕ける。
誰も顔を上げられない。
だが。
男は歩く。
何も変わらない。
英雄候補は笑みを消した。
「何故だ」
男は首を傾げる。
「何がだ」
「何故効かない」
「知らん」
静寂。
誰も息をしない。
英雄候補は男を見た。
初めて。
真剣に。
理解できない。
あり得ない。
英雄の力だ。
人間が逆らえるはずがない。
なのに。
効かない。
男は歩く。
あと十歩。
英雄候補は笑った。
怒りの笑みだった。
「なるほど」
「面白い」
死体の山から飛び降りる。
轟音。
地面が陥没した。
兵士達が吹き飛ぶ。
怪物。
誰もがそう思った。
英雄候補が笑う。
「なら直接殺してやる」
消える。
速い。
兵士達には見えなかった。
次の瞬間。
拳が男の顔面へ迫る。
男が避ける。
拳が建物を砕いた。
壁が吹き飛ぶ。
英雄候補は止まらない。
蹴り。
肘。
拳。
暴風のような連撃。
人間なら死んでいる。
だが。
当たらない。
男は避け続ける。
最小限の動きで。
英雄候補の顔が歪む。
「何故だ!」
拳。
空振り。
蹴り。
空振り。
肘。
空振り。
男は歩く。
攻撃を避けながら。
真っ直ぐ。
英雄候補へ。
「何故効かない!」
叫ぶ。
英雄候補自身も気付いていた。
能力だけじゃない。
攻撃も当たらない。
何かがおかしい。
男は答えない。
あと三歩。
英雄候補は咆哮する。
「俺は英雄だぞ!」
全力。
拳を振る。
空気が裂ける。
男は踏み込む。
初めて前へ。
一瞬だった。
英雄候補の視界が揺れる。
何が起きたか分からない。
ただ。
首筋が冷たい。
男が隣にいた。
短剣を握っている。
英雄候補の目が見開かれる。
「お前……」
血が噴き出した。
首が落ちる。
雨音だけが響く。
静寂。
誰も動かない。
誰も理解できない。
英雄候補が死んだ。
人に殺された。
世界で初めて。
転がる首。
その目は最後まで理解できていなかった。
何故効かなかったのか。
何故負けたのか。
何故。
死んだのか。
ノアは血を払う。
そして。
死体の山を見下ろした。
「一人目だ」
「ただ、英雄がいる限り戦争は終わらない」
「次は五大英雄だ」
雨が降る。
静かに。
冷たく。
その日。
世界で初めて。
英雄候補が人に殺された。
そして後に。
《英雄狩り》
と呼ばれる男の物語が始まる。




