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二章 第3話:時凍る白亜の首都

【1】


時は現在、海上の観測塔。


海も、空も、遠くに霞む陸地も、全てが同じ白に沈んでいた。


厚い石壁を隔てて、遠くで砕ける波の音がかすかに響く。

その静けさの中で、テーブルの上の湯気だけが小さく揺れていた。



キリヤが紅茶を注ぐ。

白い陶器のカップの中へ、淡い琥珀色が静かに満ちていった。


ふわりと立ち上る、柔らかな香り。


「どうぞ」


短い言葉と共に、カップが四つ並べられた。



カズヤにとって、それは初めて見る飲み物だった。

恐る恐るカップを手に取り、ほんの少しだけ口をつける。


温かさが、喉から胸へと落ちていった。

芳醇な香りが鼻を抜け、凍った身体の奥にゆっくりと熱が戻る。


「良い匂いだ……。なんだこれ、美味い……」


「当然です。私が淹れたので」


キリヤがきっぱり答え、その様子にアマネがくすりと笑った。



その向かい、オルフェンが自分の椅子に深々と座っている。

行儀の悪さが、足を机に置いているところから見て取れる。


「アトラシアは作物があまり育たないからね。

この紅茶もオリエーラで獲れたものだし、物資は全部貴重なのさ」


指先でカップをなぞりながら。


「そんな環境だから、今回僕らも助かったんだ」



よほど気に入ったのか、紅茶をおかわりしながらカズヤが問う。


「そうなのか?」


「異常が起きた最初の日のことさ。

普段はグレイシオンに居るんだけど、その日は外の観測塔に出てたんだ」


紅茶を飲み、オルフェンは軽く肩をすくめる。


「最近、どこもかしこもエーテルが乱れててねー。

そのせいで雪崩が起きるわ、道は塞がれるわ。

各地の観測塔だって調整が必要。筆聖的には勘弁してほしいよ」


キリヤが静かに続ける。


「“観測”こそがアトラシア筆聖の責務。

そして交易網の麻痺は、都市そのものの停止と同義です。

何がなんでも、急ぎ整備する必要がありました」



オルフェンがパチリと指を鳴らした。


「結果的に、外に出掛けてたのは大正解!

もし街の中にいたら、今頃僕らも巻き込まれてただろうね」



アマネも紅茶を一口飲み、疑問を投げた。


「あの……私の情報もくれるって聞きました。

その“観測”と関わるものなんですか……?」


オルフェンは一度だけ瞬きをした。

それから、何でもないことのように紅茶へ口をつける。


「心配しなくても、無事に解決できたら教えてあげるよ」


カズヤの眉が寄る。


「ほんとかよ……」


「言ったよね?

この問題を解決するのに、君らの力が必要だって。

こういうのは見過ごせない()()だろ?」



オルフェンはカップを机へ戻した。


「取引だよ」


にこやかに、はっきりと。

静かな部屋の中で、時計の針の音だけが小さく響いた。



カズヤの不満は明らかだった。

だが、ここまで来て引き返す理由もない。

見過ごせないのは事実だが、それを利用されているようで癪にさわる。



結局、舌打ちをひとつ落とす。


「……ちっ」


オルフェンは満足そうに頷いた。


「うんうん。交渉成立だね」




【2】


大書院支給の防寒具に身を包み、カズヤ達は観測塔の外へと出た。


外に出た瞬間、世界は再び白に霞んだ。

雪は相変わらず、音もなく降り続いている。


四人は特殊な船に乗り込み、氷を押し割り進んでいくと、遠くに霞む陸地がゆっくりと大きくなっていく。



小さな波止場に船を止め、積もる雪に足を埋めつつ、前に進む。

カズヤもアマネも、深く積もった雪を踏みしめるのは初めてだった。


「雪って……こんなに、積もるもん、なんだ、な!」


「私も、初めてッ! 綺麗だけど……大変……っ!」


喋りながら、ふたりとも足をなんとか持ち上げる。



その様子を数歩後ろから、オルフェンとキリヤが眺めていた。


「雪なんて珍しいだろうに、もっとはしゃいでくれても良いのにねぇ。

昔のキミとは大違いじゃん」


「うるさいですよ」



ふわりと崩れる冷たい粒を頬に溶かしながら。

肩に積もる雪を払いながら。

ひたすら歩き、歩き、踏みしめる音だけを聞きながら。



やがて四人は、辿り着いた。



――そこには光があった。



淡く揺れ、はるか上空まで伸びる光の壁。

雪の結晶のような幾何学模様が、時を刻むかの如く脈動している。



カズヤが低く呟いた。


「これが、境界ってやつか」


「綺麗……」


アマネも思わず感動が漏れた。



光は触れられそうで触れられない距離。

だが確かに、空間そのものを歪めている。


風が、そこで止まってる。

雪が、そこで溶けて消えている。



オルフェンが一歩踏み出す。


「異常を乗り越えるか。昨日に溶けて消えてしまうか。

ここに踏み込めば、僕らの未来はそのどちらかしか無くなる」


しかし言葉とは裏腹に、その表情には観測者としての興味が溢れていた。



「じゃ、存分に愉しもうじゃないか」




【3】


オルフェンを先頭にして、境界へ足を踏み入れた。

光の壁が、水面のように揺れる。


空間がわずかに歪み、空気が薄く震えた。



本来、境界の端から首都までは数日かかる距離だった。

しかし境界を越えた瞬間、四人がいた場所は。




街の中心にある広場。




そこはアトラシア首都、グレイシオン。


雪に彩られた美しい街。


高い石造りの建物が並び、尖塔と煙突が白い空へ伸びている。

凍りついた水路が街を縫い、石橋がいくつも架かっていた。


降り続く雪が屋根を覆い、街全体が淡い光を反射している。

静かで、整然としていて、まるで時間そのものが眠っているような街。




――のはずだった。




「あれ、なんで街に……。

ってか……なんだ、これ……」


あり得ない現実に、カズヤが低く慄いた。




水路が燃えていた。

凍った水の表面から、青い炎が揺らめいている。

路の流れに合わせて、炎がゆらゆらと流れていた。


燃える水路。炎なのに、煙は出ない。

近くにいた子供達が、その火に手をかざして遊んでいる。


「暖かーい!」


「ほんとだー!」


その母親らしい女性が笑った。


「今日は良い残響の日ね」



アマネも、目の前の現実を理解できていない。


「……残響?」



街の人々は、特に不思議そうな顔をしていなかった。

それが当たり前の光景であるかのように。



今度は、空で何かが走った。



犬だ。



三匹の白い犬が、空中を駆け回っている。

屋根から屋根へ、宙から宙へ、軽やかに跳ねていく。

雪の粒が、その足跡として散っていった。



「……犬が、飛んでる」


アマネが唖然とする。



その声を聞いた通行人が笑う。


「今日は風が強いみたいだね」


「犬まで飛び始めちゃったよ」



そして、そのすぐ隣では。


争いが起きていた。

ひと区画丸ごとが、瓦礫の山になっている。


崩れた建物。地面に刺さる矢。剣を振るう兵士達。

怒号と金属音が響く。



だが――その戦場のすぐ隣で、普通の市場が開かれていた。


乳製品を並べる店主。

パンを選ぶ客。魚を売る老夫婦。


誰も、戦いなど気にしていない。




カズヤが険しい顔で呆れる。


「どうしろってんだ、こんなの」


手を叩きながら、愉しげに周囲を見回しているオルフェン。


「壮観だねぇ!」


「なんで嬉しそうなんだよ」


「なっはっは。

意味の分からない現実。観測対象としては最高じゃないか!」



オルフェンは眼鏡を軽く押し上げた。

灰色の瞳が、街をゆっくりと追っていく。


「誰の残響かも分からないものが、全部現実に混ざってる。

しかもそれが当たり前に街へと溶け込んでいる。誰も気にしない」



指先で空を示す。

そこには色とりどりの光の塊が、振る雪の中を飾りつけながら駆けていた。



「この街は今、世界の“記憶”でできているんだ!」



アマネがその言葉を聞きながら、街を見渡す。


炎の水路、空飛ぶ犬、戦場。

そして、笑いながら歩く人々。

それらは互いに干渉せず、ただただ同時に存在していた。



まるで世界が何枚もの歴史を、無理やり重ねて壊れてしまったかのように。

雪が静かに降り続いている、その白の向こうで。




――昨日が、壊れ続けている。




オルフェンの顔は愉しみに満ちていた。


「おーっと、いけないね。眺めるのは程々にして。

まずは拠点を確保しよっか。この街を識って、観測して――救う為にね」



雪の向こう。石造りの宿の看板が、かすかに揺れていた。




ここから――この街の、長い長い一日が始まる。

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