一章 第21話:泣けなかった声達と翔ぶ
【1】
断層地帯の付近。
草原の中央――
巨大な紋章の中心で、風が震え始めていた。
朝焼け前の空はまだ淡い藍色で、
しかしその色の奥底で、何かが生まれようとしている気配がある。
円陣を組む風詠み達。
その中心に――カズヤが立っていた。
緊張からか、胸の奥が焼けるように熱い。
息は浅く、鼓動がうるさいほどに高鳴る。
(……やるしかねぇ)
視線を上げると、すぐ目の前にはアマネ。
目線が交差し、互いの覚悟を共有する。
そして――メキースが短く宣言する。
(耐えてくれ……カズヤ君)
「――始めよう」
大地を這う風が震えた。
その震えが一斉に、カズヤへと収束する。
「〈災厄の残響〉をここに綴る――」
視界が暗くなり、世界が沈む。
何度聞いても慣れない、世界の悲鳴。
――助けて
――救えなかった
――失った
――奪われた
――間に合わなかった
――なんで私だけ
――なんであいつだけ
――なんで世界は
声が溢れ始める。
無数の叫びが、ひとりの青年の器に叩きつけられる。
そこでアマネが腕を掴んだ。
その手は震えているのに、温かい。
ほのかな白き光が灯る。
「大丈夫……!私もいる!」
「……ぐ…あぁ……!!」
さらに――メキースも近づいた。
声が重なり、諭すように、カズヤへ語りかける。
「カズヤ君。
君は痛みを見つける者であり、傷の存在を示す者だ」
内面に語りかけ、沁み込ませるように。
「君が照らすから、風はそこへ向かえる」
優しく、だが絶対に離さない声。
「だから、ここに立っていてくれ。
倒れるな。消えるな。
――君がここにいると、世界に刻み続けるんだ」
カズヤは歯を食いしばり、吠えた。
「――あぁぁぁああああああッ!!!」
風が裂けた。
空へ噴き上がる、感情の奔流。
黒く黒く、渦を巻いて、空を黒く染めてゆく。
災厄の顕現。
だが――足りない。
アマネの“何らかの力による抑制”が影響しているのか。
今、噴き上がっただけの風は、まだ“道”にはなっていない。
荒れ狂う感情は広がるばかりで、集束せず、定まらず。
ただ黒が空を染め、裂き、散っていく。
まるで、空そのものが拒むように。
まるで、この大地が告げるように。
災厄だけでは、届かない。
カズヤの喉が鳴り、腕が震えた。
このままでは、風脈には乗れない。
浮島へ渡る為の大風脈になりきらない。
(くそっ……!まだ……ッ!!)
アマネも、不安そうな顔でカズヤの腕を握り続ける。
だがメキースは、信じていた。
彼らが、必ず希望になると。
必死に災厄を綴ろうとするカズヤの背へ、
ひとつの気配が静かに触れた。
――痛みを抱えた“草色の少女”。
身を裂かんとする風を見上げ、逃げずに一歩を踏み出す。
その瞳の奥には、怖れもある。
けれど、それ以上に――決意があった。
(……私が、助ける………!)
小さな声が、確かな輪郭を持つ。
「――拾います……!」
⸻
【2】
ミレイは胸に手を当て、深く深く息を吸う。
小さく、清廉な声で唱える。
「〈裂声の残響〉をここに綴る――」
彼女の世界が静かになり、“声”が見える。
怒り。悲しみ。
悔恨。絶望。
生き残った罪悪感。
それらが痛みの粒子として、風に浮かんでいる。
〈裂声の残響〉――外典の記憶。
本当は叫びたかったはずの声を、自ら押し殺した、ある女性の悲哀の記憶。
叫びは届けられず、涙は声にならず。
胸の奥でだけ“裂ける痛み”となって残った。
この残響は、感情そのものを読むのではない。
抑え込んだ感情が生む〈歪み〉――精神が裂けた痛みを感知する。
故に、作られた怒りや、取り繕われた悲しみには反応しない。
あらゆる負の感情、
さらには本人すら自覚できない声にならなかった感情も、痛みとなってミレイに届く。
それは共鳴風にも乗らない、世界から零れ落ちた声。
ミレイはその痛みを手掛りに、埋もれた感情を拾い上げることができる。
「……みんな……泣いてる……」
視界が滲むほどの圧が、胸の内側から押し広げてくる。
ここには、叫べなかった声がある。
叫ぶことすら許されず、ただ風に溶け、忘れられた声がある。
それが、カズヤの災厄の奥底に沈んでいた。
ミレイは、唇を噛んだ。
痛くて痛くて仕方ない。
身が、心が裂けそうになる。
それでも――その指先は迷わない。
(こんなものを抱えている人に、
私は――酷いことを言ってしまった)
「痛みを感じるのは、弱さじゃない……」
ミレイは泣きそうな声で、しかし確かに言い切った。
「……私達が今感じていることは、ちゃんと、誰かの現実だった……」
ミレイの残響が、裂けた痛みを手掛かりにして、
世界から零れ落ちた声を拾い上げる。
怨嗟を。
慟哭を。
呪いにも祈りにもなれなかった感情を。
拾い、束ね。
燃料ではなく――あるべき感情として、風脈へ編み込んでいく。
カズヤの災厄の風は、散るのをやめた。
拾われた痛みが、黒い奔流の中心へ収束する。
「私が……叫びになれなかった声に、手を伸ばす……!」
それは“災厄”として、空へと書き起こされた。
拾い、抱き、包む。
彼女の周囲に、透明な光が集まる。
そして――ミレイは振り返り、叫んだ。
「皆さん!繋いでください!!」
円陣の風詠み達が、同時に構える。
風としてまとめられ、ひとつの方向へ固く束ねられていく。
⸻
【3】
轟音と共に大地が鳴り。
拾われた声が芯になり、
束ねられた災厄が形を持ち、風詠みの手がそれを縫い止める。
それら全てが重なって――
空へ巨大な風の柱が誕生した。
怒号のような風。
竜のように天へ伸びる流れ。
荒れ狂うのではない、貫いていくための嵐。
擬似的な大風脈。
全員が――その奇跡を見上げていた。
メキースが短く、力強く言う。
「さあ――皆、行こう!」
カズヤの身体から力が抜けた。
災厄を吐き出し尽くした喉。
燃え尽きた肺。心臓の鼓動だけが、遠い。
ふらついたカズヤの肩を、がしっと力強く支える腕があった。
「よくやったな、おい」
アインだった。
満身創痍のカズヤの体を支え、笑いながら軽口を叩く。
「〈災厄の残響〉、やっと見させてもらったぜ。
誇れよ。お前、最高にやばい奴だ」
「……お前……もうちょい無いのかよ……」
ハッと笑い、アインはカズヤを担ぎ上げる。
アインはそのまま、側のアマネへと声をかけた。
「んじゃ、こいつは借りてくぜ。姉御達を頼むわ」
「うん、任せて。
――気を付けて!!」
風艇が唸りを上げる。
草原の戦士達が飛び乗り、風詠み達がその背を押す。
大風脈に飲み込まれ、風艇が翔び立ち――
黒く染まった嵐の先、蒼い空。
草原の地から、戦いの空へ。
⸻
【4】
その場に残った者がいた。
ノエラとカムイ、ミレイ。
そして――アマネ。
黒い空を見送りながら、誰も言葉を出さない。
ただ胸に火を灯すように、その背を見つめていた。
ノエラが静かに笑う。
「……さて。
アタシ達も、アタシ達の仕事を始めよっか」
カムイが力強く腕を回す。
「うっす!こっちの準備も万端っすよ」
力を絞り切り、ぺたりと座り込んでいるミレイ。
胸元を押さえて誓う。
(……私もまだ、みんなの力にならなきゃ)
アマネは空を見上げたまま、そっと呟く。
「みんな、無事で――」
⸻
【5】
――同じ頃。
草原の端。
巻き上がる草葉の向こうから、無数の影が現れた。
部族の戦士達。鋭い眼差し。
背に弓。腰に刃。
その先頭に立ち――堂々と風艇を駆る女戦士。
風が歓喜のように、強く吹いた。




