一章 第19話:依存する風
【1】
夜、エルダレンの集落。
住居の明かりが草原に点々と灯り、
武具を整える音、革を縫う音、祈りの歌が静かに流れていた。
誰もが、それぞれの形で備えを進めていた。
アインとメキースは軽くつまめる食事を片手に、来たる決戦に向けての話をしていた。
戦いの舞台となるのはおそらく、筆聖が構える《ソリスタの聖壁》。
族長からもらった内部構造の資料をもとに、自分達がどのように動くか、綿密に話し合っていた。
集落の一角、厚い布に囲まれた簡素な住居。
机の上には資料の束と、断層を写した地図。
その前に、ノエラとカムイが向かい合っていた。
「――で、どう?天才技師さん。
共鳴風の異常、とっかかりは掴めた?」
ノエラが顎を乗せるように机に寄りかかる。
カムイは腕を組み、難しい顔をしていた。
「……まー少しずつは。
ただ、“どうやって”が、まだ全然見えないんすよ」
彼女は地図の一点を指した。
《ソリスタの聖壁》。
その直下から、断層の帯が広がる。
「原因はほぼ確定してるっす。
アークティアの“感情の綴り”。
多分、根本の原因は……」
言った瞬間、背筋が寒くなった。
その続きは、ノエラが紡いであげた。
「――アマネちゃん、なんでしょ?」
口をへの字で塞ぐ。
無言が、カムイの返答だった。
⸻
【2】
ノエラは少し黙り――やがて、静かに口を開いた。
重くなってしまった空気を切り替える気持ちも含めて、一つ話を振る。
「ねえ、カムイ」
「なんすか?」
ノエラは机の上の資料を、指でトントンと軽く叩く。
「アナタはどう思った?
このアークティアの人達を見てきて」
カムイが瞬きをする。
その響きは軽くない。
ただの感想ではなく、アークティアそのものへの問い。
カムイはむむっと少し考え――素直に答える。
「みんな良い人だなーって思いましたよ。
風を詠む文化って、ちゃんと相手を見ようとしてるってことで。
うちはその辺適当にやっちゃうとこあるんで……。
すごく良いもんだと思うっす」
ノエラは微笑んだ。
「そうね。アタシも同じ」
だが、その微笑みはすぐ消える。
「でもね――
話を聞いてて違和感、感じなかった?」
あの老人、コンラドに初めて会った時の会話。
『自分達の思いに嘘がないことを伝えられん。
相手が本当は怒っているのか、悲しんでいるのか、風で感じ取れん。
わしも、それが不安で仕方ない……』
ノエラは視線を落とし、言葉を選んだ。
「コンラドさんの話がずっと引っかかってたのよ。
皆、普通に過ごしてるから思い込んでたけど。
――風で感情を詠むなんて、アタシ達やったことある?
普通は“読めない”のが当たり前でしょ?」
カムイはハッとして口に手をやる。
「確かに――そうっすね。
相手の表情とか見て、なんとなく察するくらいしかできないかも」
ノエラは続ける。
「そう。なのに彼らは逆なの」
静かに、しかしはっきりと。
「“風で感情を詠めないこと”の方が、不安なの」
その言葉が、夜気に溶ける。
「外から来る観光客や商人は多いわ。
ご飯は美味しいし、景色は良い。人々は歓迎してくれる。
でも、彼ら自身はあまり大陸の外に出ない」
ノエラは苦笑した。
「……納得したのよ、正直。
ものすごく悪く言えば――」
エーテル灯が照らす影が、壁に揺れる。
「彼らはこの地で、“感情を詠むこと”に依存してる」
⸻
【3】
カムイは、ゆっくり目を閉じる。
「依存……っすか」
口に出すことで、意味が深まる。
依存とは――必要だから頼る、では終わらない。
なければ困る、ないと不安になるという状態でもある。
ノエラは、少しだけ視線を落とす。
「人は本来、分からないまま関係を作るものよ。
分かろうとして、勘違いして、ぶつかって。
それでも言葉や時間を重ねて……やっと、少しずつ分かり合う」
「……でも、アークティアは違うんすね」
「ええ。風で感情が届くのは当たり前。
共感することが、そのまま絆になっている。
それは一見、素晴らしいことだけど」
一拍置いて、言葉を選ぶように。
「裏を返せば――
感情が読めなくなった瞬間、分かり合えなくなる不安を強く感じてしまうのよ」
普通の会話が、思考の導火線となりうる。
「……そっか!!
そっかそっかそっか!!!!」
カムイの中で、理屈が――繋がった。
驚いてノエラが顔を向ける。
カムイの瞳が、はっきりと光を取り戻していた。
「感情ってのは分からないもので、揺らいで一定じゃないんす!
“共鳴風は本来、揺らぐのが前提”なんすよ!」
相手の理解を置いていく、
カムイだけが理解している意味合いの言葉。
机の上にペンを走らせる。
「揺れるのが当然の感情を、
常に読める状態に保とうとしてて――」
思考が声に乗って漏れる。
「感情ってのは揺れて移り変わるもんだから……、
人がいれば、増えるし、変わるし、混ざる。
でも今の共鳴風は……“どっかで止まってる”」
カムイのペンが止まらない。
「うちらがアークティアに来る前から異常は起きてた。
きっと“綴り”は単独で動くんじゃなくて、全部繋がってるんすね。
それだと理屈に合うし、仕組み的にも納得っす」
思考が溢れ出し止まらない。
「“存在の綴り”と同じで……、
共鳴風は、アマネ・チャペックの感情を読み取ろうとした。
でも何らかの原因、きっと残響が無いせいで読めなかった。
だから流れない感情、というか“固定された”エーテル位相ができた。
風が流れていかないから、風を詠むとその場で勝手に伝染する」
人に伝える気のない思考段階。
脳から口へそのまま出力された言葉。
だがノエラはそれを横で汲み取り、理解できていた。
口元に、僅かな笑みが宿る。
「それが、異常の正体ね」
「んじゃ、修復の鍵は――」
「「“固定を解くこと”」」
カムイの言葉に、ノエラも同じ言葉を重ねる。
カムイは相当驚いた顔をしたが、すぐに「うへへっ」と嬉しさをこぼした。
「感情の揺らぎを、取り戻さなきゃね」
「うす!
きっとアマネさんも、ミレイちゃんの力も必要っす」
ふたりは顔を見合わせる。
――留まってしまった風を、もう一度“流れる風”へ戻す。
それが、彼女らの戦う理由になる。
未来への道筋は、確かに見え始めていた。
⸻
【4】
住居の外。
荷物を届けに来ていたアマネは、ただ静かに立っていた。
中から聞こえた言葉が、胸の奥で何度も反響する。
――“アマネちゃん、なんでしょ?”。
責める声ではない。
それでも、痛みは確かにあった。
世界を傷つけている。
誰かの痛みに、ほんの少しでも関わっている。
それが事実だというだけで――
皆の優しさでは誤魔化しきれない痛みが、確かにあった。
ふと、別の声が蘇った。
『生き残った“責任”を、貴女もしっかりと果たしなさい』
胸に手を当てる。
「……やっぱり……苦しいよ」
誰にも聞こえない声で、小さく零す。
それでも、涙は落とさない。
泣いてしまえば、ここまでの歩みが止まってしまう気がして。
夜風が、彼女の髪を撫でた。
それは叱責なのか、慰めなのか。
今は、少しだけ冷たく感じた。




