一章 第6話:草原を駆ける舟
【1】
「なんだ、これ?」
アインが目を丸くして見つめていたのは、舟だった。
港の出口、草原の端にずらりと並べられているのは——小型の空飛ぶ舟。
《風艇》。
木製の船体には複雑な風紋が刻まれ、
底部には“風脈”を拾うための薄い翼板が左右に伸びている。
風とエーテルの流れを読み取り、
滑るように大地を駆ける、アークティア特有の乗り物。
「酒の席の冗談だと思ってたんだが……。
空飛ぶ舟って、ほんとに舟じゃねえか」
「ふぁふぁふぁ。
まあ初めて見た者は皆、驚くものじゃ。
今日の風脈は安定している。草原を駆けるには、良い日じゃて」
そこでアマネが首をかしげる。
「“風脈”っていうのに、乗る為のものなんですか?」
ミレイが、翼板を布で拭いていた手を止める。
「……風って、ただ吹いてるだけのようで、
実は大きな流れになってるんです。
海流みたいに、“道”みたいな筋があって――」
指先で草原の空気を掬うように、そっと動かす。
「アークティアでは、この“風の道”がとてもはっきりしていて……。
それを“風脈”って呼んでるんです」
コンラド老人が補足する。
「その道に舟の底を合わせると、風が舟を運んでくれる。
わしらは、それを掴んで移動しておるんじゃ。
“風の川”に浮いておるようなもんじゃな」
アインが感心した顔で息を漏らす。
「ほーん、なるほどな。
だからこいつ、舟の形してんのか」
ミレイは再び翼板へ視線を落とすが――
どこか、落ち着かない。
(いつもより、風がざわざわしてる……)
コンラド老人の方はもう一隻——少し大きめの風艇に手を当てる。
船体の脇には、揺れを抑えるための補助枠と、腰を固定する革帯が用意されていた。
「わしも若い頃は乗り回しておったんじゃがのお……。
腰を痛めてからは、ゆったり座ってしか乗れなくなってしまった」
ノエラは少し頭を下げた。
「そこまでして……わざわざ来てくださったんですね」
「長年愛したこの風を、わしも守りたいだけじゃよ」
⸻
【2】
風艇は三人乗りが限界のサイズ。
荷物を積めばなおさら余裕はない。
そこで一行は、自然に分かれて乗り込むことになった。
アインとノエラは同じ艇へ。
アインが操縦桿を握り、ノエラは荷物を抱えながら深いため息。
「操縦、任せるけど……大丈夫なの?」
「任せときなって姉御。俺が器用なの知ってんだろ?」
カズヤとアマネも二人用の艇に。
カズヤは少し緊張気味に操縦桿を握り、アマネは後ろから覗き込む。
「これ……浮くんだよな?」
「うん。風に任せれば道を作ってくれるって、ミレイちゃんが言ってた」
「道……なぁ」
最後に、コンラド老人は、揺れ止め枠の付いた広い艇へ。
ミレイが操縦桿を握る。
そこにカムイが同乗し、枠の固定具を確認しながら目を輝かせる。
「すっっご……!
風脈って、掴んだときだけ力を発揮するんすね!
だから人は普通に暮らせて歩けるし、舟だけが走れる。
これ推力が全部風脈になるよう設計されてるし。
へぇ〜〜!!機械と自然の合わせ技っすねえ!」
艇上でセカセカ、キョロキョロと動きペラペラと喋る。
「あ、危ないので…捕まっててくださいね」
「なんじゃこの娘は」
ミレイは息を吸って、精一杯の声を上げた。
「……出ます!
皆さん、私の風艇から離れないでくださいね……!」
号令は小さかったが、妙に背筋を伸ばす力があった。
⸻
【2】
三つの風艇は地面を離れ、
“風脈”に乗ってふわりと草原の上に浮かぶ。
地面すれすれの位置で風に乗り、勢い良く駆けていく。
朝の風は優しく、揺れはほとんどない。
「うわぁ……!」
アマネが思わず歓声を上げた。
遠くまで波のように揺れる草原。
黄金色の風が、海のように果てしなく広がっていた。
「すげぇ……こりゃ気持ちいいな……!」
カズヤの顔も、自然とほころんでいた。
しかし——
その穏やかさは長く続かなかった。
数時間後。
風艇を操作するカズヤもアインも、
風脈に乗る感覚を掴み、ある程度操作感に慣れてきた頃。
何かの気配に気づいたアインが、
艇の速度を突然上げ、進路を斜めに切り替える。
ノエラも異変に気づき、声を上げる。
「……アイン、どうしたの!」
「気づかねえかい?姉御。
こっちを見てる妙な気配だ」
ミレイも、風の変わる気配を読み取ったのか、小さい身体で一生懸命声を上げる。
「風が……乱れてます!
誰かが意図的に、風脈の流れを変えました!」
その直後。
丘の影から“煙矢”が数本、
風艇の進路を遮るように放たれ、地面へ突き刺さった。
爆発こそしないが、激しい黒煙を上げて周囲の風脈を乱す。
「おい、ありゃなんだ!?」
カズヤが叫ぶ。
コンラド老人の目が細くなる。
「あの旗……“渓谷の部族”の!!!」
そして黒煙を切り裂くように、槍を構えた風艇が突進してきた。
⸻
【3】
煙矢が撒き散らした黒煙が風脈を乱す。
三艇の軌道がぐらついた。
「全員、速度落とせ!!」
アインが叫び、操縦桿を強く引いた。
風艇が一度沈み、別の風脈に乗り換えるように滑り込む。
“渓谷の部族”の風艇。
乗っているのは、部族の戦士のような風体。
彼らが槍を前に突き出して迫ってくる。
その軌道は荒い。
だが煙矢で風脈を乱した上での突撃は、落とす気満々のやり口だった。
カズヤの艇が揺れ、胃がひゅっと持ち上がる。
「うおっ……!」
「大丈夫!?カズ——」
アマネが言いかけた、その瞬間。
アインの艇が、風脈を“踏んだ”。
グン、と風が鳴る。
水面を蹴った舟のように、アインの風艇が跳ねて加速した。
「おぉらぁ——ッ!!!」
アインは真正面で受けない。
相手の突撃角度に斜めに入り、すれ違いざまに翼板で風を切った。
ガギィンッ!!
風圧が刃のように走り、相手の艇がバランスを崩す。
槍を構えた戦士がよろけ、操縦桿にしがみつく。
「なっ…にぃ……!?」
二艇目がカズヤの方へ、流れ弾のように寄ってくる。
だが、ミレイが小さく指を握った。
「……そっち、風脈が抜けます!!落ちる」
「抜ける!?!?
だー!分かんねえ!!勘だ!!」
声を聞いたカズヤは混乱しながらも反射で操縦桿を引き、
風艇を“風の薄い層”から外す。
直後、二艇目は煙の乱流を掴んで失速し、ぐらりと沈む。
「ぬうぅッッ!」
渓谷の戦士の艇の翼板が、乱れた風を掴んでしまう。
艇は完全にバランスを崩し、そのまま地面へ落ちていった。
見事な操縦、偶然がありつつも鮮やかに撃退。
コンラド老人も目を丸くした。
「あ、あの若造ども、ほんとに初めて乗ったんか?」
カムイもやや呆れ顔で呟く。
「運動神経良いって羨ましいっすねえー」
渓谷の戦士は驚いた表情のまま、草原へと転がっていた。
アインは上昇の風脈へ一気に乗り換え、戦場の“高さ”を取った。
上から見下ろし、艇全体で圧をかける。
「まだ、やるかよ?」
渓谷の部族の戦士達は一瞬ためらい、
そして——怒りで震えながら顔を歪めた。
⸻
【4】
戦士達が大声を荒げる。
「か、風が狂ったのは……お前ら草原の民のせいだ!!」
「浮島と結託したんだろ!
“共鳴風”が荒れたのも、お前らのせいだ!!」
別の者も続く。
「俺の友人の集落も、この風のせいで滅んだ……!
全部、お前達が呼んだ風だ!!」
怒りと恐怖と、決めつけ。
その強い負の“感情”が、
風に乗って滲み出ているのをミレイは感じて、うつむいた。
「…っ…痛い……」
「だ、大丈夫っすか?ミレイちゃん」
カムイがミレイの肩にそっと手を置く。
コンラド老人が声を張りあげる。
「違うわい!
《エルダレン》も、《カレッシャ》も、《ファルティア》も——
同じ風の上で生きる民じゃ!
誰も、争いを望みなどせんわ!」
しばし沈黙——そして戦士は舌打ちをして背を向けた。
「……覚えておけ。次は容赦しない」
警告を残し、渓谷の部族達は草原の影へと消えていった。
⸻
【5】
嵐のような緊張が過ぎ去ると、
草原の風は再び穏やかさを取り戻した。
一行は風艇を一旦降りて集まった。
ノエラは、遠く草原の端を眺めながら呟く。
「さっきの奴ら。
“渓谷の部族”とか言ってたわね…何が起きてるの?」
その問いに、コンラド老人が腕を組んで答える。
「……アークティアには、三つの部族がおる。
我々、草原の《エルダレン》。
浮島に住む《ファルティア》。
先ほど襲ってきたのが、渓谷の《カレッシャ》。
長い間、互いを支え合い、風を分かち合っておった」
「それが、状況が変わった?」
「うむ……。
草原と浮島は協力し合って文化を育て、
渓谷は独自の土地と風を守ることで、互いの距離を保っておった。
昔、“ある事件”が起きるまではな……」
話を聞いていたカムイの表情も険しくなる。
「“ある事件”って、なんすか?」
「今回と似ておる。
共鳴風が暴走して、大きな争いが起きた。
特に被害を受けたのが、渓谷でな……」
遠くを見る目の奥に、当時の惨劇を映した。
「——とにかくじゃ。
渓谷の部族……《カレッシャ》は、
災いの中心が草原だと信じ込んでしまっておる。
最近、こういう襲撃が増えているらしくてな」
「なるほど……。
メキースがアタシ達を呼んだ理由、だいぶ見えてきたわね」
「ああ、残念じゃが。
今は先を急ぐとしよう。
草原の道は、まだまだ続いておる」
痛みから立ち直ったミレイが、柔らかく微笑む。
「……行きましょう。
風はまだ、私達を運んでくれます」
三つの風艇は再び並び、
草原を渡る風を切って進んでいく。
不穏な影を落としつつも、
アークティアの旅路は、静かに――
しかし確実に、彼らを次の運命へと運び始めていた。




