第25話:祈りの灰が落ちる時
【1】
綴り層には――灰が降っていた。
祈り子像の十体は静かに俯き、
儀式が完了したことを示すように、淡く輝いていた。
その中心で、筆聖グレースが静かに目を閉じている。
「――終わりました。
貴方達の魂は、灰へと還るのです」
――カチッ
音がした。続いて駆動音。
細かな歯車が狂ったように回転しているような音。
内部の金属球が淡く光を帯びる。
グレースはその気配を察知し。
見据える先にあるのは。
祈り子像の一体、その傍ら。
灰に溶けかけている身体で、不敵な笑みを浮かべる者。
「……うちのこと、見てなかったっすよね。筆聖」
⸻
【2】
僅かに前。
祈りが完成する直前。
彼女は震える指で何かを抱えていた。
(……っす……間に合え…間に合え…!!)
カズヤとアマネが消えていく光景に、彼女は――
カムイは、涙を浮かべて必死に手を動かし続けた。
(うちが…うちが助けるんす!
アマネさんも、カズヤさんも!やれるのはうちしかいない!)
論理は揃っていた。
アマネという定義外の存在。
綴り層に到達することで観測できた、“存在の綴り”の仕組み。
消失現象が起きる時に現れるエーテル位相。
だが、ピースが一つ分だけ。
“対象に消失現象を引き起こすための接続手段”だけが欠けていた。
彼女は、それを無理やりにでも埋めることができる。
〈機環の残響〉――それは、記憶と論理を繋ぐ歯車の歌。
「〈機環の残響〉をここに綴る――
“論理が揃ってるなら、無理筋でも通る!”
これこそうちの……技師としての残響っす!!」
⸻
【3】
空気がねじれる。
祈り子の像達が一瞬だけ揺らぎ、グレースが目を見開く。
「……まさか……!!」
カムイは誇らしそうに笑顔で語る。
「祈りは、“十体揃って初めて成立する”っすよね。
つまり一体でも欠ければ、全部無効っす!」
グレースの表情に初めて焦りが走る。
「祈りの存在定義そのものを……!」
「そうっす!
像の存在を消す!
存在消失現象を“模倣”した、無理筋の一手!!」
カムイが高らかに吠える。
「《消えるちゃん》!!やってやれっすー!!!」
金属球の内部から、エーテルの鎖が幾重にも伸びる。
祈り子のうち一体へと絡みつく。
祈り子が、まるで影だけを切り取られたように薄れていく。
「……ッ!?」
想定外の事態に、グレースが驚愕を露わにする。
祈りの回路が“一体欠けた”ことで、
完成していた祈りは再び不完全になった。
それはつまり。
――灰となって消えたはずのふたり。
カムイが叫ぶ。
「ふたりともー!!!
決めてくださーーーーい!!!!!」
崩れ、砕けたはずの声が、形を持って還ってくる。
「大丈夫。私も、一緒に受け止めるよ」
「……ああ、頼む」
「「〈災厄の残響〉をここに綴る――」」
二人は目を合わせ、放つ。
「――俺達は!!!!」
「――生きる!!!!」
白き風が再び綴り層に轟く。
しかしそれは、僅かな優しさも含んでいた。
不意をつかれたままに撃たれる強靭な風の圧。
詩篇を織り成した反動に引き摺られる肉体。
――グレースは吹き飛ばされ、激しく壁に叩きつけられた。
筆聖の紋を施された剣が、手を離れ、遠くへ。
寂しく音を響かせ、ただ落ちていき――折れた。
祈り子の像は、天へ虚しく祈りを掲げたまま、灰へと溶けていった。
戦いの終わり。
アマネは膝をつき、震える声で呟いた。
「……カムイさん……ありがとう……!」
カムイはその場に座り込む。
「ふ……ふへ……。
普段寝てないのが…役に立ったっすね……」
カズヤも膝をつき、笑う。
「ああ…!最高だ……」
⸻
【4】
立つのもやっとのアマネとカムイ。
ゆらっと立ち上がり、その前に歩み出たのは――カズヤだった。
血と灰まみれの姿で、しかし真っ直ぐに。
壁にもたれ、倒れているグレースの眼が、細く開いた。
「……負けてしまう…とは。
……私も随分…老いましたね」
重い身体を引き摺り、カズヤは首を振る。
「勝ったとか……負けたとかじゃねぇよ」
彼は剣を下ろし、静かに、しかし深く息を吐いた。
ずっと考えていた、グレースに言わなければならないこと。
「あんたらのやってることは、正しいんだろうよ」
アマネとカムイが、一瞬息を呑む。
グレースもまた、わずかに目を見開いた。
カズヤは続ける。
“焚き火の集落”を支えるダンのことを、頭に過ぎらせながら。
「“構造”って…言ってたよな。
大勢を守るのも、その中で誰かが沈むのも――仕方ねえってことは分かる。
あんたらの理屈は正しい」
そして、はっきりと言い切った。
「――でもな」
風が、綴り層でざわりと揺れる。
「沈んでいく奴に、手を伸ばさねぇなんて……。
俺は、そういう生き方を選ばねぇ」
「…………」
「俺は外典でいい。
あんたらが“救わない”って決めた人間を……片っ端から俺が救ってやる」
その言葉は、筆聖の沈黙した世界にひびを入れるようだった。
グレースは、痛みに震えるまぶたを閉じた。
「ふふ。
外典とは、いつも……世界を乱す者……そういうことですか」
カズヤは微笑した。
「――ああ。乱させてもらう。
生きたいって叫んでる奴の為なら、いくらでもな」
アマネがその背中を優しく見つめた。
カムイもまた、グレースへ声をかける。
「筆聖…先に謝るっす。ごめんなさい。
綴りを書き換えるのがマズいってこと……。
確かにその通りだと、うちも思います」
グレースは黙って、言葉に耳を傾けていた。
「でも…異常が起きた時に、
また同じことが起きないようにするのが、技師の務めだと思うんす。
認められないことだとしても、ちゃんと説明して。
いつか“正しいことをした”と言ってもらえるって…うちは信じてます」
グレースは慈悲をもって、ゆっくりと頷く。
「そうですか…。
では技師として、責任を持っておやりなさい。
……見届けましょう」
灰の祈りは途切れ、綴り層には“四人の息づかい”だけが残っていた。
存在を賭けた戦いが、今ここに、一つの決着を迎えた。
だがまだ、終わっていない。
カズヤ達がここへ来た本来の目的。
最後の大仕事が残っていた。




