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茨に咲く君と  作者: 奏多
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第十話

 月みたいな色の髪を持つ人は、祭司府の庭園にいた。


 緑の葉が茂る茨の垣根の前で、ぽつりぽつりと咲いた白い花を見つめている彼は、真昼の月みたいに希薄な雰囲気を感じさせる。

 案内をしてくれたグレブ司祭にお礼を言い、アーシャは茨の垣根へ近づいた。

 祭司府の建物から庭へ続く石畳の小道をそれて、土を固めただけの道へ踏み込む。


「昔々、とんでもない残虐な王妃様がいたんですって」

 アーシャの声に、彼が振り向く。


「王妃様はなんでも自分の思い通りにしたくて、王様を戦場で暗殺させ、前王妃の産んだ王子も幽閉し、自分が女王になってやりたいほうだいだった。その王妃を倒して再建したのがアロイス王国よね?」

「間違いない」

 答えたエクレシスは、一度目を閉じ、それから落ち着いた調子でアーシャに尋ねた。


「君は歴史を確認しに来たのか? 調べたいのなら史書館が……」

「いいえ」

 アーシャは首を横に振った。


「せっかく思い出したのに、どうしてあなたがあたしに何も言ってくれないのかと思って。あの子は……あなたの前世なのね? エクレシス」

「アーシャ……」

 エクレシスは表情をゆがめる。それでも月のように怜悧な彼の顔は、綺麗だった。

 あの真っ暗な塔の中でも、月の光を浴びて煌めいてたみたいに。


「思い出さなくても良かったんだよ、あんな事」

 彼はその言葉で、前世で見た月色の髪の少年が自分だと肯定した。

 アーシャは首を横にふってみせた。


「どうしても確かめたかったの。あたしがここに昔いたこと。この小さな塔に閉じ込められていた人のことを確かめたかったの」

 だからごめんね、とアーシャは続けた。


「あたしが思い出すのを怖がってばかりいたから。だから言えなかったんでしょう?」

 本当はエクレシスもアーシャに言いたかったはずだ。前世で最後まで一緒にいた自分を覚えて居るかと。思い出してくれないかと。

 けれどそれができなかったのは、アーシャが前世を怖がっていたせいだろう。

 アーシャがそう言うと、エクレシスは首を横に振る。


「いいや。まだ子供だったのに、目の前で人を殺されたあげく自分まで刺し殺されたんだ。ただでさえ戦乱時に死んだ人は昔の記憶を怖がることが多い。だから君もそこは思い出さない方がいいとは思ったんだが……結婚のことがあったから」

 そしてエクレシスは小さく笑う。


「それが君を守ることになるなら、と思って嫌がっているのがわかっていて審判を受けさせた」

 エクレシスは王宮に閉じ込められたアーシャを、守ってあげたいと願ってくれた人だ。


「思い出しもしなかったあたしなんかのために、一人で約束を守らせて、ごめんなさい……」

 言葉を紡ぐほど、感情が高まって声が震えていく。

 涙がでそうだったからうつむいた瞬間、アーシャは抱きしめられた。


 もう二人の間に鉄格子はない。けして這い上がれないような高い壁もない。茨で刺した傷も癒えた。

 自分達は自由なんだ。

 思った瞬間、アーシャは心の奥で何かが溶けてゆくのを感じた。


「もう一度会えて、君が元気に生きていることを知って嬉しかった」

 アーシャもうなずいた。


「あたしも、会えて良かった」

 一度身を離して見つめ合い、今度はしっかりと両手をお互いに握る。

 その約束が叶ったのだと、確かめるように。


「あの頃は」

 ふとエクレシスが言う。


「塔の窓から見えるのは、茨の蔓と空だけだった。けどその茨はなかなか見える場所に花を咲かせなかったから。変化するものといったら、小さく見える空だけだった」

 彼は握りしめたアーシャの手に、おじぎするようにして額をくっつける。


「君が来て、顔を見せてくれるたびに、茨に咲いた花みたいに見えたんだ」

 花のようだと言われて、アーシャは恥ずかしくなって思わず手を離そうとしてしまう。

 が、エクレシスがきつく握りしめていたので、それはかなわなかった。


「司祭様?」

「君はこのまま帰るんだろう? 弟みたいな山羊が待ってる場所に」

「う、うん」

 とにかく無事治まったことを両親に知らせたかった。今頃気をもみながら待っているだろうから。


「私が会いに行っても構わない?」

 会いたいと思ってくれている。そのことを知って、アーシャは顔が熱くなる。


「いいけど、忙しそうだからあたしの方が会いに行くわ司祭様」

 思わず言ってしまってから、アーシャは気付いた。これでは自分も会いたいのだと教えてしまったようなものだ。

 慌てるアーシャとは違い、エクレシスは目を細めて微笑んでいる。


「では、次に会う時は『司祭様』ではなく、エクレシスと呼んでくれるように練習しておいてほしい。もう、審判は終わっているのだからね」



 それから一時間後。

 アーシャは再びロンハの馬車に乗りこんでいく。


「……よいのですか?」

 まだ馬車に乗車していなかったグレブ司祭が、エクレシスに尋ねた。


「どうして?」

 尋ねたエクレシスに、グレブ司祭が困ったような表情になる。 


「アーシャ殿に聞きましたが、かような別れ方をされた縁者ならば、もう少し側でお話しされたいと思ったのですが」

 彼女を思って、祭司王の誘いまで蹴ろうとしていたエクレシスだ。グレブ司祭はエクレシスが前世から深く彼女を思っていると考えたのだろう。


「一度は家族の元へ返してあげなくてはならないよ。私も彼女も、前の時代には家族の側にゆっくりといられなかったから。そうした時間を取り上げたくはないんだ」

 ただ、と付け加える。


「すぐに迎えに行くつもりだから」

 約束を思い出してくれた彼女は、笑ってエクレシスを迎えてくれるだろう。

 アーシャの審判の処理が残っているから、一時手放すだけだ。


 エクレシスは空を見上げた。

 あの頃見ていたのと、変わらない澄んだ空の色を。

 ようやくこの空の下を、彼女と手を繋いでいつまでも歩けるのだ。

 物思いにふけっているうちに、彼女達を乗せた馬車が走り出した。

 あまりずっと見ていても、少し切なくなりすぎる。そう思って立ち去ろうとしたエクレシスは、アーシャの声に振り返った。


「エクレシス様!」

 窓から身を乗り出したアーシャが手を振っている。


「まっててくださいね、すぐ行きますから!」

 エクレシスは思わず笑った。


 この様子では、明後日あたりに訪問したらアーシャは目を丸くするだろう。

 その顔を見るのが今から楽しみだと思ったのだった。

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