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うさぎ君は口寂しい  作者: 川合 佑樹


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第10話

 放課後のチャイムが鳴り、校舎に静けさが訪れた。

 あかりは手芸部を一人切り盛りしていた。

 机の上に広げた生地を針で縫っていた。

 髪を耳にかけながら、ため息をついた。

 部室は静かでちょっと寂しかった。

 でも、今日は違った。

 扉がノックされ、ゆうとみおが顔を覗かせた。

「あかりさん、失礼します……」

 少年の髪が夕陽に染まり、瞳が少し揺れた。

 みおは片手を挙げ、笑った。

「よっ、あかり」

 あかりは針を置いて立ち上がり、席を勧めた。

「まあ、入って。手芸部なんて、誰も来ないんだから……」

 三人は小さなテーブルを囲んだ。

 部室の空気が少しだけ甘く張りつめた。

 だがあかりの視線は少年に固定され、ぱっと鋭くなった。

 彼女は少年の前にドカッと座り、腕を組んで睨みつけた。

「あんた、みおともキスしたそうね」

 みおが慌てて手を振った。

「あれは仕方なかったんだよ! 兎化したゆうを戻すのにさ……事故みたいなもんだから!」

 顔に少し照れが混じった。

 あかりはみおを一瞥し、一喝した。

「黙ってて」

 少年に向き直った。

 少年はバツが悪そうに瞳を伏せ、小さな声で答えた。

「……はい。ごめんなさい、あかりさん」

 肩が少し縮こまった。

 あかりはため息をつきながら続けた。

「いくら王子様だって、こうあっちもこっちも手を出されると、学校の風紀が乱れるのよ。少しは節度を持ちなさい」

 少年の表情が悲しげに曇り、瞳がうるみ、唇を噛んでしょんぼりした。

 まるで叱られた子兎のように体を小さくした。

「……すみません。僕、みんなに迷惑かけてばかりで……」

 みおはそんな少年を見て胸を痛め、フォローに入った。

「まぁ、俺もあかりも事故みたいなもんだから、いいじゃないか。ゆうの体質なんだし、誰も怒ってないよ」

 明るく肩を叩いた。

 あかりはギロッとみおを睨みつけ、尖った視線がみおを射抜いた。

 でも少年のしょんぼりした顔を見ると、心臓がきゅっと締めつけられ、放っておけない気持ちが胸に広がった──こんな顔されたら。

 口が勝手に動いた。

「……特訓」

 少年がぱっと顔を上げた。

「特訓……ですか?」

 あかりは慌てて顔を反らし、頰を少し赤らめて返した。

「特訓するわよ。あんたのその体質、女性に耐性がないままじゃどんどん被害者……じゃなくて、キスする人が増えていくじゃないの。学校生活成り立たないわよ」

 言葉が少し上ずった。

 みおの目がにやっと細まった。

「特訓って、何するんだ? 面白そうじゃん」

 好奇心がぴりぴりと空気を刺激した。

 あかりは視線を逸らし、指を組んで考えた。

「それは……その、わかんないけど。手を繋いだり? とか……ハグの練習とか? 少しずつ慣らしていけば、耐性つくんじゃないの?」

 声が小さくなり、夕陽の赤みが頰に重なった。

 みおはくすくすと笑い出した。

「あかりって、意外と初心なんだな!」

 からかうような視線を投げた。

 あかりの顔がぱっと爆発的に赤くなった。

「な、何よそれ! 初心って……ばかっ!」

 みおの言葉が、あかりの心に軽く棘のように刺さった瞬間──みおの視線はすでに少年に移っていた。

 彼女の瞳には、いつもの明るい悪戯心と、少しだけ優しい光が混じっていた。

 部室の空気が、夕陽に染まりながら、微かに甘く、重く変わっていくのを感じた誰もがいた。

 みおはゆっくりと身を寄せ、少年の頰にそっと手を当てた。

 その掌は、スポーツで鍛えられた力強さを持ちながらも、温かかった。

 少年の白銀の髪が、みおの指先に軽く触れた。

 みおの指先が少年の頰をなぞった──大切なものを確かめるような触れ方だった。

「それくらいなら喜んで協力しようじゃないか」

 みおの声は低く、甘さが混じった。

 いつもの元気なトーンが抑えられ、耳元で囁くように落ちてくる。

 その息遣いが少年の耳をくすぐった。

 みおの唇が弧を描き、瞳が少年を捕らえる──そこには遊び心と本気の優しさが溶け合っていた。

 もう片方の手で、みおは少年の指をゆっくり絡め取った。

 少年の指はガラス細工のように繊細だったが、みおの掌はそれを優しく包み込んだ。

 温かな感触がじんわり染み渡り、指が絡みつくように重なる。

 その動きは恋人の約束のような甘さだった。

 少年の脈拍が伝わり、互いのリズムが同期していく。

「どうだ? これでもドキドキするか?」

 みおの声はさらに低く響いた。

 耳元で囁く息が首筋を撫で、羽のように心をくすぐった。

 みおの瞳が少年の反応をじっと見つめ──少年の心を試す深い優しさが宿っていた。

 少年は目を見開いた。

 みおの指の温もり──絡みつく感触と耳元で囁く声が重なり、世界が歪んだ。

 頰の掌の熱が肌を溶かし、指の絡み合いが鼓動を加速させる。

 視界が揺れ、息が浅くなり、胸で嵐が巻き起こった。

 みおの汗とシャンプーの混じった香りが本能を刺激した──だめ、我慢できない……!

 体が熱く震え、耳が疼き、視界が霞む。

 ぽょんっと、可愛らしく、しかし切ない音とともに、少年の体は再び兎に変わってしまった。

 白銀の毛並みが夕陽にきらめき、長い耳がピクピクと震え、慌ててみおの掌の中で縮こまった。

 小さな瞳が恥ずかしさと戸惑いで潤み、前足がみおの指を弱々しく掴む──その姿は、まるで守られたいと訴えるような、愛らしい無防備さで、部室の空気を一瞬で甘く、熱く変えた。

「あちゃー……」

 みおの声が苦笑に変わり、少年を持ち上げた。

 あかりは目を丸くして立ち上がった。

「何してんのよ、あんた! いきなり触ったら、そりゃ兎化するわよ!」

 部室の空気が一気に熱くなった。

 みおは照れを隠すように少年を抱き寄せた。

「じゃあ、戻すよ……」

 キスをした。

 小さな兎の口先に、唇が触れた。

 淡い光が少年を包み込んだ。

 あかりは慌てて目を反らした──またキス……みおの奴、平気で……!

 光が収まり、少年の体が人間の姿に戻った。

 みおの腕の中で少年が息を弾ませ、少年は慌てて服を着直した。

 髪が乱れ、恥ずかしげに伏せた。

 みおは天井を見上げて手を広げた。

「今回は何も見てないからなー。安心しろよ、王子」

 声にからかう響きが混じった。

 あかりの眉がぴくりと動いた。

「今回は、って何よ!? あんた、何見たのよ!」

 みおは上目遣いにあかりを見てにやっと笑った。

「あかりが見たものと一緒だと思うぜ」

 言葉に意地悪な優しさが光った。

 あかりはあの保健室の光景を思い出し、少年の無防備な姿にぱっと俯いて赤面した。

「う、うるさいわよ! 忘れなさいよ、そんなの!」

 机に突っ伏した。

 少年はようやく着替えを終え、息を整えて立ち上がった。

「……前途多難ですね」

 自嘲の笑みを浮かべ、視線を二人に巡らせた。

 あかりはむくりと顔を上げた。

「あんたが言うな! 特訓明日から本気でやるんだから。覚悟しなさいよ、バカ王子!」

 言葉に棘があったけど、眼差しの奥に優しさが宿った。

 部室の夕陽が三人の影を長く伸ばし、笑い声が小さく響いた。


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