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うさぎ君は口寂しい  作者: 川合 佑樹


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第1話

 陽光が差し込む女子高の講堂は、夏休み明けの始業式の活気で満ちあふれていた。

 数百人の女子生徒たちが、制服のスカートを揃えて座っていた。

 壇上には校長が立っていた。

 黒髪をすっきりと後ろでまとめ、シャープなスーツに身を包んだ彼女は、キャリアウーマンそのものだった。

 鋭い眼差しで会場を見渡し、唇に微かな笑みを浮かべる姿は、ただの校長ではなく、ビジネス界の女王のような存在感を放っていた。

 その後ろに、肩をすぼめた少年が立っていた。

 それが、宇崎ゆう(うさぎ ゆう)だ。

 月の王国の第三百四王子で、月兎人の留学生。

 編入してきたばかりの、十六歳の可憐な少年だ。

 白銀の髪が肩までさらりと流れ、赤い瞳が不安げに震え、白い肌が照明に透けて見えた。

 小柄な体は、精巧な人形のように華奢で、月での静かな生活を思わせる穏やかな気品を湛えていた。

 ざわめく生徒たちの視線が、次第に少年に集まった。

 ささやきが波のように広がっていった。

「あの子、誰?」

「留学生だって聞いたよ、月から来たとか……マジ?」

 校長が、壇上のマイクスタンドに口元を寄せ、凛とした声で宣言した。

「皆さん、本日より転入してきた、宇崎ゆうくんです。月から来た月兎人の留学生です」

 校長が言葉を継いだ。

「皆さんも耳にしたことがあるかと思いますが、月兎人の文化では、若き王子たちが異文化交流の一環として地球を訪れ、時には良き伴侶を探す旅に出ます。ゆうくんも、そんな伝統を胸に、この学校を選んでくれました。でも、皆さん、くれぐれもお忘れなく。私たちの学校はあくまで学びの場。彼らの常識では十五歳から家族を築くのが普通だそうですが、地球のルールではまだまだこれからです。不純な行為は控えめに──いえ、厳禁でお願いしますね。ゆうくんを温かく迎え入れ、共に素晴らしい青春を過ごしましょう」

 校長の紹介が終わると、束の間の沈黙が訪れた。

 その直後、生徒たちの間で小さな嵐のような囁きが弾け始めた。

「え、お嫁さん探し!?」

「王子様だって……本当?」

 熱狂の渦が巻き起こった。

 彼は、後ろでますます肩を落とし、耳を熱くしていた。

 その眼差しが、無防備で庇護欲を掻き立てるような危うい魅力に満ちているのを、少年自身も感じ取っていた。

 無数の視線が自分に刺さるように感じ、彼は思わず指先でズボンの裾を弄った。

 顔を上げると、生徒たちがきらめく眼差しでこちらを凝視していた。

 ある生徒が手を振ってくれ、別の生徒が囁き合っていた。

 温かくて怖く、でもどこか心地よいこのささやき。

 校長が少年に目を向け、手を差し伸べた。

「さあ、ゆうくん。一言、皆さんに挨拶をどうぞ」

 少年は息を整えてマイクスタンドに近づいた。

「あ……皆さん、はじめまして。宇崎ゆうです。月から来ました。えっと……この学校で、たくさん学んで友達になって……よろしくお願いします」

 拍手が巻き起こった。

 生徒たちの歓声が、彼を包み込んだ。

「かわいい!」

「がんばってね!」

 優しい声が重なった。

 彼は、心の底で小さな喜びが芽生えるのを察した。

 地球のこの場所は月とは違い、活発で予測不能だった。

 でも、きっとここで出会う誰かが、自分の運命を変えてくれるのかもしれない。

 校長の優しい視線が少年の背中を後押しするように感じられ、彼は息を漏らした。

 新しい一日がこんな風に始まるなんて──拍手が徐々に収まり、空気が穏やかに落ち着いていった。

 校長が彼に寄ってきた。

 ──あ、校長先生……。

 少年は思わず息を飲んだ。

 彼女の存在感は圧倒的で、凛とした肩線がビジネス界の女王を思わせる一方で、腰から裾にかけてのしなやかな曲線が、静かな誘惑を湛えていた。

 スーツの生地が体に寄り添うように張り、ほのかに強調される稜線が、月兎人の繊細な感覚を容赦なくくすぐった。

「ゆうくん、学校生活、楽しんでね」

 校長の声はマイクを通さずとも伝わり、少年の耳元で囁くように届いた──その響きは、絹のような優美な波紋を広げ、静かな空気さえも甘く震わせるようだった。

 その言葉が彼の体を覆い、校長の手が少年の小さな手に触れた。

 心地よく滑らかで、ほのかにフローラルな香りが漂った──熟れた花弁が朝露に濡れるような、静かで深みのある心地よい温もりで、彼の鼻腔をくすぐり、胸の奥にまで染み渡る。

 女性の──それもこんなに美しい母以外の大人の女性の手に触れるなんて、少年の人生で初めての経験だった。

 まさに今。

 校長の指が彼の指を覆った──その指先はしなやかで、しかし芯の通った温もりを湛え、少年の指を包み込むように絡みつき、布地越しに微かな脈動が伝わってきた。

 ──あ……っ。

 安堵の溜息が極度の緊張と混じり合った。

 女性への耐性の無さ──それは月兎人の血がもたらす敏感で脆い本能だった。

 校長の眼差しが少年の心を貫き、ドキドキを倍増させた。

 胸のざわめきが一気に加速し、体が激しく震わせ、視界がぼやけ、耳がビクッと反応し、背中から白銀の毛がふわりと広がる感覚がした。

 ──だ、だめ……今、ここで……!

 その直後、壇上の卓の上にぽんっ、という可愛らしい音が響き、彼の姿が瞬時に消えた。

 代わりに、そこにいたのは手のひらサイズの真っ白な兎だった。

 毛並みが照明にきらめき、長い耳がピクピクと震え、慌てふためいてキョロキョロと周囲を見回した。

 小さな前足で卓の縁を掴み、尻尾をぴんと立てた。

 逃げ出そうとするその姿は、まるで精巧なぬいぐるみのようだった。

 短い沈黙が張りつめた後、生徒たちの間で驚きの悲鳴と笑い声が爆発した。

「ええっ、兎に!?」

「かわいすぎる……本物の兎さん!」

「王子様が兎化しちゃったよぉ!」

 生徒たちが立ち上がり、壇上を指差してキャーキャー叫び、スマホを構えて写真を撮ろうとした。

 ざわつきが彼を狙うように高まり、声が爆発した。

「キャー! 触りたい!」

「兎さん、こっちおいでー!」

 黄色い悲鳴と笑い声が交錯し、嵐の前の花火のようだった。

 その音のうねりが少年の小さな耳をビリビリと震わせた。

 瞳が大きく見開かれ、びくんっと体が跳ね上がった。

 壇上からぴょんと飛び降り、風を切り、壇上の卓を駆け抜けて床に着地した瞬間、四つん這いで全力疾走した。

 長い耳を後ろに倒し、小さな尻尾をビクビクと振って講堂の通路を突き進んだ。

 たちまち大混乱に陥った。

 生徒たちが立ち上がり、椅子がガタガタと倒れ、ある生徒が転んで叫んだ。

「あ、逃げた!」

「追っかけよう!」

「待ってよ、ゆうくん!」

 祭りの行列のように壇上から客席へ波及し、スマホのシャッター音がパチパチと鳴り響いた。

「兎王子、捕まえろー!」

 ある生徒が冗談めかして叫び、笑い声がさらに増幅された。

 校長は目を大きく見開いて壇上で立ち尽くした。

 いつも完璧な仮面がわずかに崩れ、頰に珍しい紅が浮かんだ。

 マイクスタンドに急ぎ寄り声を張り上げた。

「え、ええと……皆さん、落ち着いて! 集会は……集会は終わりです! さ、さあ、席に戻って……!」

 時すでに遅しだった。

 校長は額に手を当て息を漏らした。

 そんな大混乱の只中、彼は必死に出口を目指して走り、息が切れ涙がにじんだ。

 背後から迫る足音の群れを振り切った。


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