最初の一歩 3
~白崎side~
「そのまま、目を閉じていてね」
「あー…うん。早くしてね」
「うん」
昼休み。教室。人だかり。その中心には僕がいる。
早々に弁当を食べ終わった僕に、衣装を手にした衣装担当の子が近づいてきた。
はいはいと言いながら、教室の端っこに用意されたパーテーションの向こうで着替える。
「これでいいんだっけ?」
そう言いながら着替えてきた僕を見るたびに、クラス中で盛り上がるのはやめてほしい。
「じゃあ、次はこっちに来てもらえる? メイクも簡単にしちゃうから」
そう言われて、顔を歪める。
衣装合わせの初回で、メイクも一回だけ付き合った。その時にも着替え同様でおかしな盛り上がり方をされて。
「本当に簡単にしてね? あまりゴテゴテ塗りたくるの好きじゃないから」
そういいつつ、指定されたイスに腰かける僕。
最初に肌を整えるものを順番に塗られていく。その後にコン…なんだかとかいろいろ。
「すこし隈があるね。…テスト勉強でもしてたの? 白崎くん」
メイク担当の子に話しかけられて「まぁ」とだけ返す。
「真面目だねー」
笑うような声が目を閉じた向こうから聞こえて、僕はちょっとムッとする。
「あぁ、ごめんごめん。バカにしたんじゃないの。だから眉間にしわを寄せないでくれる?」
触れるか触れないかの感じで、筆っぽいのが触れては離れていく。
「くすぐったいんだけど、これ」
ボソッと呟けば「あとはリップだけだから」と囁くような声がした。
黙ってされるがままで放っておけば、肩をポンと叩かれる。おしまいの合図だ。
そっと目を開ければ、またおかしなボリュームの歓声が教室に響く。
「キレイだ! 白崎!」
「うれしくない」
「イケメンすぎる」
「そりゃどーも」
「俺と付き合ってくれ」
「冗談にして」
「白崎くん! 本気で女装男子を目指さない?」
「それこそ、冗談にして」
「好きだ、白崎」
「好きじゃない」
「好きになっていいか?」
「ならないで」
なんてやりとりの応酬も、すっかり“いつもの”流れになってしまっている。
(あぁ、めんどくさい)
ゆっくりと立ち上がり、一緒に練り歩く男子と打ち合わせをする。
どの順番で校内を歩いていくかとか、白雪姫らしくリンゴを持つか持たないかとか。
「結局は、小人役は一人だけ?」
一緒に歩いていくプラカード役と小人役の女子と僕=白雪姫の三人で決まったらしい。
「うん。王子は…衣装が恥ずかしいから…嫌だって」
あぁ、アレね。よくあるカボチャパンツに白いタイツのやつね。
「よくわかるから、別にいいよ。多分僕の方が恥ずかしくないはずだから」
そう言いながら、リンゴを受け取る。
白雪姫の方の衣装は、普段スカートに慣れていないということと、ベタな白雪姫の衣装は許せないと衣装担当の子が言い出し。
「まぁ…地味な白雪姫っぽくはないよね。これ」
ベースの色は白雪姫のそれなんだけど、スカートの部分だけが今っぽい。
左の太ももの途中からドレープとかいうたるみみたいな…斜めに波を打っているっぽい細工が施されてて。
「なんかよくわからないけど、作るの大変そうだよね。…出来上がり見た時、ビックリしたからね。ここまで手が込んでるの? って」
スカートを指先でつまみながらそういえば、衣装担当の子が頬を赤くしてニコニコして立っていた。
「そっち系の学校でも行くの?」
そう聞けば、首を振る彼女。ここまで凝ったものが作れるのなら、そっち方面にいきそうなものだなと単純に思った僕は、首をかしげてしまう。
「お姉ちゃんがコスプレやってる人でね、その流れで身についただけなのよ。やりたいことは別にあるんだ」
もう進路を決めているのか、まだ一年生が始まったばかりなのに。
「…そ」
すこし大人びた目で僕を見ている彼女に、何とも言えない焦りに似た感情をごまかすように僕は「行こう」と呟き教室を出た。
廊下に出た瞬間、ザワついたのを肌で感じる。
「さっすが、白崎さまさまだな」
プラカード役の男子がそう言えば、小人役の女子が「やめなよ」と窘める。
予想範囲内といえば、予想範囲内だ。
自分で嫌なくらいにわかっている、自分の顔つきがちょっとキレイな女性っぽいことくらい。
それで中学の時に一番目立つ目を隠すために、視界が悪くなるのをわかった上で前髪を伸ばし続けていたんだから。
「1年3組でーす。体育館で白雪姫やりまーす。見に来てね――」
小人役の女子の手に、エスコートでもされているように手を置いて黙って歩いていく僕。
ちなみに靴は学校の上履きだ。当日だけローヒールっていうのを履くことになっている。
「次は三年生がいる二階な」
という声に、僕は顔がゆるみそうになって慌てた。
小人役の女子とは反対側に顔を背け、顔を何とか普通に戻そうとする。
ふーーっと息を吐き正面を向き、また歩いていく。
順番に歩いていき、その途中で「がんばれー、一年」とか応援をもらいつつもうすぐ先輩の教室へ…とドキドキしていた。
教室にぴょこッと顔を出して、よろしくお願いしますと言っていなくなるのが流れなんだけど、どこをどう見ても先輩がいない。
「…あの、黒木先輩はいないんですか?」
見おぼえがある人に制服の袖を引っ張って声をかけたら、一瞬ビクッとされてから顔をまじまじと見られた。
「あの…?」
もう一度声をかければ、「あ、あぁ」とまるで思い出したように「第二音楽室にいるよ」とその人は教えてくれる。
「個別の出し物に参加するのは聞いてる?」
「あ、はい」
「それので、クラスの出し物は人数が足りてるから、練習の時間を設けたんだ。だから今はそっちにいるよ。行けたら行っておいで」
たまたまだけど、この人は確か先輩がよく一緒に昼を過ごしている人の一人のはず。
「ありがとうございます」
「…咲良がどんな顔するのか見たいくらいだけどね」
なにかボソッと小声で呟いていたようだけど、僕の耳にそれは届いていない。
「それじゃ、失礼します」
「バイバーイ」
ひらひらと手を振ってくれる先輩に、微笑んで頭を軽く下げて。
「なんか、“先輩”って感じの人だったね。二年しか違わないのに、大人っぽかったし」
さっきの先輩を思い出しているのか、エスコートをしている女子がニコニコしながら呟く。
「そう…だね」
と、相槌だけ打って、次の教室へと急ぐ。
順番に回っていき、一階にある二年生のところも回って。
「あとは戻るだけだね」
「だな。…お疲れ!」
なんて会話をしている二人に、僕はさっきから考えていたことを切り出す。
「僕…音楽室に行きたいんだけど。だから先に戻っててもらってもいい?」
さっき聞いた情報のままなら、先輩はそこにいるはず。あの先輩が行っておいでと言ってくれたなら、後輩の僕が顔を出しても問題がないんだと思いたい。
「あー……、さっきの三年のとこで話していたやつか。…俺、付き合ってやってもいいけど」
「え、別に一緒じゃなくても」
と僕がいえば、一人でその格好は目立ちすぎると言われてしまう。
「じゃあ、あたしは先に戻ってるね」
「おう。俺らもすぐに戻るから」
二人が小さく手を振りあって、廊下で分かれる。
「え、ちょ…僕まだなにも」
それを困ったように見ているだけの僕。
許可してないのに、勝手に付き添いが出来てしまった。
顔にそれが出ていたのか、「そのメイクでその顔はやめておけ」とか横から言われてしまう。
「なに、知り合いでもいるわけ?」
の声に、「まぁ、そんなもん」とだけ返す。大した親しくもないのに、余計な話はしたくない。
第二音楽室に近づくと、漏れた音が聴こえてくる。
あの曲だなと思ったのは、前もって先輩から聞いていたからなだけ。じゃなきゃ、きっと知らなかったはず。
ひょこっと音楽室のドアにあるガラス越しに、中の様子を伺う。
(…先輩! キーボード! 弾いてる! いつもとは違う先輩だ!)
こそっとスマホを取り出して、カメラを起動していた時だった。
「なーにやってんだ、こら。一年生か?」
ドアがいきなり横にスライドされて、見覚えがある先輩が目の前に現れた。
「…あ…ぅ」
なんて声をかければいいのか困っていると、その人の背後から黒木先輩が顔を出す。
「どうした?」
なんて言いながら。
「あ! 先輩!」
その僕の声に、僕と視線を合わせて…上から下まで僕を見て、横にいたクラスメイトの男子を見て、また僕を見て。
「白崎か!!」
やっと僕だと気づく。
「はい。白崎です。先輩の教室でこっちにいるって聞いて、宣伝に来ました」
本当は顔を見に来ましたとかいろいろ言いたかったけど、全部飲みこむ。
「あぁ、あれか。学校祭前の恒例の」
「です」
そう返すと、先輩がまた僕の格好を上から下まで見てから、顔をまじまじと見てくる。
「変…でしょうか」
やっぱり似合わないよな? というか似合っても嬉しくないけど、どうせならよく思われたいと思いつつ、先輩の様子を伺う。
先輩の背後から、さらに二人出てきて「あ! 咲良の後輩くんじゃん」とか言われる。見かけたことはあるけど、話したことはない先輩だ。
「すっげ可愛い! 俺と付き合う?」
なんて言う先輩もいて、僕はそれに「クラスメイトにも似たこと言われたので、聞き飽きてます」と返す。
「脚、めちゃくちゃキレイだな。衣装も凝ってるね」
「あー、はい。衣装担当の子が頑張ってくれて」
なんて他の先輩方と話は進むのに、先輩が一向に話しかけてくれない。
(会いに来なきゃよかったのかな)
とか思いつつも、さっきみた先輩が頭から離れない。
「バンド、ですか?」
「そう。俺がボーカルとギターで、こっちがドラム、で…ベースに、咲良がキーボード」
先輩楽器出来る人だったんだ! すごいな。
「き…期待すんなよ? 白崎」
僕の気持ちが伝わってしまったのか、先輩が照れくさそうに顔を向けて呟く。
「楽しみにしてますね! 絶対、聴きに行きます」
「あ、あぁ」
なんだかいつもの先輩とは違って、歯切れが悪いというか…そもそもで言葉が少ない?
「それじゃ俺たち教室に戻ります」
というクラスメイトの声に、後ろ髪を引かれながら踵を返す。
「頑張ってください」
手をひらひら振ってそう言えば、「可愛いお姫様に言われちゃ、頑張らなきゃな」なんて声がした。
数歩踏み出した時、「白崎!」と先輩が僕を呼び止める声がして振り向く。
「はい」
他の先輩たちは中に戻ったみたいなのに、先輩だけが音楽室のドア横の壁にもたれかかってこっちを見ている。
ちょいちょいと右手の人差し指だけを折っては伸ばして、こっちに来いと示してきた。
隣のクラスメイトにちょっとだけ待ってといい、駆け寄っていく。ドレス姿で。
「なんですか? 黒木先輩」
目の前に立って、先輩の言葉を待つ僕に、尚もこっちへ…と指先で示してくるので顔を近づけた。
「……だ」
ん? よく聞こえない。
「先輩?」
聞き返す僕。
「…ぃ、だ」
「すみません。もうちょっと声を」
大きく…とお願いしようとした僕の耳元に、小さな声で。
「キレイ、だ」
先輩が、控えめに囁いた。
呆然とした僕を置いて、先輩は音楽室に戻ろうとする。
ドアを閉めかけて、コッチへ半身だけ振り返りもう一言。
「見に行くから、劇」
そしてドアは閉められた。
散々聞かされてきたその言葉は、僕が嫌な言葉。それを先輩はわかってる。
(それでも…その言葉を口にしたその意味は?)
悪意に取れない。そんなはずがない。音楽室に戻っていく先輩の耳は、ほんのり赤くなっていた。
口に手のひらをあてて、目をつぶる。
(うれしい! うれしい! あんなに嫌いな言葉だったのに! 先輩があんな風に照れながら言ってくれるなんて)
今にもジャンプしたい気持ちだけど、ここは学校でクラスメイトがこっちを見ている。
「んんっ」
咳払いをして、クラスメイトのところに戻っていく。
「ごめん、待たせちゃって」
平静を装って彼に声をかけたら、プラカードを持ったままのクラスメイトが「いーよ、別に」と呟いた。
「じゃ、戻るか」の声に、僕は彼と並んで歩き出す。
三階まで階段を上がって行く途中で、彼の方がすこしだけ遅れていて。
「さっきの態度、違いすぎだろ…」
僕に聞こえないくらいの声で、さっき見た僕が先輩に会いに行った時の様子へひとり言を言っていたなんて気づくことはなかった。




